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宮崎観光拠点のかなめ・空の玄関口の変遷【宮崎ブーゲンビリア空港】

私は空港や飛行機が好きです。

飛行機が目的の空港に着陸し、
ベルト着用サインの点灯が消えたら席を立ち、
飛行機から降りる順番を待つ。
タラップを降りて外の空気に触れ、肌で感じる現地の空気。

これから始まる旅のワクワクが高まります。

羽田や福岡空港などは利用客が多く、ターミナルが拡張され
かなり広いので搭乗口によってはかなり歩くことになります。

一方、地方空港はコンパクトにまとまっていて、そこまで歩かなくてもいいですし、お土産屋さんや飲食店は大きな空港に比べ、こじんまりはしてしまいますが、まわりやすく、わかりやすい印象です。

そこで地方空港のひとつである宮崎空港の、

*宮崎空港といえば

*空港の歴史

をまとめてみました。

宮崎空港といえば

*降り立つとみえるヤシの木

*空港連絡鉄道「宮崎空港線」に直結しているアクセスのよさ

*航空大学校の訓練機が展示されている展望台の公園

*アスリート・スポーツチームなどの応援懸垂幕が垂れ下がっている吹き抜けの中央広場

*天岩戸をモチーフにしたからくり時計「夢かぐら」を設置されている中央広場

*「日向神話」をテーマにした壮大なステンドグラスが設置されている中央広場

*宮崎県出身の俳優・温水洋一さんの銅像があるひなたぬくぬくベンチ

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〈ひなたぬくぬくベンチ〉

宮崎空港の歴史

そんな宮崎空港の歴史を振り返ってみました。

1943年 旧日本海軍飛行基地として建設

1954年 戦後一時閉鎖の後、航空大学校の訓練飛行場として開港

1955年 極東航空(現ANA)が大阪-福岡-宮崎線を開設

1961年 第2種空港として指定

1962年 岩切章太郎初代社長が宮崎空港ビル(株)を設立

1963年 ターミナルビルが完成

1966年 地方空港として初ジェット機(B727-100)が東京線に就航

1990年 新ターミナル完成

1996年 地方空港では全国初となる空港連絡鉄道「宮崎空港線」が開通

2001年 県初の国際線韓国(ソウル)-宮崎 定期便が就航(週3便)

2002年 宮崎初の免税店をオープン

2008年 台湾(台北)-宮崎 国際定期便就航

2014年 宮崎空港開港60周年
      「宮崎ブーゲンビリア空港」の愛称を発表

2015年  香港-宮崎線就航
       LCCピーチアビエーション 宮崎-関空線就航

2017年  LCCジェットスター成田線就航 
       LCCイースター航空ソウル線就航

1961年から民間空港として進化し続けている宮崎空港。2000年以降はソウルや台北へ国際線が就航しはじめました。また、2015年以降からは格安航空会社のLCCが就航し始めます。

2014年、開港60周年を記念して愛称が宮崎ブーゲンビリア空港に決まった時は、「えっ、なんでブーゲンビリア!?」と驚いたものです。
この愛称は全国からの公募で決まったもので、3,048件もの応募があったとか。

この名前が選ばれた理由は、

①宮崎交通の創始者で、宮崎空港ビル(株)の初代社長である岩切章太郎氏が普及に努めた花がブーゲンビリアという花だったため

②宮崎空港のシンボル的存在という理由だったため

だそうです。

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〈空港のロータリー付近にある石碑〉

以前に投稿したガーデンツーリズム の登録制度で、宮崎花旅365に登録されている11箇所の中に宮崎ブーゲンビリア空港もその一つとして登録されています。

日本でも珍しい空港専属のグリーンキーパーがいるそうです。

おわりに

以上、宮崎空港の特徴や歴史についてまとめてみました。

空港は空の玄関口というだけあって、

地方空港はその県の自然や文化、歴史などの象徴となるものが

コンパクトにギュッと詰まっている印象を受けました。

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