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📖『十二単を着た悪魔』📖

およそ十年ぶりに再読した小説はやっぱり面白くて、全く色褪せていなかった。

『十二単を着た悪魔 源氏物語異聞』(幻冬舎)
内館牧子さんが書いた小説なのだが、タイトルにもあるように源氏物語がテーマになっている。

昨今テレビドラマの影響なのか、書店にも源氏物語や紫式部の特集コーナーが目立つのだが、不思議なことにこの内館さんの本はあまり見かけない。なぜだろう。
出版から何年経っても新作のように面白く感じ、偶然にも今になって再読できて良かった。

もちろん紫式部が残した原作の「源氏物語」も素晴らしい。
内館さんの新しいキャラクター解釈と設定を読むことで、原作にももう一度戻りたくもなる。

本のあとがきからは内館さんがなぜこの小説を『十二単を着た悪魔』という有名映画を彷彿とさせるタイトルにしたのかというエピソードが語られ、小説の主軸に据えた弘徽殿女御への熱い思いが綴られている。普段はあとがきは読まないという人も、この本ではぜひ読んでみてほしい。

時代が変われば、受け入れられる考えも変わり、生き方も変わる。
言葉も文化も変わり、何もかもがまるで遠い異国のようになっていく。
モテるキャラクターも変わり、生きやすさや生きづらさも変わっていくが、実は根本的な人の心のあり方は大きくは変わらないのかもしれない。

時は流れても、同じようなことで悩み、同じようなことで傷つき、似たような喜びを見出していく。

この本の中で源氏物語の世界で生きることになった主人公の伊藤雷は、何にもでも優れていた弟の水に劣等感を抱き、源氏物語の中で出会った光源氏を弟の水に、光源氏の兄である春宮(のちの朱雀帝)を自分自身に重ね合わせ、心を寄せていく。

春宮の母である弘徽殿女御は、原作ではそれほど登場回数は多くない人物だが、この小説では中心に描かれ、はっきりとした物言いと敏腕な政治力が読んでいて痛快だ。
また春宮の優しさの中にも凛とした佇まいが感じられる様子や、朱雀帝になった後の心理描写も繊細に綴られていて、思わず見守りたくなる人物になっている。

しかしモテる男というのはどうも物語では「こいつ、けしかんらんやつだ」と思わせるような描き方になるものなのか、はたまたそもそも心理的作用としてのモテる男への単なる嫉妬心の現れなのか、原作でも小説でも光源氏はやっぱり絶対に引っかかってはいけない男の見本のような在り方であるのもまた面白い。

「ああ、いるいるこういう人。絶対近づいたら泣きを見るのに、でもなぜか延々とモテ続けるんだよねえ」
と思い、ダメですよこういう男に付いて行ってはと戒めの気持ちを持ちながらもついつい読み進めずにはいられない。だから源氏物語は爆発的な人気を誇ったのだろうか。
今も昔も変わらないのが引っかかったらダメなのに引っかかりやすいパターンという恋愛心理なのかもしれない。

光源氏が須磨に流人として行く際にも、小説内での雷(陰陽師伊藤雷鳴として生きている)ですら、つい光源氏に好感を持ち、心理的に距離が近くなったように感じるのだが、やはりそこは光源氏。物語が進むにつれて「やっぱり。お前というやつは」となるのである。

伊藤雷鳴はすでに知っている源氏物語の筋がきを武器に、物語世界の中で生き抜いていけるのか。最後まで目が離せず、そして結末も深い余韻を残すもので、読み応えは抜群である。

新刊じゃなくても面白い本はまだまだたくさんあって、そして再読したくなる本も、まだまだ多く、一生かけても読みたいものを読み尽くしたと思うことはないのだろうな。
面白い本が次々に出版されていて読むのが追いつかないけれど、2012年に出たこの本はおすすめ。ピンときた方はぜひ。


私は単行本で読んだので、あとがきの話は単行本についているものです。

文庫にもなってますね


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