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005 写真

なぜ写真を撮るのか。


写真を撮るのは、多分、いつか消えるとわかっているからだ。

なんでもない日のなんでもないことが、いつかどうしようもなく恋しくなるのはわかりきっている。でもそうゆう月並みを撮るのは簡単ではない。それがいつか本当に消えるとわかっていなければシャッターは切れない。

なんでもない日のなんでもない光景を撮れる人は多分、何かを何の前触れもなく失った経験がある人なんだろうな。


写真撮るの、好きだったんですよ。iPhoneが5とかの時代から。

頭を経由せずに心が傾くままシャッターを切っていく感覚が、好きでたまらなかったあの場所にいる時の感覚と、似ていたのかもしれない。

言葉にならない感性を、撮ることで表せる気がして。夢中だった。


ではなぜ撮るのか。撮りたいと、思うのか。


写真を撮るのは、いつか消えると、わかっているからだ。目の前にある光景はいつかなくなる。頭のなかにある思い出もいつか記憶からこぼれ落ちる。だから、残しておこうと写真を撮る。いつでも見れることが保証されていれば、写真を撮る必要なんてない。

だとすると、写真を撮るということは、視線の先を失うことを、肯定してしまうということではないのか。

そのことをはっきり自覚した時、撮るのを一切やめた。


カメラロールの写真をスクロールする必要がなくなった頃。
友達が机に置いた大学貸し出しの一眼レフをふと手にとってファインダーを覗いた時、やっぱり、撮りたいと思い始めて。それから3年が経って、着地したことがある。


もう認めた。抗うのはやめた。失うことを。


ここ数年、また来年も、と思ったことが実現したことが、ほとんどない。

次なんてないのだ。同じように過ごせることなんて。自分の意思だけならまだしも、そこに他人の心までもが揃わないと。心があっても状況が許してくれないことだって山ほどある。今全世界がまさにそうだろう。

全てが、もう二度とない時間で。同じ日は二度とない。同じところに光は当たらない。


ただ一つ、あの頃と変わった解釈がある。


いつかなくなること、二度とないこと。それは悲しいことではなく、だからこそ眩しくて、だからこそ人の心を動かす。


だから撮ることにした。
そこにある美しさも、それを美しいと思う私の心も、二度とないから。


#写真 #エッセイ  

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