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『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』 ――こうしてわたしはオーディブルに負ける

時空の覇権を争う二大勢力《エージェンシー》と《ガーデン》の工作員は、あらゆる時代と場所に介入し、自陣に有利な未来を作り出すべく永い暗闘を続けていた。ある平行世界で二つの巨大帝国を壊滅させるミッションを成功させた《エージェンシー》の工作員レッドは、作戦遂行中ずっと、本来ならそこにいるはずのない敵の存在を感じていた。そして、激闘を終えた静寂の中で、《ガーデン》の工作員ブルーからの手紙を発見する――思いがけず文通を始めた彼女たちは、やがてお互いを好敵手と認めあうようになるが……ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国SF協会賞を受賞した、超絶技巧の時空横断SF中篇。
『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』(アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン著/山田和子訳/2021年/早川書房) 
背表紙の紹介文より

数々のSF文学賞を受賞した話題作だと聞きつけ、寡読ながらもSFは比較的好きなジャンルだと自認する私は、まずはオーディブルで原作『This is How You Lose the Time War』を聴いてみようと試みた。これまでもいくつか小説やノンフィクションを英語で聴いてきて、すべての単語の意味が理解できなくても、多少速度を落とせば話の流れについていくことはできた。ところが…

発音は明瞭で、美しい発声の女性の朗読。80%の速度で再生し、発音自体は聴き取れているはず。でも、ときどき単語がよくわからない。そして、意味も…よくわからない。いや、わかるのだけど…情景は目に浮かぶのだけど…ちゃんと筋を追えているのか、自信が持てない。何か重大なことを聴き落としているような気がする。何やら詩的な響きは聴き取れる。(「Look on my works, ye mighty, and despair! わが為したる業を見よ、汝ら強大な者たちよ、そして絶望せよ!」というのがシェリーの詩の一節だということは思い出した。)でも、いったい何が語られているのか…? 

途中で「we cockroaches(ゴキブリたる我々)」という表現が出てきて、え?となった。人間の話ではなかったのか? それとも今だけ、ゴキブリになっているのか…???(*注) そうして最初の3チャプターを聴き終え、もう一度最初から繰り返して数十分聴いたところで、ギブアップした。

それでも諦めるのは悔しくて、アマゾンのサイトでKindle版の試し読みができるので、英語版を試し読みしてみた。やはり、なんとなく情景は目に浮かぶけれど、はっきり意味がつかめた自信が無いという意味ではオーディブルの時と同じ。これはやはり原語で読み通す(聴き通す)のは無謀だと判断した。

仕方がない、日本語で読むか…。うーん、文庫は出てないんだなあ… 単行本、買うしかないか…? と迷いながら書店に行ってみると、今年出た本なので海外文学のコーナーに在庫があった。ご丁寧に透明のビニールカバーにくるまれた「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」、ありがたいことに新書の大きさで、これなら軽くて持ち歩けそう。税込みで2,000円以上したけれど、乗りかかった船なので購入して読み始める。

…で。なるほど~、これは英語を早々に諦めて正解だと思った。そもそもSFは次に何が起こるかわからないジャンルである。しかも「サイエンス・フィクション」というぐらいだから、私が苦手な科学用語も時々出てくる。そして先ほどのシェリーの引用に加え、最初の方に「One spare life might be worth more to the other side than all the blood that stained Red’s hands today. A fugitive becomes a queen or a scientist or, worse, a poet.(たったひとつの見逃した命が、敵側にとって、今日レッドの手を赤く染めたすべての血よりも大きな意味を持つこともありうる。ひとりの逃亡者が、あるいは、その子供が、女王や科学者に、もっと悪いことに、詩人になったとしたら。)」という箇所を読んで(聴いて)、なぜここに「詩人」が出てくる? もしやこの作者は詩人なのか? と思ったその予想通り、作者の一人は詩人でもあるとわかり、そうなると、詩的な言葉はやはり日常英語には出てこないものも多いし比喩が多用されるのでどうしても難解になる。

さて。前置きが長いのが私の悪い癖だ。ストーリーに関して言うと…ある時から二人の工作員の時空を超えた「文通」が始まるのだけど、内容もさることながら、秘密裡に交わされるその手紙文の隠され方が、毎回あまりに凝っていて面白い。奇想天外と言っていい。それをきちんと受け取る方もさすが。彼女たちはひとつの「スレッド」に長い間潜伏してミッションを遂行するので、時には何年もかけ、その時代の人間のひとりとして生きることになる。そんな気の遠くなるほど長い年月が経っているのに、あるとき相手からの「返信」が届くのだ。その返信も、ときには長い年月をかけて仕込まれた末に(たとえば樹の年輪など)眼前に現れる。そのコンセプト自体、鳥肌が立つほどわくわくする。

敵の工作員同士のレッドとブルー、「手紙」のやり取りを通して徐々にお互いのことを理解し合い惹かれ合うようになるのだけど、そのことが上司である「司令官」の知るところとなり、さあ二人はどうする…?という話が、後半にかけて展開していく。そして最後の最後にこのタイトルの意味するところが明らかになる。あまりに詩的で壮大で、美しくて激しくて、孤独で愛おしくて、五感と心臓が揺さぶられる物語だ。

読む人を選ぶ作品だと思う。面白かった!という感想があふれる一方で、難解すぎて無理、という人もいるし、なかには「百合文学」と一言でくくる人も。たしかにすべて理解するには英米文学・英語文化の教養が必要なのだと思う。それでも、時間旅行、並行世界、歴史改変という要素を含んだSFは、その設定だけでも刺激的で面白い。

さて、せっかく買ったオーディブル。一度は「負けた」けれど、再度挑戦してみようか。絶体絶命に陥ってもなお、最後まで諦めずに闘ったレッドのように。

(*注 結局、日本語でもここはよくわからなかった。おそらく比喩なのだと思う。)



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