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ふわふわがいる生活を夢想する #4

私はペットを飼ったことがない。幼少期に、動物を飼うという選択肢が与えられたことは、ない。私の初めてのペットとの出会いは、死んだ婆さんの友達の麗子さん(だいぶ昔に亡くなった)が飼っていた犬の「まりちゃん」というシーズーで、麗子さんは散歩で会うたびに、「ほらまりちゃん、同じ名前のまりちゃんだよ」と必ず言った。うちの死んだ婆さんは4匹くらい犬を飼っていたことがあり、1代目と2代目はすみれ、3代目と4代目はぺぺという(一貫性のないネーミングセンス)。4匹目は、母マサコが社会人になったくらいにパン屋の軒先に捨てられていたのを見つけてきて拾ってきたが、結局婆さんがずっと世話をしていた。片目が潰れてるけれど、真っ白な毛で覆われている美人の犬(シーズー)だったと、ばあさんは白黒の写真をよく見せてくれたものだった。私は5歳まで主に婆さんに育てられたのだが、大正生まれの婆さんは絵本の読み聞かせを私にすることはなかったが、ぺぺがどんなに賢かったかという話とか、婆さんが「行ってきます」と一言言いさえすればちゃんと大人しく家で待ち、言わなかった場合は壁をガリガリ掘ってしまう、という話や、最後どういう風に死んでしまったかを繰り返し話して聞かせてくれた(婆さんが与えた缶詰で下痢をした後死んでしまい、婆さんはこの話で必ず涙ぐむ)。

見たこともない忠犬のぺぺのストーリーは、近所の同じ犬種のまりちゃんのフワフワさと結びつき、小さい頃の記憶がほぼない私の中でも何か暖かい幸せなイメージを喚起させるものとなっている。

でも、ペットを実際に飼おう、という考えには全く至らなかった。ずっと実家にいたからである。社会人になってiphoneを手に入れた時、会社行きたくないなとか疲れたなと思うときは、行き帰りに犬の動画や写真を眺めていた。(当時アイドル犬のポメラニアンのしゅんすけくんにはまっていた)でも、働いているから飼うのは難しいよなあとずっと思っていた。

しかし、会社を辞めた後にふらっと入ったペットショップで、ものすごく可愛い猫を見かけ、ペットを飼いたい!この猫を買いたい!と初めて思い、イギリスにいるこぐまのじいさんに電話をかけた(その頃は離れて暮らしていた)。ものすごいかわいい猫がいるので、かいたい、イギリスにも連れていけるとペットショップのお姉さんが言っていると言うと、「残念ながらうちの家はペット不可です」と一気に夢を絶たれた。じいさんは、「妻は動物を飼うことが何なのかがよくわかっていません。耳とかだって臭いんですよ(じいさんはラッキーくんというゴールデンレトリバーを飼っていたことがある)。まずはたまごっちから始めたらどうでしょう」と言ってくる。確かに、犬の耳が臭いのは、昔窓際のトットちゃんで読んだことがある。(トットちゃんが飼っている犬の耳を嗅いで懐かしい臭い匂いを確認するシーンがあった気がする)。無責任な人間のように言われるのは心外だが、動物を飼ったことがないので、強く言えない。確かに、私の想像上の犬や猫は、ふわふわしていてお利口だが、生き物がそんな思い通りにいくわけがない。

ちなみに、ロンドンでは、ペットはケージに入れられることなく、電車に普通にのってくる。そして生後6ヶ月未満の子犬・子猫の生体販売が禁止されているため、みんなブリーダーさんや保護施設から譲り受ける仕組みになっている。動物愛護の観点から日本より一歩進んでいるが、仕組みでしばらないと、人間は酷いことを簡単にペットにしてしまうという証でもあろう。

覚悟がないとペットは飼えない。私には、想像上の犬と猫を頭の中で飼うのが一番よい気がする。

一昨日も一瞬だけペット飼いたい欲が高まったのだが、ずっと想像やデジタルイメージで満足しているせいか、その映像を繰り返し反芻し、想像するだけで、擬似ふわふわ体験をしているような気分になった。一昨日は、スタッフミーティングの際に、ダイレクターがおもむろに、「今日は新しいメンバーを紹介します」と言って子猫を膝の上にとりあげ、ミーティング中ずっと猫を撫で続けていたのである。シリアスな話を聞いている時も、彼女の指は猫の背中や喉のあたりを撫で続け、猫は満更でもなさそうであった。猫がいるミーティング!!!なんて理想なのだろう。あんな風に猫をなでなでしながらミーティングしてみたい。

最近寝付きが悪くて困っているのだが(昨日は全然眠れなかった。となりのこぐまのじいさんの不眠症が伝染した)、猫の想像でもして眠りに入ろうと思う。

Day4終わり。



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