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非干渉型夫婦 #6

今日、21歳の若者の恋バナを聞いていたら、彼女が「なんか(彼と)バイブスが合わなくて」という言葉を口にした。知恵蔵によると、バイブスとは"(言葉によらず伝わってくる)雰囲気、心の中、考え方といったことを意味”し、若い人たちが使う言葉ということらしい。確かにカップルにおいては、何かそういう感覚的なものが合わないとうまくいかないだろう。それを我が家に当てはめた場合、我々共通のバイブス的なものは何か、多分それは「お互いに干渉されたくないし、自分の好きなようにやりたい」ということにつきる気がする。例えば、じいさんはすぐにゴルフ旅行を入れたがる。よそのうちは「家庭内決裁」という言葉があるらしく、まずは妻がOKと言わないとゴルフ旅行にいけないと聞く。でもうちにその仕組みはない。妻がなんと言おうと、コグマはゴルフ旅行に行く。「事後報告」システムである。決まったあとに、いついつ行きます、とだけ報告を受ける(もちろん、子供がいないからそれが成り立つというのもある)私も土日に先に予定を入れてから、じいさんに同じように事後報告する。お互いに干渉して自由が奪われたら、ものすごい反発が来るのが予想される。

夫婦でキャリア等についても話し合う家庭もあるやに聞くが、我が家はそこも非干渉型である。私は自分の今後のキャリアプランについて色々考えているが、それをコグマに話すことはたまにあっても、相談はしない。そういうのは全部アウトソース、家庭の外でやる。まず、コグマの興味感心と私の興味関心分野が違いすぎるので話をきちんと理解してもらえないだろう。

先日書いた、”駐妻”について私がグチャグチャ色々思っていた時も、コグマにちらっと話したら「妻はなにか難しいことを言ってます。僕にはわかりません」と、そんなことより魚釣ゲームに夢中になっていた。なので、基本的に私は自分の重要な問題は、自分の中で解決するか、自分の仲良い友達やその道の先輩方に話を聞いてもらう。

特に結婚願望はなかったのに、何となく結婚した時(家賃手当てもらえるし)、「ああ、やっぱり結婚したからって、なんか自分の欠乏感だったり、問題っていうのは解決しないんだな」としみじみ思ったのを思い出す。結婚したからって、所詮夫は他人であり、私の問題は私で解決する以外他ない。結婚しても、残念ながら私は全く変わらないと思った。ただ、当時同じ課にいた先輩二人に「結婚して丸くなった」と言われたので、精神的安心感は何かしら得たのだと思う。この精神的安心感は、我々の場合、「お互いのことはあまりよくわからないし、全く違う思考形態の生き物なのだけど、それはそれとして尊重する」という愛情の形から来ているような気がする。

コグマのじいさんは、一日中横たわって携帯ゲームをし、数字が大好きで、色んなものをデータ化していて(ゴルフのスコアから、パチンコ等の賭け事、自分の散髪の日付、上司の散髪の日付!等々、あらゆるものをデータ化している)、「仕事をせずにイギリスに住めたら最高です(ゴルフ三昧)」「どうやったら楽にお金持ちになれますか」といってギャンブル漫画を読んでいる。「きっと妻がNPOを立ち上げて僕を養ってくれると思っています」と全くよくわからないことを言っている。

この4年間のイギリス生活で、少しは私の言っていること・やっていることがおっさんにも伝わってはいるらしく(アウシュビッツ 旅行記参照)、それはこの4年の大収穫である。がしかし、依然としてお互いにお互いのことはよく理解できない。

でも我々はそれでいい。それが我々夫婦の形であり、”バイブス”なんだと思う。

day6終わり。

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