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子育ちと親育ちに時短はないって話

最近、色々なことに時短、効率を求めている自分に気づいた。(タイパっていうんでしょうか)

一年前まで公私ともに激務で、便利家電やシステムを整えておかないとパンクするくらい(というかしていた)忙しい日々を送っていた。

その時のなごりなのか、時代のせいなのか、何でも「もっと早く」「もっと効率良く」できるように、という感覚が常に自分の中に生まれている気がする。

ところがこれを育児にも応用しようとする傾向があって、それに気づくたび、いけないいけないと自分を諌めている。

どんなに時代やデジタル機器がスピード上げて進化しても、子どもの発達は劇的にスピードアップしないわけだから、子育てにおいて時短、効率を求めることはすべきではないと頭では分かっている。

「早くして」
NGワードとして私のなかでは定着しつつあることばだけど、まだつい口から出てしまう。

子どもが本当に手がかかるとき、早くこの状況がなんとか改善されないものか、と強く思う。
あの手この手で解決策を見いだそうとして、調べたり話を聞いたりして、焦る。
だけど、だいたいの答えは、「今は大変だけど、時が解決する。数年後、あんなことあったなと笑い話になる」というところに落ち着くのだった。
焦りが生まれるのは、その時のモヤモヤしている不安定な心から一刻も早く解放されたいだけなのだ。
その不安と向き合う心の強さ、忍耐力が、40も過ぎてまだ備わってない。

人間日々修行だよね、と夫は苦笑するけども、じゃあどうやったら強くなるの?早く強くなりたい!と思ってしまう私は、やっぱりその思考の癖が抜けないでいる…。

焦らず、ゆっくりと。
心と行動が一致する日に向かって、少しずつ進んでいきたいと思う。

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