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世間では議論したりしてみてもあまり意味がないことがありますか?



※約一年前、インターネット上のサイトQuoraにタイトルどおりの質問文が投稿され、私は回答しました。本稿はその文章を加筆修整したものです。


 とても難しい質問だと思いました。
 
 議論したりしてみても「全然」意味のないことなら、いくらでもあります。

「人生いかに生きるべきか」とか「人(あるいは国家)はどうして争いを止めないのか」とか「カレーライスには福神漬けとラッキョウのどちらが良いのか」とか、キリがありません。

 しかし「あまり」意味がないこととなると…うーん、難問だ。

 私とその周辺では「ジャイアント馬場とアントニオ猪木、どちらを支持するか(二人とも故人なのですが現在形)」になりますが、それを「世間では」と考えるほど、私も似たような輩(やから)どもも世間知らずではありません。

 これと似たような議論に思いを致すならば、「『痩せ我慢の説』で勝海舟に批判の鉾先を向けた福沢諭吉と批判されてシカトこいた勝、どっちが正しかったのか」あるいは「ともに剣の達人であった勝と福沢、真剣で戦ったらどっちが強かったのか」といったあたりになるのではないでしょうか。

#議論 #難問#哲学#ジャイアント馬場#アントニオ猪木#勝海舟#福沢諭吉#痩せ我慢の説#節操#咸臨丸#剣の達人#ナンセンス


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