「悩みの時に何を捨てるか」(大川隆法著『奇跡の法』より)
いつも私の記事をご覧くださり、本当にありがとうございます。
大川隆法先生の法話・著書の中から、おすすめの作品を紹介しています。
今回は、「悩みの時に何を捨てるか」をご紹介したいと思います🌷
こちらは、大川隆法著「奇跡の法」所収のご法話「運命を逆転させる法」からの抜粋になります。
公式YouTubeに音声がアップされていましたので、文章で抜粋させていただきますね☆
余裕のある方はぜひ、音声にて味わってみてください。
「悩みの時に何を捨てるか」
釈迦仏教では「執着を捨てる」ということでよく(教えを)説きました。
これは思想的で宗教的で哲学的な課題ではあるんですけれども、
しかし、実人生を生きるうえでも、大事なことなんですよ。
人が悩むのはたいていの場合、執着なんですね。
「あれも欲しい これも欲しい」なんですよ。
あれもこれも欲しいんですよ。
あれもこれも欲しくて、それがお互いに矛盾しているんです。
たいていの場合、矛盾しているんです。
たとえば「酒は飲みたいし家庭も大事だし」というの、このような話です。早い話がね。
「酒がやめられない、毎晩酒がやめられない、飲まずにいられない、
人生、酒がなくなったら暗闇だ」ということで、酒がやめられない。
しかし「家庭も大事だ」と。
「家庭を失っても困る どっちか」と。
矛盾してますね。こんなことばっかりです。
たとえばね、たとえて言えばですよ。
それ以外にもいっぱいありますけれども、矛盾するようなものなんです。
結局はですね、もっと単純に言えば、「何を捨てるか」の問題になるんですよ、最期はね。
だから、積極的に「何を手に入れるか」というようなことでみんな頑張りたがるんですけれども、仏教的に攻めれば、今度は「何を捨てるか」の問題。
これは執着の問題と一緒ですね。
結局、「何を捨てるか」なんです。
何か捨てたら、実は幸福になるんですね。
やはり、選択ですから。
「何を捨てるか」ということをやはり考えなければいけないです。
たいていの場合は矛盾するんです。
苦しむ理由は欲があるからですね。いろんな欲がある。
いろんなものを手に入れたい欲があって、それがお互い相反するからですね。
だから「何を捨てるか」という観点も大事です。
苦しんできたら、問題が大きくて、
苦しんで来たら、たいてい執着が大きくて、
「あれもこれも欲しい」と思っているからなんですね。
それがお互いに矛盾するんです。
人生なんでもやりすぎると、みな矛盾することになっているんです。
持ち時間も限られていましてね、その持ち時間を何に使うかということなんで、矛盾したものがいっぱいあるんです。
どれも楽しいんです。
どれもいいこといっぱいあるんです。
いっぱいあるんですけど、ダイヤモンドいっぱい懐に入れたら、重すぎて歩けないんです。
だから選ばなければいけないんですね。
選ぶには「どれが最高か」という選び方もあるけれども、「何を捨てるか」という選び方だってあるんです。
だから、「どれが最高か」という選び方は難しいかもしれないけれども、執着で苦しんでいるんでしたら、「何を捨てるか」と。
捨てるのは捨てられるんですよ。
これは、川で舟に乗ってて、積み荷が重かったら、捨てざるをえないでしょう。
舟が沈むと思えば、大事な大事な家財道具だって捨てていくはずでしょう。
だから「何を捨てるか」ですね。
だから、悩んで苦しかったら、捨てるものを決めなきゃいけないんですよ。
捨てたら楽になるんです、その分だけ。
だから、どうしても「どれを取るか、持っていくか」、苦しくて苦しくてしょうがなかったら、
「何を捨てるか」、逆にね、
「何を捨てるか、いま何を捨てたら、いちばん楽になるか」ですね、これを考える。
やっぱり大胆に捨てなきゃだめなんですね。
捨てたら、その分だけ執着が減って楽になります。
苦しくなくなるんですよね。
やっぱり人はね、地位を求めたり、名誉を求めたり、財産を求めたり、健康を求めたりですね、
またその他いろいろ、職業上のいろんなものを求めたりですね、
なんだかんだといろんなものを欲しいものなんですね。
危機の時になったら、やっぱり、捨てていかなきゃいけないことがあるんですね。
何を捨てるかですね、何を捨てるか。
だから「何を捨てるか」ということになったら、
けっこう自己判断できますから、自己判断できる。
「何を捨てるか。あなたは何を捨てますか」ということですね。
「何を捨てていきますか」と。
服を一枚一枚脱ぐように、「何を捨てていきますか」ということですね。
これを考えれば、悩みはまた、ある意味で減っていきます。
「何を捨てるか、捨てられるか」
これを考えることですね。
〈感想・気づき〉
これでもか、というくらい、「何を捨てるか、捨てられるか」を問われることになった今回のテーマ。
人は悩むのは、たいていの場合、「あれも欲しい」「これも欲しい」という執着なんですね。
実力が足りないのに、沢山の案件を抱えこもうとしたり。
一人の力ではどうすることもできないのに、やりたいことを一気に背負ったり。
その結果、自分で自分が支えられなくなり、いつのまにか舟が沈んで行ってしまいます。
そんな時は、「どの積み荷なら降ろすことができるか」を判断すること。
人は意外と、危機の時に遭っても、「何を捨てるか」の判断はできることもあります。
どうしようもなく行き詰まり、悩み苦しむぐらいなら、捨てることで楽になることもあるのではないでしょうか。
たとえば、仕事と家庭の両立で悩んだ時。
子育てが最低限やるべきことであるならば、仕事の割合を減らしてみる。
もしくは、仕事が絶対に負けられない戦いであるならば、家事で諦める部分をつくったり、誰かの力に頼る。
このように、自分としての優先順位を冷静に判断し、捨てていくことができる人というのは、結局、仕事能力・問題解決能力の高い人になっていくのだと思います。
悩みの時には、判断能力を上げること。問題を小さく切り分けたり、何を捨てるべきかを明確にすること。
どうしても自分がやらなければならない事というのは、突き詰めていけば、意外と少ないものかもしれません。
仕事論的にも、仏教的にも、「捨てる」ことが上手な人というのは、非常に賢い選択ができる方になります。
仏教の王道は、「執着を断つ」ということ。
逆説的ですが、自分が「これは手放せない!」と思っているものを思い切って手放すことで、心の重荷を下ろすことができ、楽になることもあります。
手放すこと、執着を断つことが、楽になることに繋がる。
苦しみ・悩みの渦中にある人にはぜひ、この観点を大事にしてみていただきたいとも思います。
〈まとめ〉
今回のポイントを軽くまとめておきます。
人が悩むときは大抵、「あれも欲しい、これも欲しい」という執着。
「あれもこれも欲しい」が、その欲しいものが矛盾している時に、苦しみが生じる。
苦しむのは、欲があるから。
最期は「何を捨てるか」の問題。
悩み・苦しみの渦中にいる時は、「何を捨てるか、いま何を捨てたら、いちばん楽になるか」を考える。
仏教的には「執着を断つ」。何かを捨てた分、楽になれる。
最後までご覧くださり、誠にありがとうございました。
※本日の記事はこちらのマガジンに所収されます。↓↓
※自己紹介&サイトマップはこちらです♪↓↓
※「X」もやっています!よろしければフォローいただけますと嬉しいです♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?