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見方=見ている方向?

気づけば3月の中旬。3月を味わい切っているつもりが、気づけばお尻に火がついて冬もの片付けようと思っている。まだまだ朝は冷えるのでもう少しお湯が必要な季節。東京タワーは桜色。

こんな季節でも、もう春だ。という人もいれば、まだ冬は終わっていない。という人もいる。結論から言うと、どっちでもいい。その人の考え方・感じ方の違いであって、どんな場面であっても自分の目線で主観が入り物事を認識してから考える。決断を下す。いくつもの全社改革プロジェクトを見ていると、まさに導入する現場側の見方が全くないためいつもぽしゃり、絵に描いた餅を何個も焼いて炭にしただろう。

自分というフィルターがいかに自分のことしか考えていない連鎖であり、それでしかないということを目の当たりにした時に、はじめて人はこんなにも1つの結果でプロセスが違うのか。ましてや国・年齢が違えばなんて関係なく、家族の頭の中ですら私たちは全く理解できない。と、私は興奮を覚えた。

たとえば、丁。ひのと。今月の五行である丁は、見方によってとても違う。焚き火をイメージすると、ご覧の通り燃えている。四柱推命の役割からみると、何かを照らし、あたためる、輝かせる、ふつふつと静かにだけれど燃え続ける芯の強さもあり、しかし、冷める瞬間のあれは消える瞬間のあの時は他の五行には見えないほど、あっけない。

人間でも、燃え続けることが使命な人が多い。この見方でいくと、燃え続ける、つまり燃やす甲、木がいかに大事か、大事。良い枯れた木がないと燃え続けない。でも丁を内側から丁として考えた時に、燃え続ける人生、自分のためではなくやはり人のために何かをするということもとても生きがいになるのでは。

つまり、ここで出てくるのが庚。かのえ。金の五行で、陽。まさになんでも切れる日本刀。ただし錆びたら用無し。彼らこそ鍛錬されて磨かれてはじめて彼らの生きがい、切る!kill!ことができる。切れ味の悪い庚はプライドだけ高くなり、周りに相談できず自滅してしまうケースをよく見る。そこで、丁と相性が良いのが庚。丁が丁寧に良い芯の通った火を庚に照らすことによって、きれっきれの刃がむくむくと出現する。


食べて食べられて、切らなくても食べられる

丁のアウトプット先として、庚。丁の誰かを照らす役割として自分が燃えるだけでなく、何かを照らし、その力を最大限に引き出す。内側から外側に出す。これが、丁を自分の見方とした時に誰かに輝いてほしい。これが本質なのだと思う。丁の使命。自分だけが燃えているのではない、全ては巡り巡ってくるのだからとても不思議。

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