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「多様性ネイティブ」なフランスの子どもたち

現在2歳の娘は、フランスで生まれフランスに暮らしています。そんな彼女を取り巻く世界を見ていると、ふと「この子は多様性ネイティブだなぁ」と考えることがあります。

多国籍な保育園

たとえば彼女が通う保育園は実に多国籍。アフリカ系移民のほか、スペインやイタリアといった近隣ヨーロッパ諸国、アメリカ、フィリピン、タイなどの国々にルーツを持つ子どもたちが在籍しており、ふたつ以上の国籍を持つ子どもが生徒の大半を占めているのです。(園の廊下の掲示板に世界地図が貼られており、在籍乳幼児の国籍がすべてピンされている📍)

多くの場合、どちらかの親(たいていは母親)がフランス以外の国の出身、もう一人の親がフランス人という組み合わせ(わが家もしかり)ですが、中には「フランスに移ってきたばかり」という家族もあります。

あらゆる言語が飛び交う保育現場

少なくともどちらかの親がフランス語圏の生まれであれば、子どもは家庭でフランス語を耳にする機会を得るものですが、そうでない場合、保育園が子どもにとって初めてフランス語に触れる場所となります。逆にいうと、お話を始めたばかりの子どもたちの口からは、フランス語以外の言語がポンポン飛び出します。

もちろん言語的なことは「多様性」を語るうえでほんの一部の要素でしかありませんが、少なくともこれほどまでに多様なルーツをもった子どもたちが集う環境に娘がいられるということを、私はとてもありがたく感じています。保育園は娘にとって初めての「家族以外のコミュニティ」。子どもの価値観や人格の形成に否が応でも大きな影響を与えるものです。

「あたりまえ」と共有する前提がない

言語的な話を続けると、2カ国以上のルーツを持つからと言って家庭の言語も2言語以上だとも限りません。親がそれぞれの母語で子に話しかける場合もあれば、両親間が英語などの外国語でコミュニケーションをとり、子に対しても第二言語で話しかける場合もあるでしょう。宗教的な点も「親がこうだから子どももこう」とは一概に言えないし、食文化なども百家族あればまさに百通りです。

もちろん日本においても「家庭による」違いはあるものですが、たとえば「主食」と言ったら、多くの日本人家庭では「お米」を指しますよね。一方フランスでは、仮に「フランス人」と言ってもそのルーツや背景は本当にさまざまなので、その「きっとこうだよね」という前提がまったく通用しないのです。事実、私が「毎日お米を食べるよ」と話すと驚かれることばかりです。

みんな違ってあたりまえという考え

社会全体が、「みんな違いがあることがあたりまえ」ととらえているようなところがあるので、知り合ってまもない人だけでなく、距離の近い家族や友人であっても、こうした部分に関してはよく質問をします。(人にもよりますが。)何か不確かなことがあれば「これをしてもいい?」「〜は食べる?」「〜の国では、こういう慣習がある?」などと尋ね合うのです。

ここでは人種的な部分やそれに付随する言語や食文化について例を出していますが、これは性的なこと、アイデンティティにかかわること、政治観などにも通ずる大切な精神ですよね。わからないこと、不確かなことがあれば聞く。その裏にあるのは、相手を気遣い、お互いが気持ちよく過ごすために理解を深めたいという尊重の思いです。

その、ある意味で「人として身につけたいとても大切なこと」に、人格形成の真っ只中にある娘たちの年齢で自然と触れることができる。日本の田舎町に育った私にとってはとてもうらやましく稀有なことだと感じますが、彼らがもう少し成長したとき、彼らとってはこのような環境はあたりまえのものに映るのでしょう。その意味で、今フランスに生きる子どもたちは私にとって「多様性ネイティブ」だと感じるのです。

まとめ

私はこうした教養の本質こそ、環境から学ぶことに意味があるなと感じます。いくら本や授業などで「みんな違います」と習っても、その教室にいる全員が同じ地域の出身で、同じ方言を話しているとすると、具体的に「みんな何がどう違うのか」想像しづらいもの。自分が「違い」を目の当たりにすること、体感すること。すべてに通じる大切なことですね。

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