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晴れの日に家でパソコンをしていると、わたしの「生」が少しずつ死ぬ

今日はよく晴れていた。秋だな、と思える気持ちいい気温だった。

山の中にある温泉に行きたいなと思った。

プランターに生えているトマトを収穫したら幸せな気持ちになった。

と思ったところで時刻は9時50分過ぎ。

わたしが始業と定めている10時まで、あと5~6分。

フルリモート&フルフレックスと言いつつも、ルーティーンを崩したくないので10時に仕事をスタートしている。

仕事内容には不満がない。

仕事仲間もいい人ばかり。

集中モードに入ればどれも楽しい。

「仕事」という箱で見ると、とても恵まれているし楽しい日々。

週3、リモート、フレックス、ベンチャー、マーケティング。

どれを取ってもわたしの希望通りの「仕事」の箱だ。

ただ「生き方」という箱で見ると、これがわたしの完成形ではない。

どんな生き方が理想か?と聞かれたら、

食べ物に時間を費やして、

季節をフルで感じ取って、

気の合う仲間が近くにいて、

それでいてお金には困らない生活。

「生活」「暮らし」

特に「食べること」に時間をかける生き方。

そういうのが、本当の理想の形。

本当の理想の形をやっていくと、おそらく働いている暇はない。

生まれつきの超働き者だったら全部こなせるのかもしれないけれど、

わたしには「のんびり」の時間も必要である。

そうするとやはり、食べ物に一生懸命になりながら働くなんて、そんな暇はない。

今は"時間にもお金にも余裕を持たせるための修行期間"だと思って生きてるけれど、この生活の延長線上に理想の世界が待っているかといえば、微妙である。

むしろ理想の世界から遠ざかってる可能性もある。

もっと理想を明確に描いて逆算していくか、

あらゆる不足がありつつも無理やり理想の暮らしを「今」に持ってくるか。


わたしはなんやかんやでお金が必要な人間である。

世捨て人、ヒッピー、脱資本主義。そういうものにはなれない。


もっと明確な理想を描くことから始めたらいいんだろうか。

などということを、晴れの日の自室で考えていた。


そういえば4年前、半農半Xの生き方に憧れていたなぁ。

近所にある「ブラウンズフィールド」に行くと、その度に自分の生き方に疑問が生まれる。

家でパソコンをしてる場合なのかなぁ。

不自然に食べ物を摂取しているなぁ。

自分が普段やっていることが、世界のためにも自分のためにもなっていない気がする。世界の循環を無視している気がする。


これを読んでくれているあなたには、理想の生き方がありますか?

その生き方に続くような日常を送っていますか?

生きる意味があるとしたら、何なんでしょう。

意味はなさそうな世の中で、意味があるとしたら何だと思いますか?


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