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地域おこし協力隊2か月目 ~倉敷は「歴史と移住の街」なのかもしれない|2024.大寒・雞始乳

雞始乳(にわとりはじめてとやにつく)

【大寒】 一年でいちばん寒さが厳しくなるころ
初侯:欵冬華(ふきのはなさく) 1月20日~1月24日
次侯:水沢腹堅(さわみずこおりつめる)1月25日~1月29日
末侯:雞始乳(にわとりはじめてとやにつく)1月30日~2月3日

茶道手帳2024
やっぱり今日も、倉敷館の2階が好き

・初めての海外までひとり旅「パナマ」

「鶏」といえば。

わたしが生まれて初めての海外まで一人旅の目的地に選んだ地は、中米パナマだった。学生時代、仲良くしていた先輩が青年海外協力隊として働いていたその地を訪ねに行ったのだ。

初めて一人で乗った国際線の機内より

「パナマに行ったことがある」と話すと、たいていの人が「パナマって何があるの?」と尋ねてくれるのだけれども、自分でもぱっと思いつくのはパナマ運河の広い空と、カリブ海の透き通るような海くらい。

パナマ運河
サンブラス諸島から眺めるカリブ海

それよりも、わたしは初日に食べた「サンコーチョ」というスープにえらくハマって、滞在期間中自分でもそのサンコーチョを何度か作っては食べたことをよく覚えている。

パナマ初日に食べたサンコーチョ

サンコーチョは、鶏肉とイモ類の入った野菜のスープ。イモはユカ芋というタピオカの原材料と同じ芋が使われていて、トロっとした食感が何とも言えない。

地元の人たちいわくスーパーで買ってきた鶏肉を入れて作るそれは「サンコーチョ」ではなくただの「野菜スープ」であって、鶏を絞めるところから自分の手で作ったものだけが正式な「サンコーチョ」だという。

鶏が闊歩する国パナマ

パナマの片田舎はそこらじゅうを鶏が歩き回っていて、昼夜問わず「コケコッコー」と大きな声で鳴きながら町中を闊歩していた。

もちろんわたしたち日本人は鶏を絞める経験なんてほとんどしていないので、わたしが当時作ったサンコーチョも地元の人たちに言わせれば「野菜スープ」だったのだけれども、あれは美味しかった。

わたしたちが見よう見まねで作ったサンコーチョ

とはいえども「パナマって何があるの?」と尋ねられたところで「サンコーチョに大ハマりした」と答えるわけにもいかない。だって、この600字近いエピソードを話さなければならないし、多分相手もその味を想像できずに「ふーん……」となって気まずい雰囲気になる未来しか見えないのだもの。だからやっぱり、無難に「パナマ運河」とか「カリブ海のサンブラス諸島」なんて答え続けてはや6年。

ちょうど6年前のサンブラス諸島

・倉敷で「サンコーチョ」と再会しました。

そろそろ2月になるし、来月はどんなところに取材に行こうか……とInstagramを眺めていたら、美観地区で開催予定というマルシェのチラシに見覚えのあるカタカナを見つけた。

上島提灯Instagramより

そう。あのサンコーチョ

パナマで買いだめしてきたサンコーチョの素はとうに使い切ってしまい、ユカ芋にも出会えず、当時パナマに住んでいた先輩も帰国してきて、すっかり疎遠になっていたあのサンコーチョが、倉敷美観地区で食べられるというのだ。

1月28日の日曜日。
「これはもう、運命なのかもしれない」と、午前の予定を終えたあと、自転車で美観地区の上島提灯へ。

到着すると、エネルギッシュなお姉さまがサンコーチョの入った鍋をぐるぐるとかき混ぜていて。(うんうん。この香りだ……!)と胸が高鳴る。

Armoniaさんのサンコーチョ

・Armonia

勇気を出して「あ、あの。サンコーチョを食べに来たんです!」と声をかけると、その店主のお姉さまの顔がぱっと輝いて「えーーー!サンコーチョを食べに来たなんてお客さん、初めてかも」と嬉しそうにお話をしてくださった。

サンコーチョはパナマの国民食だけれども、中米ではよく食べられている料理のひとつで。彼女は、ドミニカのレシピを参考にこのサンコーチョを作っているとのこと。

とにかく青がきれいなところだった。

海外までひとり旅をしてから、はや6年。もうすっかり思い出となっていた食べ物と、この倉敷という街で再会できるとは夢にも思っていなかった。本当にびっくり。

この日は、サンコーチョをテイクアウトして連絡先を交換して帰宅。お家で食べたサンコーチョは、どこか懐かしいあの味で。今度はお店に食べに行って、あわよくばサンコーチョの作りかたも教えてもらおうと思っているところ。

Armoniaさんの情報はこちら

倉敷市地域おこし協力隊になって、2か月が過ぎた今

そうそう。最近は、くらしき日本遺産検定を受検することになったので、美観地区にある日本遺産検定関係スポットをゆるゆると散策していて。その中で教えてもらったのが「新禄」とか「古禄」というワード。

障がい者が地域おこし協力隊になったら。情報弱者になりがちな聴覚障がい者が、「発信者」になる世界になったら。|2024.小寒・雉始雊

上記のnoteでも取り上げたけれども、倉敷という街はハザードマップが真っ赤。倉敷は街の真ん中に大きな川が流れていることはもちろんのこと、もとは海だった地域を干拓した土地が非常に多い。

美観地区の町屋

そんな倉敷美観地区は、以下のような構成で現在の街が作られているとのこと。

【古禄】:坂の上にある阿知神社のような高台にある歴史あるお家。元から住んでいた人々。
【新禄】元禄時代以降に綿の仲買でやってきた人々。干拓して居住エリアを広げて、紡績業を発展させた。
【町屋の人々】太平洋戦争前後に倉敷に移り住んだ人々。

こちらはまだまだ勉強中なのだけれども、倉敷という街は移住者と共に可能性を広げていく街なのでは?……と思っていて。移住者たちと昔からこの地にいる人たちが融合して、街の暮らしを大切に守りながら今とこれからを作っているのかもしれないなぁ、なんて、そんなことを。

古禄「井上家住宅」でみつけたくらしき格子
新禄「大橋家住宅」の暮らし

と思うと、美観地区という昔ながらの街並みで中米料理であるサンコーチョが受け入れられているのもなんとなく頷ける。古くからある景観とその暮らしを大切にしつつ、いろんな文化を受け入れ合うマルシェ。

そういえば、倉敷に来たばかりの頃に取材した「Kurashiki Christmas Market 2023」もまた、歴史ある町の一角で新しい文化が取り入れられたイベントのひとつだったのかも。

もちろん、古くからあるこの美しい街並みを守ってきた人々が守ってきてくれた歴史があるからこそ、わたしたち移住者は「倉敷に住みたい」と思うのであって。

時を経てもこの景観が続いているという歴史の背景を
移住者として情報発信者として学び続けたい

この街の歴史と、この街を守る人々の思いをしかと受け止めながら。今の、これからの「倉敷」を伝えていけるライターでありたいなぁ……なんて思う、地域おこし協力隊2か月目なのでした。






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