2010年8月 はたらくってはたがらくになること

おはようございます。
もうすぐサラリーマンを卒業するわたしが過去の自分を振り返ろうと細々と書いているnoteです。
今、電車に乗ってるんだけど前にはロングヘアの方が後ろにはリュックのおじさまが。それぞれ武器をお持ちですね。きっとわたしも何か持ってる。

というわけで今回は高校生の時に自分が書いた文章からの引用です。

『“働く”は“はたが楽になること”』

はたっていうのは、傍。
近くにいる人という認識を持ってる。
つまり自分の家族(または物理的に周りにいる人)が楽になることだとわたしは捉えている。どこからこの思考がやってきたのかは忘れてしまったけど。

自分が労働することで周りが楽になったらいいよね(希望)、なのか自分が労働する理由は周りを楽にしたいから(動機)なのか、このnoteを読んでる人はどちらを思い浮かべましたか?


高校生の自分だったら

これは高校生の夏頃に大学受験の応募シートに書いた記憶がうっすらある。私は私立の中高一環の学校に通わせてもらって在学時に1年間ニュージーランドに留学をするということをしました。留学をさせてもらったが1番正しい表現かな。その頃から母親には「あなたたちには教育をしたいと思っているからお母さんたちが死んだときにお金は何も残らないよ」と言われてた。今考えたら留学なんて1年間に3,000,000円は最低でもかかっていただろうし、ましてや私立の学校だったら授業料も高かったと思う。

だから高校3年生私は少しでも両親に恩返しをするために働くということで傍を楽にしたい、と思っていたのかもしれない。


今のわたしはどう?

さて高校生の時の私は少し意識が高かったかもしれない。今の私は働くことで傍を楽にできているのか、傍を楽にすることができたのかと自問自答すると100%自信を持って「はい!」とは答えられない。

だけど自分が居ることで「楽しかった」って言ってもらえたことが働いていてよかったなぁと思うことだよね。
「らく」はわたしのなかでは「楽しい」だったのかもしれないよね。
そんな人が大企業の小さい歯車社員として存在していてもよかったよね??


サラリーマン卒業まであと5日。
そして30歳まであと375日。


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