記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

マルチバースの概念を自分の視点に取り入れてみる〜スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームを観て(ネタバレあり)

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームを観てきました。数年越しにnoteを稼働させてみる。以下 #ネタバレ を含みます。
*
*
*
私はようやく最近アベンジャーズ/エンドゲームまで観終わった、駆け込み的MARVEL超ライト級ファンです。ノーウェイホームの前日にファーフローム観たもんね。
ノーウェイホームが初映画館MARVELとなりました。

海外で公開が始まった一ヶ月前から、いやもう何ヶ月も前から、twitterのタイムラインで超絶盛り上がっていた本作。
ちなみに2020年の10月にトムホくんが「これからスパイダーマン3の撮影!Let's go!!!!!!」とインスタストーリーで投稿したくらいから、映画を待ち望んでいるファンの皆さんの挙動をメインに、その様子を楽しくフォローしてきました。

うっかりすぎる私はTwitterでスパイダーマンのトピックをフォローしていたのを外すのを忘れていため、最もデカイネタバレに思いきり遭遇しており「え、出るの??まじで??そんな噂あるけど本当のところは出ないって本人が発言したって記事を読んだ気が、、え、出るんだ!?!?」と思いつつ本作の上映に臨んだため、スクリーンにトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドが登場した時は「本当だったのかあ…!すっごー!」という気持ちでした。勿論テンションは上がったが、度肝抜かれたほどではない、というかんじ。

MARVEL新参者だということや、ファンというてもライト級であること(理解できてないストーリーも多し)、そして上記の経緯もあいまって、そこまでアメイジングに興奮したわけではないのですが。

ここに書き記して覚えておきたかったことは、
マルチバースという概念って、現実を生きる自分自身の視点に取り入れると、静かに、そしてダイナミックに、世界を見る目が変わる気がするということ。

とうとつですが、小さい頃、ポケモンという生物がいる世界が本当にあったらいいのに!って心から思っていました。
あと、大好きなRPGがあって、その中のキャラクターにめっちゃ真剣に恋してました。
ほかにも、何時間も彼らの生活を観てきて、その心の動きに自分の心も動かされ、彼らが自分の人生を進んでゆく姿に、何度も何度も生きる力をもらった、映画やドラマがたくさんあります。これは現在進行形。

そういう、いわゆるフィクションと呼ばれるものが、
この宇宙のどこかで、いや別の宇宙のどこかで、本当に存在しているのかもしれない、と思ってみること。
マルチバースの概念を、自分自身の視点に取り入れて、あらためて周りの世界を見てみること。
これは相当に、自分の心を熱くする試みだと思います。

そしてさらに、自分もマルチバースのうちの1つの宇宙を生きているのでは、と考えてみます。

あの時ああいう選択をしたら、別の人生があっただろう、なんて考えること、きっとだれでもよくあるのだろうけど、それが、そうなのだ。本当に別の人生があって、その人生は現在進行形で展開されている。
そう仮定してみたら、一瞬、じぶんの今の世界が情けないものに思えた。
違う選択をしていたら、もっと立派な人間に慣れていたかも。もっと普通になれていたかも。こんな変な人生は歩まなかったのかも。と。

だけどさらに視点を変えてみた。
いやいや、いろんな選択肢があって、その中から一つをこの私が選んできて、そして構築された今の世界がある。
この、なんともいえない、オリジナルな世界が。
え、じゃあ、この人生って唯一無二なんだ。
あ、この人生を任されてるのって、この私だけなんだ。
そんな思いに行き当たる。

そして、これはノーウェイホームとコンフリクトする視点だけれども、
どんなバースの私も、基本はこの私と変わらないのでは、と思うんだよね。
いや整形手術をして見た目を変えるとか、想像もつかない出会いをして人格も雰囲気もまるまる変わってたりとかはあると思うんだけど・・・
私が今の世界を「間違った選択をしてきたのかなあ。だってこんなにパッとしないもん」と思っていたら、
別の世界の私も、例えば何か喜劇があって何かの著名人になっていたとしても「間違った選択をしてきたのかなあ。だってこんなにパッとしないもん」というテンションで自分の世界を見ているのではないか…
そしてその世界の私は、この世界の私がとった選択肢をもし選んでいたらきっともっと良かったはずなのに、などと思っている。
そう、別の世界から羨ましがられている可能性があるのだ。

え?羨ましい?パッとしないってば!!全然。
と思っても、別の世界の私、つまり別の視点から見たら、
いや超いいじゃん!!何その人生!!私もそっちを体験したかったよ。
などと思われたりね・・・

何が言いたいかって、視点を変えてみることの凄さ。
そして得てして隣の芝は青いということ、けれどそれは青く見えるだけ、だがそれは本当に青く美しく感じていいのかもしれないってこと。

あと、このバースを生きている私は、とんでもない数の選択肢の掛け合わせでできた世界にいるわけで、そんな超絶ミニマムな確率で出来上がったこの世界で、私が出会えた人々、自分の生きる環境、この地球の歴史、それがどんなに貴重なものであるか。。

マルチバースの概念を、自分に取り入れてこの世界を感じてみると、
こんなふうに思考が展開していきました。

ノーウェイホームで、ピーターは自分の選択によって、大事な人を失ったね。
けど死の直前にその本人から「あなたは正しい」と言われてた。
そう、正しいんだと思います。
私たちがとってきた全ての選択肢。
どんなにずるくて邪悪で忌むべきものだとしても。
その選択とその後の展開を自分が本当の意味で受け入れた時に、正しいものとなるんじゃないかな。

ピーターが今までにないほど独りぼっちの人生を歩み始めた本作。
やっぱり彼には、ワチャワチャと賑やかでポップな日々を送っててほしかった。

しんどい時期を過ごしている時、「これでよかったんだ」なんて、なかなか思えないよね。

時間しか解決しないこともある。
うずくまって、この身に受けたダメージをかばうことしか出来ないこともある。
何にも進んでいるように思えず、絶望したり。
傷の種類によっては、身体を侵食していくものある。現実として。
そういうとき、私自身がとってきた行動って、
自分を諦めないことくらい。
身体が言うことを聞かなくても、どんなに心が荒んでいっても、
自分を諦めることはできなかった。
だから、ただただ、もがいてた。
今そこを脱したように思うから、だからこそ思えることだけど、
ただただ、もがく。
それだけで良かったんだと思う。

アンドリュー演じるピーターが受けた、とんでもない心のダメージが、
何年も経った今、昇華されるシーンがある。
それぞれが取った行動が、こんな奇跡を起こすこともある。

グウェンを失ったあと、どうしたって自分を許せなくて、ただ人を殴ってた、というセリフがあった。
でもピーターは諦めないでもがき続けたんだね。諦めないでくれて良かった、と思う。

ピーターは確かに、悲しい展開を招く選択をしたのかもしれない。
でもそれが彼の「バース」だった。彼しか引き受けられないバースだった。
そして彼だけのやり方でその展開と向き合ってきた。
アメスパ3は製作されなかったから、私たちは彼のその戦いを知らない。
けど、彼は彼のバースで、戦っていたんだね。
今、世界中の映画館で、その戦いが報われたことを、うれしくおもいます。

さて、トムホランドピーターは、この後どんな人生を歩んでいくのかな。

世界中のファンの心の中では、もうこの先に様々な展開を見せているのかも。
彼らは胸を熱くしてピーターのことを想っている。
架空の人物なのに。
でも、架空じゃないと、考えてもいいと思うんだよ。
(架空か、架空じゃないかなんて、どれくらいの差があるの?私たちが感じてる世界は自分の認識でしかないのだから。と言うこともできるわけだし。)

私たちはこの人生で、街中を飛び回る実在のスパイダーマンと出会うことは、まあ多分ないでしょう。
けどいるんですよ。別のどこかの宇宙に。

そう思ったら、私たちの心の動き自体が、宇宙なのかな。

そんなことを思った、スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?