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ぶらり、ゆるり、ひとり温泉旅

夏が始まりかけた、とある朝。
寝起きの頭で、ふと思った。「温泉に行こう」と。

仕事が行き詰まっているというわけでもなく、逃げ出したくなるような現実があった訳ではない。
ただここ数年誰もが感じるような閉塞感が、うっすらとほこりのように心のなかに積もり積もっていた。どこでもいいから一人でどこかへ行きたい、仕事や今目の前にある残念な世間から少しだけ目を背けたかったのだと思う。

大きな旅館である必要はなかった。
畳のお部屋と、おいしいお料理と、温泉があれば…。

起き抜けのパジャマのままでパソコンの前に座り、直近の休みに予約できそうな宿を探す。思いを巡らせながら探していると、3連休前の金曜日の夜なら空いている宿を発見。予約決定のボタンを押す直前、上司に承諾を得てすぐさま宿を取った。

***

旅行当日。午後4時まで仕事をして、仕事場の最寄り駅から電車に乗った。電車1本、たった30分で到着する宿。それでも、自分の心を自由にするには十分だった。

一眼レフカメラも、ノートパソコンも持たない旅行。
観光の仕事をすることもあるので、旅することはネタ探しや仕事の一部になっていることも多い。そんな中、何も考えなくてもよい身軽な旅行は久しぶりで、文字通り浮足立つような気持ちだった。

最寄駅から旅館までは歩いて5分。車では何度も来たことがある温泉街だが、街並みを自分の足で歩いてみるとまた違った視点から発見がある。ここにこんな古い建物があったんだ。こういう細い路地って車がなかった時代の名残かな…。

山と海の狭間に穏やかに佇む浅虫温泉郷は、青森の奥座敷と呼ばれる昔ながらの温泉郷である。最盛期には40軒以上もの温泉旅館が軒を連ねていたそうだが、今では営業しているのは9軒だけ。もともと温泉旅館だった建物は老人ホームや住居型介護施設などにリノベーションされ、温泉郷周辺の山と海は変わらない景色のまま、狭間の温泉郷だけがその風景を変えている。

そんな風に温泉郷が姿を変えても、その土地と温泉を愛する人たちがいることには変わりなく、浅虫温泉郷には毎年多くの観光客が訪れる。

そんなことを考えながら歩いていたら、あっという間に旅館へ到着した。

宿泊したのは「割烹旅館さつき」。
どっしりとした佇まい、玄関に飾られた季節の花に、ささやかなもてなしの心を感じる。期待を膨らませながら暖簾をくぐると、仲居さんが笑顔でお迎えしてくれた。

通していただいたのは温泉のすぐ隣の「竹の間」で、一人ではもったいないほどの広さの和室だった。建物に入った瞬間も感じた、おばあちゃんの家に来たような懐かしいにおいに、胸がいっぱいになる。てきぱきと説明しながら、仲居さんが温かいお茶を淹れてくれた。

旅館の部屋には時計がない。仕事も一切持ってきていないので、何かに急かされるということが全くない。これこれ、この環境こそ、わたしが求めていたものだ。思わず、畳にごろりと横になった。目を閉じると、鳥の鳴き声と蝉の鳴き声が聴こえた。

社会から少しだけ離れた場所。仕事をしなくてもいい場所。わたしだけの空間。自由な時間。
ああ、心地いいなあ。この旅館に来るまでの短い道中で、ぽて、ぽて、と重たいものを置いてきたかのように、身体が軽かった。
そんなに重たいものを背負っているつもりはなかったけれど、この時の解放感を考えると何かが重かったのかもしれない。

部屋で1時間ほどぼーっと過ごしてから、温泉へ行くことにした。
浅虫の温泉は無色透明で、美肌の湯と言われる刺激の弱いやさしいお湯。
温泉は3人ほど入れば狭さを感じるようなこじんまりとした広さだったが、貸し切り状態で入ることができた。そうだった、浅虫の温泉は熱めだったと湯に浸かってから思い出す。入っているうちに熱さに慣れて、心地よくなっていく。

ここでもまた、心のなかにゴロンと固まった重たいものが熱いお湯にゆっくり解かされていくようだった。露天風呂ではないが小さな庭が見える湯船に浸かり、なにも考えないゆるやかな時間を過ごす。なにも考えない。無。お風呂から出る頃には、頭は空っぽ、身体まで軽やかに。あ~、温泉って最高だなあ…

そういえばこの旅館には猫がいるらしい。今は4匹住んでいるそうで、夜になると夜な夜な壁をカリカリしたり、廊下をパトロールしているのだそう。ときどき客室にもごあいさつに来てくれるらしく、ちょっとワクワクが膨らんだ。

温泉から上がると、仲居さんが部屋に夕食を準備してくれた。
部屋食だったことも、この宿に決めた理由のひとつ。のんびり、誰の目も気にせずに、ゆっくりとご飯が食べられる。

目の前に続々と並べられる小鉢は彩り豊かで、近海で獲れた新鮮な海の幸がたっぷり。前菜だけで8品。その一つ一つに職人のきめ細やかなこだわりが感じられる。
新鮮でないと食べられないカレイのお刺身や、殻付きのウニ、ていねいにほぐされたズワイガニ、カサゴの煮付けまで。一晩で14種もの魚介類をいただいた。陸奥湾の目の前にある浅虫だからこそ味わえる贅沢。幸せ。一口ひとくちを時間をかけて味わった。

ここでふと、この美味しいお料理の感想を言い合えるような、共有できる相手が居たらよかったかなと頭をよぎったけれど、仲居さんがお料理のことやこの辺りのことをいろいろお話してくださるし、お料理と向き合っていたら寂しさを感じる暇などなく、結局一人で心ゆくまでお料理を満喫してしまった。

贅沢すぎるお夕食をいただき、一度空っぽになったわたしの心はお腹とともにすっかり満たされた。誰かのペースに合わせることなくご飯を食べること自体久しぶりで、自分のペースで完食できたのも嬉しい。

部屋にはテレビがあったが、スイッチを入れる気にはなれなかった。スマホも覗く気にはなれなくて、カバンの奥底にしまい込んだ。

代わりに、今の気持ちや思ったことを書き留めておこうと思った。紙とペンがあったので、ゆるゆると湧き上がる言葉を書き出す。仕事ではない文章。誰から聞いた話ではない、自分自身から生み出される言葉。文章を書きたくなるとは想定外だったけれど、書きたいという欲求のもとに生まれる文章を書くのが一番楽しい。

一通り書き終えた頃にはすっかりお腹も落ち着いたので、2回目のお風呂に入ることにした。先ほどと同じ、熱いお湯。湯船に浸かると、先端からじわじわと身体の中心まで温まっていく。お庭に置かれた行灯が、温かな灯りで外をほの暗く照らしている。外は風が強く吹いていて、植えられた紫陽花や草木が風に揺られているのが見える。7月だけれど、風が吹く夜は寒そうに見えた。

何もしない夜は長い。
いつもは仕事場から自宅に帰ってきてからも仕事をしてしまうため、こんなに「何もしない」時間を楽しむことはない。
誰かに仕事をしろと言われるからやっている訳ではない。ただ、先のことを考えた時に、今やっておかないとスムーズにことが運ばないだろうと感じるようなちょっとしたことが常に山のようにあって、それらを少しでも減らしておく必要があると思ってしまうから、仕事からなかなか離れられないのだった。

あれもしなきゃ、これもしなきゃと忙しなく考える必要がない環境。
考えたって、今どうすることもできなければ無意味だ。物理的に仕事から距離を置くことに、こんなメリットがあったとは。休日に休んでも休まらない気持ちになるのは、しようと思えば仕事に手が届いてしまうからだ。そんな単純なことに、ここへ来るまで気づけなかった。

猫が遊びに来ないかと待ちぼうけながら、持ってきた小説の冒頭を読んでいるうちに、うたた寝してしまった。
本格的に眠くなったが、やっぱり猫のことが諦めきれず、客室から廊下へ出てみる。しんとした、真夜中の旅館。人の気配は感じないが、たしかに猫らしき気配は感じる。廊下にしゃがんでじっと待ってみたが、残念ながら出てきてはくれなかった。

諦めて布団に入り、まだ温泉に浸かった温もりが残る身体でぐっすりと眠った。明日、朝食前にも温泉に入ろう…

翌朝は風の音で起きた。夜に降りだした雨は朝方まで続き、台風のときのような轟々とした風が鳴っていた。障子からどんよりとした曇り空の明るさが透けている。頭はすっきりと冴えていた。

早起きできたので、朝も温泉に入った。
昨日と同じ、熱いお湯。結局3回とも、誰とも温泉で鉢合わせることはなく贅沢に貸切ってしまった。お風呂から見える庭に柔らかく日の光が差し込んで、昨晩強風に揺られていた紫陽花が今朝はそよそよと揺れているのが見えた。

昨日と同じ仲居さんが、朝ごはんを持ってきてくれた。旅館の朝ごはんってどうしてこんなに豪華なんだろう。ささげの炒め物やホタテのお刺身、貝焼き味噌、そして美味しい白米。青森ならではの食材が朝ごはんにもたっぷり詰まっていた。

こうして一人の旅人として青森を客観的にみると、改めて美味しいものが多い街だと感じる。
海の恵み、山の恵みがすぐ近くにあるからこそ、当たり前にあるものだと錯覚してしまうけれど、これは当たり前ではなくて。長い間ここで生活を営んできた人たちの知恵や努力があるからこそ、今当たり前にありつけているものなんだよなと感慨深くなってしまう。
浅虫温泉郷だってそう。周辺が宿を辞めて業態変換していくことは、世間のニーズからみれば当たり前のことかもしれないけれど、宿を続け、ここに来るお客様を待っていてくれる人が居るからこそ、わたしは日常から少し離れたこの時間でたっぷりと充電することができた。

その地域に生きる人たちの営み。毎日が同じことの繰り返しかもしれない。季節が変わればやることも変わるかもしれない。きっとどんな営みにも意味があるから、わたしはその暮らしや日常の営みを大切にしたいと思う。それに、長く受け継がれていくその営みが地域に根ざした文化になっていくのだと思う。

食後のデザートとコーヒーまでしっかりといただいて、お世話になった「竹の間」にお礼を言う。丸一日足らずの短い時間だったが、この部屋は完全にわたしが安らぎ、くつろげる素敵な場所になっていた。
結局猫には会えずじまいだったけれど、心ゆくまで温泉に浸かることができたし、お腹も満たされ、心も身体もほぐされた。わたしがくつろいだこの部屋に、きっとそのうち猫も遊びにくるのだろう。

チェックアウトをして帰るとき、お世話してくださった仲居さんが玄関口まで見送ってくださった。そんなことされたら、また来たくなってしまう…

浅虫の空はどんよりと曇っていた。少し歩けば、すぐに駅が見える。
歩道橋の上で振り返ると、山のすぐ上を雲が滑っていた。天気は悪いけれど、気分は悪くない。

さて、電車に乗って帰りますか。
短いけれど贅を尽くしたわたしだけの夏休み。この一晩でほぐされた心の心地よさを、なるべくずっと忘れないでいたい。




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