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変わりゆく結婚の風景

ずいぶん前から最近の若いカップルは、という話は聞いていました。先に旅行に行ったり二人の生活を始めたりお子さんを授かってから結婚を決めたりなどなど、そのカップルによって順序もそれぞれのようです。30年ほど前は結納の儀式やお仲人さんが当たり前に存在していたのに今はそのような堅苦しい形式は省略されることが多くなりました。

役所に届けを出すのと、披露宴を開くのと、新生活を始めるのと、新婚旅行に行くのを同時にした自分たちがなんて忙しかったんだろうと思うほどになりました。時代の流れというものがありますが、それを一気に進めたのがSNSの進化とコロナ禍です。

「結婚しましたはがき」というものがポストに入っていたころは悠長なものでしたが今はその日のうちにインスタグラムなどで世界中に花嫁姿を広めようと思えば簡単なことです。

大きな披露宴をしたカップルが必ずしもそのあと幸せになるとも限らず、一方で堅実に二人で愛をはぐくみ続けるカップルも多くいます。それでもコロナ禍のせいで予定していた披露宴を延期や縮小、中止にしたカップルがどれほど多いかと思うと気の毒に思います。

30年前の自身の時は伯父伯母など夫婦そろって5組も留袖など正装で一堂に会してくれたことを懐かしくありがたく思い出します。20年前の弟の婚礼では私たちはアメリカから幼児を連れて一時帰国して参列しました。やはり節目の瞬間に立ち会えたことは幸せでした。

今は娘の婚礼を控えていますが二度目の延期。仕事柄最低限の披露宴は開こうと楽しみにしていますが、親戚は会食は遠慮したいとのことでこのような災禍の中ですから当然のことと思います。こちらとしてしても招待していいものやら悪いものやら。祝ってくれる気持ちに変わりはないのですから、その場に立ち会うのは家族だけで十分なのかもしれません。

親戚でもお葬式も家族葬で済まされたケースもあり、平素なら何百人もの弔問の方で後を切らないはずのお別れもすっかり様変わりです。冠婚葬祭も形式から内容重視に、社会的な要素から個人的なものにシフトしていることを感じずにはいられません。そしてコロナ禍が収まっても元には戻らないような気もします。

昔は親に決められて結婚した相手と一生添い遂げるのが当たり前だったようですが、今はとんでもない。自由恋愛至上主義です。女性も経済力がありますから我慢ばかりする必要もありません。そんな中で助け合い支え合って健やかなるときも病める時も共に過ごせる相手がいることは奇跡のようでもあり、逆に奇跡でもなんでもなく人としての思いやりに尽きるようにも思えます。

人類は進歩していて、昨日より今日がよくなるために皆努力しているわけです。『ファクトフルネス』という本にも書かれていたように飛行機事故はめったに起こらなくなりましたし、世界中に字が読めない人も劇的に減ってきてライフラインも整ってきました。何も昔がよかったと嘆く必要はなくて、未来を作っていく若い人たちが私たちよりもさらに幸せになってくれたらこれ以上嬉しいことはありません。それをどこまで見届けることができるのか、楽しみにしているところです。

冷たい秋の雨ですね。そろそろ衣替えでしょうか。今日も良い一日をお過ごしください。


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