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稲垣えみ子さんの『老後とピアノ』と『寂しい生活』

牛田智大さんのコンサートのことを記事にした時にいただいたコメントで稲垣えみ子さんを初めて知った。私と同年代で同じ頃ピアノを再開されたことを本に纏められているということで即取り寄せた。

そもそも新聞記者でバリバリキャリアを積んでおられた方なので、ピアノに向き合う姿勢もそこら辺の主婦の私とは段違いであるのは当然だけど、熱意など共感するところも多く、ところどころ大袈裟な表現もまた面白く読めた。

ドビュッシーの「月の光」やベートーベン の「悲愴」2楽章、3楽章など選曲も重なるところが多く嬉しい思い。

ふむふむ、月に一度のレッスンでここまで上達されるとはさすが。私など暇に任せて毎週のレッスンがあってこそ次に進めるようなものでたまに2週間後まで間が開くと前回何をご注意いただいたかもすっかり白紙に戻って元の木阿弥ときたもんだ。

その上我が家は3人娘の使用後のピアノの活用というのが再開のきっかけだったのに対し、稲垣さんはお家にピアノがないという悪条件さえも乗り越えて毎日2時間も練習なさっている。快く貸してくださるお店の方など人脈の豊かさが並の人間には眩いばかり。

老眼には楽譜の拡大コピーを試したり腱鞘炎を乗り越えたり、まるで同級生との会話のようで身につまされながら読んだ。発表会の様子も今先生からお誘い受けている身としてはとても関心がある。巻末の弾いてこられた曲やお気に入りのアルバムのリストもうんと興味深い。

さて、これほど共感できる人が他にどんな本を書いておられるのか?Kindle Unlimitedで『寂しい生活』を読んでみた。電子書籍に馴染みの薄い私としては新境地。紙の本は汚したり折れたり気を使うけど電子書籍はそれがない。物理的な収納や処分に悩まないのは皆様方のおすすめの通り。

内容は3.11の原発事故以降、電力を使わない生活をされている実践記。元々お一人暮らしで家電は少なかったのにドライヤーやアイロンも手放され、エアコンともお別れ、冷蔵庫の電源もぬいていく。そのなかなかハイテクと逆行したチャレンジングな暮らしの楽しみを綴っておられる。

その日食べるものだけをその日に買うのが基本で究極の「今を生きる」に振り切った生活は潔い。今こうしてnoteを書いている間にもルンバが走り回っている我が家とはまるで違うベクトルだ。ほとんど仙人か修行僧のよう。

便利なものに囲まれていた私の暮らしは、いわば、必要な栄養や薬を補給してくれるたくさんのチューブにつながれた重病人のようなものだったのではないか。
  チューブにつながれている限りは生命を長らえることができる。安心である。その代わり、ベッドから片時も離れることはできない。
  私がやってきたことは、このチューブを一つ一つ抜いていく作業であった。まさに決死の覚悟で。でも、思い切ってやってのけたのだ。そして何が起きたか。
  私はベッドから起き上がり、自由に歩き回れるようになったのである。
  そう、「自由」。

『寂しい生活』より

現代の清貧生活により手に入れた自由について信念を持って書いておられた。

noteに私が書いたことにコメントをいただいたことで新しい著者に巡り合い独自の世界を楽しむ同世代の女性のピアノや暮らしに触れられたことはまた楽しからずや。

皆様は今日何と出会われるでしょうか、
わくわく過ごせますように。

たくさんあるのにまた買ってしまった食器たち

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