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【詭弁使いの手口】馬鹿だからの詭弁に騙されるわけではない/不寛容の原理【きまぐれエッセイ】

寛容の原理とは、例えば相手の議論が複数の意味で理解されるとき、できるだけその議論が妥当となるように、相手に都合よく解釈してやることを言う。
不寛容の原理はちょうどこの逆で、相手の議論が複数の意味で理解されるとき、できるだけその議論が誤りとなるように、相手に不利に解釈しようとすることである。

[論理病をなおす!処方箋としての詭弁/香西秀信]

不寛容の原理とは何ぞや。これを語るにあたり、まずは寛容の原理から紐解いてみよう。
寛容の原理とは、他人の言葉に耳を傾け、その背後に潜む意図をできる限り良いものとして受け取ろうとする心の姿勢のことである。
例えば、友人が「君のアイデアは面白いけど、ちょっと変わってるね」と言ったとき、ここで寛容の原理を働かせるならば、「変わってる」という言葉を「独創的」と捉え、友人が褒めているのだと解釈する。こんなふうに寛容の原理を使えば、世の中の大半の言葉は温かく、そして建設的に感じられるだろう。

さて、そんな温かな心に対する氷の刃、不寛容の原理について話を進めよう。
不寛容の原理とは、相手の言葉をできる限り悪意に満ちたものとして解釈し、相手を貶めるための手段とするものだ。詭弁使いはこの不寛容の原理を巧みに操り、議論を自分に有利に進める。
例えば、同じ「君のアイデアは面白いけど、ちょっと変わってるね」という言葉を受けたとき、不寛容の原理を使えば、「変わってる」という言葉に引っかかり、「この人はあたしを馬鹿にしているのか」と思うだろう。そして、その感情を利用して攻撃に転じる。「君こそ変わってるなんて失礼なことを言うね」と返せば、相手は防戦一方になる。

この不寛容の原理は、現代のコミュニケーションにおいても頻繁に見られる。インターネット上のコメント欄やSNSでは、たとえ善意で発せられた言葉であっても、それを誤解し、攻撃材料にする人が少なくない。
たとえば、「その服、似合ってるね」とコメントしたら、「似合ってるとでも思ってるの?」と返される。こうして小さな誤解が大きな亀裂を生み、対立が深まるのである。

しかし、この不寛容の原理を逆手に取る方法もある。
それは、相手が不寛容の原理を使ってきたときこそ、こちらは寛容の原理を持ち出すことだ。
例えば、「君の意見は間違ってる」と言われたとき、「なるほど、あなたはこう感じるのね」と受け入れ、その背後にある考えを理解しようと努める。すると、相手も次第に心を開き、建設的な対話が生まれることもある。

結局のところ、不寛容の原理は一時的な勝利をもたらすかもしれないが、長期的には何も得られない。真に価値のあるコミュニケーションは、寛容の原理に基づくものだ。
だからこそ、誰かの言葉に引っかかったとき、その言葉の裏にある意図をもう一度考え直してみよう。それがきっと、より良い関係を築く第一歩となるはず。


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