見出し画像

【生き方】自分の人生は、自分の手の内側にあるということ。人生の意味は自分で作るもの

 おはようございます。今日は雨です。昨日から考えていることがあるので、それをアウトプットしてみたいと思います。

 今日は、自分の人生は自分の手の内側にあるということについて書いてみます。

 昨日、久しぶりに会った人と話をしていて、そういえばあの人は元気?みたいな話をしたら、「実は、、、」と言いにくそうに「あいつ、特殊詐欺で逮捕されたんです」と聞かされました。詐欺のニュースはよく聞きますが、まさか自分の知り合いが逮捕されたと聞かされると、驚きました。ただ、何で!!というような衝撃はなく、ただただ、そっかぁ。。。と驚きと共に、そこには、落ち着いて受け止めている自分がいました。

 彼のことを十分に理解しているわけではありませんが、何か行動を起こすということは、何かそこに原因があったということではあると思います。彼の場合が、どういう理由だったかはわかりませんが、私が見る限りでは、周りから信頼され、重要なポストを任されるような人物なので、理由はどうであれ、その選択でなければならなかったのか、悔やまれる気持ちはあります。

 私も20代の半ばくらいまでは、自分の人生は親からコントロールされてるとか、誰かとか、何かのせいにしたりしていたように思います。しかし、ある時ふと気づいたのは、『自分の人生は自分の手の内側にある』ということだったんです。本当に、誰かのせい、とか、何かのせい、だったのかと、自分の人生と向き合う時期があったんです。遡ると、例えば高校を選ぶのも、大学を選ぶのも、どんな勉強の仕方をするのかも、誰と付き合うのかも、親とどう関わるのかも、その時に楽しく振舞わずふてくされた態度をとったのも、仲間と集まっていても一人孤独を感じてしまっていたのも、その行動のすべてを選んだのは誰か、と自分に聞いたら、自分だったんです。行動に至るまでのきっかけや、親や仲間などの周りからの影響はあったにせよ、そうすることを選んだのは誰か、と自分自身に問うたら、自分だったんですね。

 そこから、私は大きく変わった気がします。何かを選ぶときも、決めるときも、それは全部自分が最後には決定ボタンを押すんだ、という覚悟を持てるようになりました。弱音を吐くことも少なくなったし、何より、自分で決定ボタンを押すんだ、と思うと責任感も全然違うし、よりリアルに本当に必要な決定であるのかということを、立ち止まって考えることができるようになりました。

 まさに『自分の人生は、自分の手の内側にある』ということです。だから、今回のように悲しいニュースが飛び込んできても、冷たいようですが、他人の人生はどうすることもできない、ということも同時に言えるということです。悲しんだり、悔やんだり、一瞬はそんな感情が湧いても、自分に何かできたことはなかっただろうかとか、どうして止めることができなかったのかとか、話を聞いてあげればよかっただろうかとか、そういうことを思い悩むことはないし、自分以外の人間の人生は、自分の手の外側にあるので、絶対にどうすることもできないのです。何かしらの影響を与える行動をとることはできたとしても、最後に決定ボタンを押すのは本人なんです。それは本人以外の誰にもコントロールできないことです。本当に必要な決断であるのか問うことはできても、最終決定は本人なんです。

 私の身近な人間が、自分で死を選んだとき、私は何年も後悔していました。苦しかったです。どうして自分には何もできなかったのか、ずっと解決しない感情に思い悩んでいました。しかし、10年以上経ち、心の内に変化がありました。私にはどうすることもできないことだったし、本人がその決定ボタンを押してしまったんだから、もしもその前に私の関わり方で変えられた可能性は0ではないけれど、だけど、そんな一瞬の変化ではなかったはずです。もっと色々な背景があって、根深いものがあっての本人の決定。そのままのすべてをそのまま受け止める、これが私にできることだと今は感じています。

 人生を通して感じていることは、本当に自分の人生というのは、自分の手の内側にあるということを、全世代の人に伝えたいと思っています。生まれたら、あとは死ぬだけ。時々、生きている意味がわかりません、というセリフを聞くことがありますが、生きることに意味はないし、ただ生まれてきたから死ぬまで生きてるだけで、意味は探しても見つからないっていうこと。だって、私たち人間だって、そもそもただ生まれて死ぬだけのサバンナのライオンと一緒なんだから。生きている意味はないから、意味は自分で一つずつ決定ボタンを押しながら作っていくものなんだなと、それが人間らしく生きるっていうことなんかなと感じてる。

 面白かった話は、子どもにめちゃくちゃ怒ってるお母さんだって、急に電話かかってきたら、「はい、もしもし~」って急にしゃべり方変わったりするじゃない?だから、怒りっていうのも、急に怒るとか、怒りが止められないとか、突然沸騰するとか、そういうことはあり得なくて、怒りなんていう感情も全部自分でコントロールできるもの、できないと思っているのはただの思い込みっていう話。感情も行動も、誰かや何かに作用されていると思っているかもしれないけれど、すべては自分で決定ボタンを押してるってこと。意識するだけで、人生の歩み方が少しは変わるのではないかと思います。逮捕された彼も、今更後悔しているかもしれないけれど、自分の人生はすべて自分の選択によって成り立っている、手の内側にあるということを伝えたいなと思って書いてみました。

 それでは、また次回~^^*

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?