自己肯定感が低かった

今日はオラクルカードでいただいたメッセージ。

「書く」ということをしなさいと言われた。自分のことを表現しなさいと。

今思いついたのは、このNOTEだった。

私について書いてみる。



みんなは私のことをすごい人だと思っているかもしれない。

ま、何している人かわからないかもしれない。

ファイナンシャルプランナー1級技能士(お金の資格)を持っていたり、

社会福祉士もっていたり、

なんかノビルスクールみたいなスクールをしていたり、

今度は名古屋市の金山駅でマルシェを主催したりする。

ワークライフバランスのことを勉強していたり、

そのうえ、占い師みたいなスピリチュアルなこともやる。

あんた、いったい何者なんだ?

そして、いったいあなたはどこを目指しているの?

何がメインなんですか?

共育アドバイザーって何なんですか?

そんなことをよく聞かれる。

いやーーー、実は自分でもよくわかっていない。

だからやりたいことだけをたくさんやっている。

共育アドバイザーは造語だから、どんなふうになっていくかわからない。

でも、枠がない分、どんな風にも形を変えられるからいいと勝手に思っている。



さて、私のことを書く前に、私には兄弟がいる。

以前書いた障害の姉、甥っ子の父親の兄、もう一人の姉がいて、4人兄弟だ。

年齢としては13歳上、11歳上、7歳上。

つまり、私はめちゃくちゃ下なのだ。

私を形成したのは、この4人兄弟。

正直なところ、とてもほっておかれて私は育った。

母は4人を育てながら、自転車屋で働いていた。

忙しすぎる。

洗濯して掃除して、ご飯作って、育児して、店で働いて。。。

今考えると本当にすごいと思う。

私はやれない(笑)

でも母を見て育ったから、女の人でも働くのが当然だと私は思っていた。

ちなみに私はほっておかれた。

赤ちゃんの時にもおっぱい飲ませて、そのあとほっておいたと母親に言われた。

たくさん一緒に遊んだなんて記憶はない。

だからかまってほしかったのだと思う。

「こっちを見て」

「こっちを気にして」

「私を見て」

ずっと叫んでいたんだと思う。

小さい頃は、ケガばかりしていた。

母から言わせると、私と姉はそっくりだ。

でも、写真で違うところはケガしているかどうか。

ケガしているほうが私で、ケガしていないほうが姉。

どこまで落ち着きがないんだ、わたし。



一番上の姉は、障害ということで母に見てもらえた。

兄は男の子だったから、母はかわいい。

うちでは男尊女卑のうちだった。

女は台所でご飯をたって食べたりする。

でも男は座って、「お茶!」「ご飯!」

そんな風に言えば、ご飯もお茶も女が出さないといけない。

昔のうちならあるあるだ。

今の時代とは全く違う。

真ん中の姉は、とても頼られていた。

店の片付けなどを手伝ったり、配達に一緒に行ったり。

料理を作ったりと、母の手伝いをたくさんやっていた。

私は、どこで母に見てもらえるんだろう?

認めてもらいたい私。

そして、何で勝負したかというと、「ケガ」だったのかもしれない。

ケガをすることで母を独り占めできる。

ほかにも自分が目立つようなことをやっていた。

「勉強」だ。

姉は幼稚園の頃から付属幼稚園にいっていた。

私も受けた。

でも、落ちた。

小学校でも受けた。

でも落ちた。

中学校でも受けた。

でも落ちた。。。。。。。。。

つまり、受験でことごとく落ち、私は勉強できない子の烙印を押され、

勉強では姉にかなわないと思いつつも、姉に追いつきたい追い越したい一心だったんだと思う。


そんな私だったから、頑張ることが当然だった。

認めてもらうため、お母さんに振り向いてもらうため、

かまってもらうため、私に時間を作ってもらうため、必死だった。

ハムスターがカラカラ回してずっと走り続けるように、

私もずっと走り続けていた。

走り続けるのが当然で、

他人に認めてもらうために頑張った。

そして、認めてもらえたら、もっと頑張らなくちゃともっとエンジンをきかせて走り続けていた。

そんな風に親に認められたい気持ちで走り続けている子供たちを見るとき、

今は思う。

「そんなに頑張らなくてもいいのに」

そして親に思う。

「頑張らせているのは親なんだよなー」と。

「生きているだけで丸儲け」って誰かが言っていた気がします。

(遺留捜査の上川隆也風)

それはいいとして、

私は走り続けてた。

だからこそ、自分で自分を認めるってことをしてこなかった。

自己肯定感が低かったのだ。

日本人は謙遜する。

「自分なんて・・・・・」

私もそんな風に育った、純粋な古めの日本人だ。

周りに認められても母は振り向いてくれない。

母に認められるためにもっと頑張る。

頑張らなければならない。頑張ろう。頑張れば、見てもらえて愛される。

そんな風に考えてきたのだ。

自己肯定感はとにかく低かった。

周りと比較ばかりしてきた人生だった。




なんか書いているとさみしい子供だなと思う。

本当にかまってちゃんな私。

でも、強がってきた私。

そんな私でも生きててよいんだとみんなが思えて、幸せになっていけたらいいなと勝手に思っている。

私の野望は「みんなが幸せな世界をつくる」だ(笑)

幸せな形なんて人それぞれ。

だからこそ、みんな幸せの形が違う。

そこに私は貢献出来たらいいなと思うんだよね。

貢献なんて仰々しいものじゃないし、そんな志高くないし。

とにかく、みんなが幸せで笑顔であればいいと思う♡

幸せになーれ😊

その自己肯定感をどんなふうにあげていったかは、また別の機会に書こうと思う。

早く知りたい人は、ライン@を動かし始めたので、登録して、個人的に聞いてください。


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