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おめでとうわたしたち|2021年10月23日の日記

きょうはいい日だった。はっきりそういえる日はそれだけでいい日だ。

5時すぎに寝て午前中に目をさまし、まだ寝ていたい気持ちときょうこそは本を読むぞの気持ちが拮抗していたのでベッドにとどまったまま本を読むことにした。部屋が白くて心地よい。


池澤夏樹『氷山の南』のつづき、8章「吹雪のストーリー・タイム」から読む。

南極海で母船シンディバードから氷山(といっても周囲数キロにわたり平らな氷のうえ)にうつり、一晩テント泊をする計画を立てた13人の “アイスバーガー”(iceberger)たちは、天候の急変により小屋のなかで身動きがとれなくなってしまった。吹雪がやまずとも数日すごすことのできる準備はあるし、このまま致命的に孤立する心配はほとんどないけれども、じゅうぶんとはいえない広さの部屋のなかでじっとしていては心がまいってしまう。そこで退屈しのぎのためにみんなが順にお話をしていくことになった。

話はしぜんと、雪や氷の登場するものになる。「話すことなんてあるかなぁ」なんていいながらそれぞれに魅力的なエピソードが紹介されて、その体験がいきいきと語られ、引きこまれた。会話劇で観てみたいような密度だ。思い出したのは小川洋子『人質の朗読会』の語りだったが、こんどのはもっとカジュアルでみじかく、まわりも雰囲気にあわせて口をはさんだりじっと耳をかたむけていたり。閉鎖的な空間ではあるが、あたたかい紅茶(イギリス人が「まずお茶にしましょう」と提案した)と実のある会話で心の緊張がとけているのがわかった。

きのう永井均の論考(哲学における「他者問題」について)を読んだ直後だったこともあって、小説はすごいな、いろんなひとがいろんなことをいうな、と素朴に思った。もちろん登場人物に語らせているのは作家だが、ほんとうに世界中のいろんな土地でそんなことがあったのだろうと思わせてくれるのなら、そのときそれはほんとうのことだ。


アイスバーガーたちがぶじにシンディバード号にもどったあと、主人公・ジンはいったん船をはなれてオーストラリアの北のほうへ向かう。飛行艇で着陸し、港町から北をめざすためにヒッチハイクをするのだけど、その描写を読んでいたらすこし泣きそうになってしまった。

ジンは行動する人で、なおかつ自分の目で見て肌で感じたことを人に伝えることができる。トラックの運転手に「おまえを乗せる報酬は?」と問われて、「おもしろい話をたくさん!」と答えることができる。こうして出会った相手と、その場かぎりだとしてもなにか心にのこるような関係を築くことができる。それはとてもしなやかな美しさだと思った。

わたしは部屋のなかでひとり、ベッドに座って本を読んでいるだけだ。

ジンの「重心の低さ」、腹が座っている――というとそのままだけど、自立した印象、自分の人生を自走している感じはとても魅力的だ。見ず知らずの少年をトラックに乗せてやる運転手たちの豪胆さにも惹かれるけど、その場のだれにも愛想笑いみたいなものがいっさいないようにみえて、その「人間関係」が、なんというか、うらやましかった。


それにしても、この小説のひとたちはみんな仕事をしている(というか、池澤夏樹作品の登場人物はたいてい仕事をしている気がする)。アトリビュートがそれぞれの「仕事」という感じ。密航者として船に乗り込んだジンが、そこに残ることを許されたのも仕事をあたえられたからだった。

いまわたしたちが思う「仕事」には、したくないもの、でも仕方がないからしているもの、というイメージがつきまとってしまうけれども、シンディバード号のひとたちも、陸地で働く氷山協会のひとたちも、ヒッチハイクで乗せてくれたトラックの運転手も、誇りをもって、自分の一部として仕事をとらえているようにみえる。それはとてもかっこいいことだ。


あともうひとつこの小説のすごいのは、「氷山をこの目で見たい」という思いに突き動かされて密航までした主人公に、話の半分にも満たないところでもうその目的に出会わせてしまうことだ。見ることは終着点ではなかった。それからの人生をどう動かしていくかが問題なんだ。


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読みながら、ひさしぶりにコーヒーをいれた。気分のいいときには豆を挽く音もたのしい。



Kindleに『カードキャプターさくら』1巻が無料で出ていたので読んだ。

小学生くらいのころに姉が買っていたのを漫画で読んでいた。たぶんアニメも見ていたはずだけどそれはあまりよくおぼえていない。漫画はもうすこし大きくなってからも何度か読みかえした。いまあらためて読んでみても絵の美しさ、話のテンポのよさはほんとうにすばらしくて、とてつもない作品だとつくづく思う。いまの感覚からすると多少ずれてしまうところはあるのかもしれないけど、すくなくとも1巻についてはぜんぜんそんな感じはしなかった。つづきも買って読んじゃおうかなあ。

そういえばだいぶ前に原画展に行ったことがあったな。東京スカイツリーでやっていたやつ。あれもすごかったなあ。線がもはや芸術的……と思ったのをおぼえている。



『SFマガジン』2021年6月号、異常論文特集。小川哲「SF作家の倒し方」を読んだ。

これはおもしろかった! いままで読んでSFとしておもしろかったのはやはり柞刈湯葉と難波優輝のものだったけど、今回のは読みながらくすくすと笑いがこぼれてしまうタイプのおもしろさだった。この特集の10作品のなかで「笑える」おもしろさというのは唯一かもしれない。

実在するSF作家の名前がたくさん出てきて、たぶんそれを知っていたらもっとよかったのだろうとは思うけど、まあそれがなくてもふつうにたのしめた。興味をもったのでほかの著作も読んでみよう。



メルカリマガジンに掲載されたくどうれいんさんのエッセイを読んだ。

読もう読もうと思っているうちに1か月以上経ってしまっていたな……。神田さんが編集で携わったという記事。くどうれいんさんの文章を読んだのはこれがはじめてだ。

わたしがいうのもおこがましいようにも思うけど、とてもみずみずしくて衒いがなくて、いいひとなんだろうなあとすなおに思った。すてきな方だというのがひしひしと伝わってくる。江國香織は数年前にかなり刺さって何冊か読んでいて、とても好きな作家の部類に入るが、さいきんはまったく読んでいない。詩集を出していたのも知らなかった。詩集は読んでみたいし、小説もまた手にとりたくなった。

詩集や歌集は、買うときになにかエピソードがくっついているとうれしいなと思ってけっきょくタイミングをのがしてしまったりするのだけど、あした出かけた先で見つけたら買ってみようかな。いい機会だし。



この記事ね。めちゃくちゃいい話だ。


『わたしを空腹にしないほうがいい』と『うたうおばけ』も6月に買ったきり積んでいるのでこれを機に読みたい。読みたい本ばかり。



変えるラジオの切り抜きが上がった! うれしいね。ほかおに会員以外のひとも聞いてみてね。



夜は小学生のころからの友だちと食事の約束をしていて、近所の気になっていたレストランにはじめて行った。天井が高くて静かでゆったりとしたところで、お料理もおいしかった。

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ふたりともの誕生日のお祝い(1か月半以上前だけど)なので、メッセージに「Happy Birthdays」と書いてもらった。Birthdayって可算名詞? こんな用法ある?? というのは正直よくわからなかったが、こんなのはじめてみたわ、と笑いあえたのでよかった。

人生のステージをどんどん変えていく友人たちを横目に、わたしたちはずっと変わらないね、と嘲笑ぎみのことも口にするが、あせったりあわてたりしてもしかたない、ちゃんといまを幸せでいて、先のことはなりゆきにまかせようと確認する。なるようにしかならないからな。


ここ数年、自分では誕生日になにかする気がまったく起きなかったけど、ちゃんと節目としてお祝いをするのはじつはいいことなのかもしれない。家にあきて、なにかおいしいものが自動的にでてくるところでゆっくり食べたい!と誕生日にかこつけてコースをたのんだが、いい時間をすごせた。来年もなにかできたらいいな。



寒いけど気持ちよく歩いて帰宅。徒歩圏内でおいしいものを食べるのがいちばんいい。

来週月曜にせまった原宿さんたちのイベント「説明できないことを言うう」と、11月頭の「せいぞスペシャルナイト」のチケットをそれぞれ買った。

せいぞのほうは金曜日なので、仕事はなんとかなるだろう!と会場チケットにした。リアルイベントに行くのははじめてだ!!! 原宿さんのほうは、どうしようかとなやんでいるうちに会場が完売してしまっていたので、配信チケットにした。月曜は仕事もかなりありそうなので結果的にそれでよかったかもしれない。

またすこしずつイベントができる情勢になってきていてとてもうれしい。たのしみだな。



日記を書いた。もっとはやく寝るつもりだったのに書きすぎた。おやすみなさい。


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