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結局家ってなんですか。

ごきげんママ♡の実家から、祖母の50回忌のお知らせがありました。記憶にある最初の身近な人のお葬式でした。あれから50年!亡くなって50年経っても覚えて法事をしてくれる人がいるってすごいなあ。

結婚式のことを思い出します。白いウエディングドレスを着たかったのに神前式にするようにごきげんパパ♡の方から言われました。文金高島田?角隠し?まあ、それでもいいやと折れました。まだまだ猫をかぶって初々しい頃でしたから。

結婚式の当日はお姫様にでもなったかのように支度室で大勢のスタッフさんが私のためにお世話を焼いてくださり夢のような時間でした。ホテルの神前式の雅楽の奏者の方たちを見ていると不謹慎なことに笑いを堪えるのに苦労しました。結婚式のない日は何をされてるんだろう、などと余計なことを考えてしまう困った花嫁なのでした。

両家の親族の紹介などしあって、神主様が末長い両家の繁栄を祈ってくださいました。その時のことを後から何回も反芻するようになるとは舞い上がっていたその時は思いもしませんでした。

新郎側の家族は増えて子孫繁栄して続いていく可能性はあります。新婦側はどうでしょうか。今は奥さんの家の方に寄っていくことが多いとはいえ、苗字は大切と思うのです。日本人の96%は新郎側の姓になるとききます。実家で50回忌ができるのも弟一家があってこそ。女の子だけの家は結婚して改姓したらそれで子孫繁栄とは無縁なのか。また、子どもが男女問わず結婚しないで一生終えたらそれで家は終わりなのか。結婚しても子どもを持たなければ…

などと考え始めるとあの神主さんの詔がごきげんママ♡にとってはとんでもない呪縛のように思えてくるのです。社会は刻々と変化しているようで根っこのところは古いまま。家を守るということが大切だという考えが本当に良いことなのか人々を苦しめているのか。

そろそろ子どもたちが結婚適齢期となり次世代にバトンタッチしていく時が来たので改めて考えています。結婚はもっとシンプルであってはいけないのでしょうか。子孫や家の繁栄のためのものなのでしょうか。考えても考えても答えが出ません。なぜならばうちには男の子がいないからです。

結婚してもうすぐ30年。私はあの日の祈祷がなんだったのか、私たちの結婚は周りの祝福に応えられたのか、日々は忘れていても心の奥底で引っかかっているのを自覚します。くだらない独り言を最後まで読んでくださりありがとうございました。

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