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湊かなえ『母性』を読んで

ごきげんママ♡は怖い話が嫌いだ。夜寝る前に読むと夢に出てきたりして具合が悪い。テレビでも殺人のニュースやドラマはすぐにチャンネルを変える。それなのになぜ湊かなえ?「ママ」としての28年をもう一度見直そうと「母性」というキーワードで検索すると出てきてしまったのだ。

2、3ページ読んだだけでしまった、とんでもないものに手を出してしまった、と思った。読みやすいのだ。さらさらと読めてしまう。多分この作者の本は3冊目。読んだのはずっと前だったのでタイトルも忘れたが比較的マイナーな作品だった。パンドラの箱を開けたかも⁉︎ぞくぞくが止まらない。

『母性』は2012年の作品だが、今回手に取るまで知らなかった。読書メーターによると10000万件以上のレビューが寄せられているので世間では知られている小説なのか。

各章ごとに母の手記と娘の回想がセットになって繰り広げられる。登場人物の全員がどこにでもいそうでありながら少しずつ歪んでいるのが湊かなえの作品と言える。「愛能う限り」というフレーズが何度となく繰り返される、リルケの詩集とともに。母はその母を愛していたが娘を本当に愛することは出来なかった。母の母の、母に対する愛が本物かどうかも怪しいものだ。

愛を知らない人に限って「愛」という言葉を多用すると作者は書く。これは特に日本においてはそうかもしれない。アメリカ人のように”I love you “を口にする人種ではないから。子どもはいつも誰でも母の愛を求めている。本当に愛されなかった子どもは無味無臭の世界で生きている。ずっと母の顔色を伺いながら。

主人公の夫もまた酷い。これから読む人のために書かずにおくが最悪な展開が待っている。それもまた育った家庭を知るとさもありなん。納得と同情とやり切れなさを覚えずにはいられない。

作者は瀬戸内海の島の出身らしく田舎の人間関係を描くのが上手い。都会には都会の闇があるように田舎にはまた田舎の闇があるものだ。主人公の嫁いだ家は田舎の名家。弱みにつけ込む近所の霊媒師もどきも違和感なく現れる。どこにでもありそうな悲劇なのだ。

読み進めながら自分のことを省みて、本当に子どもを愛してきたか、本当に親に愛されてきたかを問うことは苦しすぎた。精一杯の愛情を受けて精一杯の愛情を注いでのこれまでだったと思うが親を喜ばせたいと思う気持ちは登場人物となんら変わりがない。突き詰めて考えることは人を病ませるように思う。突き詰めるのは小説の中だけで充分だ。完全な愛などあるはずもなければ完全な人などいるはずもない。みんな何となくぼやかして生きていくのが幸せだとごきげんママ♡は思う。















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