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文章に触れるほど、人と会いたくなるこの当たり前で温かい現象に名を。




遅めの夏休み、実家に帰省中。徒歩数分の距離にあるコメダ珈琲。毎朝モーニングに来ては2時間くらいボーッとしてきた日々も本日が最終日。わかんない、また明日も錦糸町店に行っちゃうかもしれないけど。


一昨日は、このモーニングタイムの後に一人で埼玉は所沢の角川武蔵野ミュージアムに。バスと電車を乗り継いで、東所沢駅からも少し歩いて。美術館なんていつぶりだったんだろう。角川書店ことKADOKAWAの施設で、隈研吾も設計に入ってる。



この間の紅白でYOASOBIが歌った場所ということで、一気に注目された場所と言ってもいいかもしれない。




着いたら確かに圧巻。所沢の田舎の風景の中に突如として現れるモダンな建物と空気感。晴れててよかった。




行ってみたいなと思った一番の理由は、俵万智の企画展をやっていたから。俵万智って、みなさん知ってます?知ってるか。サラダ記念日の人。この短歌の人ね。


「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日


早稲田の文学部だということは知っていたのだけど、福井の名門藤島高校の出身だとは知らなかったなぁ〜すご〜と、いまWikipediaを見ながら、謎に『俺はマチちゃんと同級生だったんだ!』とアピールをしてくるおっさん教授の書道の授業を大学時代にとっていたことを思い出した。


私の母校でもある早稲田の文学部キャンパスについて少し補足をすると、私が通っていた10年前くらいの早稲田の文学部キャンパスは、かつての第一文学部と第二文学部(昼と夜間)が解体され夜間がなくなり、文学部と文化構想学部(文構と略すことが多い)という編成に変わったばかりだった。"文化を構想する"という訳のわからん何でもアリな学部の一期生には朝井リョウがいて、私は四期生。夜間が撤廃になったものの、やはり親世代からすると『いわゆる二文(夜間学部)だから就活時に不利になる』という感覚が強く、文構への入学を志望したときにも、まずは反対された。でも持ち前の頑固さで、無理矢理押し切った。今では良い思い出。そして夜間云々に関しては本当にその通りで、当時はまだその名残があり、二文っぽい面白い授業は午後に固まっていた。教授たちも午前中の講義より午後の講義の方が、なんだかエネルギッシュだった。そしてこの書道の授業も7限。6限のサークル練習を経て、20時過ぎに教室に出向き、墨汁の香りに包まれて高田馬場から山手線に乗って帰る。そんな不思議な半期を過ごしていたこともあった。


と、話が逸れてしまった。俵万智展に話を戻すと、これはこれは、とてもよかった。恋愛、子育て、教育、様々なテーマの短歌があり。今はTwitterもやられているので、このコロナ禍に関しての投稿もされていたり。改めて、彼女の独特な感性や切り口にうっとりしてしまう時間だった。



「寒いね」と話しかければ
「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
「嫁さんになれよ」だなんて
カンチューハイ二本で言ってしまっていいの



ミュージアムには、カフェやダイナーもついていて、メニューは埼玉のゴリ推し。美味しかったけど、私がオーダーしたランチは、「彩のかがやき米でつくる所沢・三富小松菜と合鴨と自分たちでとってきた山椒混ぜごはんボール〜所沢ナスの蒲焼&合鴨のローストのせ〜」とかいうやつ。必死すぎ。味は良かったから、ネーミングセンスだけどうにかしてくれ。



企画展の他には、KADOKAWA以外の本も置いてあるスペースや、例のYOASOBIステージ(1時間に数回プロジェクションマッピングのショー!)もあり、本好きにはたまらない空間だったように思う。私もいくつか気になる本をメモして帰って来た。



っと言いますのも、最近は自分にしては読書をしている。ようやく読書の楽しみ方を覚えたというか。というわけで、最近読んだ本やこれから読みたいものをいくつか紹介。


読み終わった本
ついやってしまう体験のつくりかた
「好き」の設計図 ブランディングの原理原則
学びなおす力 新世代を勝ち抜く「理論とアート」
理系に学ぶ。
会って、話すこと。


これから読む予定の本
為末メソッド
のび太くん、もう少しだけがんばって
踊る彼女のシルエット
ワークショップデザイン


読み終わった本のうちの一つ、「会って、話すこと。」は私のバイブルでもある「読みたいことを、書けばいい。」の著者・田中泰延(この人も早稲田の二文卒。電通でコピーライターをしたのちに、独立。『文章術』の本かと思いきや、マジで長めのコントを文として読んだような感覚に陥る変な本)の新作で、今度は『会話術』の本。と思いきや、これまた会話術の本ではない。編集者の今野さんとの全くもって噛み合っていない対談形式で展開されている。



「話すこと」が制限されてしまった現在、その行為を問い直す一冊。自分のことは語らなくていいし、相手のことも聞かなくていい。その瞬間、共有しているその空間に焦点を置いて、同じ方を向いて話せばいいだけ。


ちょうどこの本を読み終えた直後に、サークル同期とご飯をする機会があった。かめちゃん、つかちん、かほ。久々に会う面々で、近況アップデートもしつつ、実は少し緊張していた。あまりに人と対面で話す機会が減ってしまったため、上手く話せるかなとか、伝えたいことを口頭でテンポよく違和感なく表現できるのかなとか。話を聞いている側にとって居心地の悪い言い方になってしまったり、支離滅裂でアンロジカルなことを言ってしまったりしないかなとか。


「人との対話を、そんな深く考えんなよ」と言ってくれるこの本を読んだ後にも関わらず、結局はそんなことを気にしていた。けど、解散した後に人と会って話すことって、同じ場にいることって、なんて温かいことなんだろうと、本当に本当に本当に、当たり前のことに感動してしまった。


我々の会話にゴールなんてないのが正解で、今までもそうであったはずなのに、そんなフッツーのことさえも見失ってしまうくらいに世界はノーマルじゃなくなっていた。少なくとも私の世界は。


まだまだ色々と制限がされる暮らしが続きそうで、やんなっちゃうけど、そう感じているのは私だけじゃなさそうだということが分かって安心したし、自分が大切だと想う人たちとは、コロナを言い訳にせずにちゃんと会っていきたいなと思った。


言葉や文章には、力がある。そう深く信じているし、実際にそのパワーに驚かされ、励まされ、勇気をもらって来た身だけど、一方で限界もあることも今痛感している。


まーた何が言いたいのか言いたくないのか分からなくなっちゃったけど、「空間」「共有」「リアル」あたりをキーワードに2021年を締めていこうかなといったところ。


本日晴天、給料日。そろそろコメダを出て、お家に帰ることとします。本日も素敵なサービスを、ごちそうさまでした。




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