見出し画像

幸せの二面性

幸せという言葉について考えたいんですけど、わたしにとっての幸せがわたしの幸せなんですよ、

言いたいことはこれだけなんですけど、下を読んでもらえるとなにかがわかると思います。
暇な人や、反論したい人や、あとは、わたしに興味があるという変な人は、読んでくれるのかな。

「幸せがこわい」とか「不幸せな状態にいる時が安心する」とか、わたしはそんなことをよく以前は言ってました。

でも今はなるだけ言わないようにって気をつけています。それは、そんな自分をいやだから言葉にしたくない、とかそんなではないです。

じゃあなんでかというと、幸せという言葉の二面性に気づいてしまって、幸せという言葉を使おうとするとそのジレンマに苛まれるからです。

幸せには、大きく分けて二つの意味があると思います、わたしは。
1つ目は一般的で普遍的な幸せ、2つ目は、わたし(あなた)にとって幸せ。

わたしたち(少なくともわたしとわたしの周辺にいる人)は気づかないうちに、この二つの意味で「幸せ」という言葉を使っていると思います。

ケース1、女子大生が口癖のように使う「あーあ、幸せになりたい!♡」
これは、前者の意味で使われています。
「あーあ、幸せになりたい!♡」
「わかる...ほんとそれな」
この会話は割とハイコンテクストだと思うので、わからない人のために説明をすると、この会話が起きている時、お互いの脳内には共通認識として、
幸せ=
・彼氏持ち
・裕福な暮らし
・学業に苦しまない
など、要するに”大学生が抱える悩みが解決された状態”があります。
「今いる彼氏といい感じなのに別れたい」とか「貧乏になりたい」とかそんなことは一切頭にありません。
同じ(≒反対ベクトルではない)環境を想定し、会話がなされているのです。

ケース2、バおわ(バイトが終了)し同僚と交わす「幸せだなあ」「お前まじ?」
この状況は適当にセットしたので経験談ではないのですが、笑
同じ7時間の労働を終えたとして、片方が「こんなにきつい仕事させてもらうなんて幸せ」と思うのに対してもう一方が「こんなきつい仕事、自分の娯楽のためになんとかやってんだ」と思っているとします。同じ作業を同じ時間同じ空間の下での、7時間の、労働。
この時には「幸せ」が後者の意味で使われています。
同じ事象を経験して、片方が幸せだと感じていてももう一方にとっては幸せではない(むしろ不幸せ)。

わたしにはわからない世界なのでなんとも言えないですが、たぶん、この世には、幸せの二面性に苦しまされない人というのが一定数存在するんだと思います。そういう人は、「幸せの二面性?」なんてタイトルでnoteを書いたりしないしもしも万が一この記事にたどり着いて読んだとしたら「まあ、新しい」とか思うのでしょう。

で、わたしは、一般常識的な前者の意味での「幸せ」にどこまで従い、どこまで自分の「幸せ」をみんなと同じ「幸せ」に寄せなければいけないのか、ここに疑問があります。

思想の自由が日本にはあるのでこのnoteで「わたしにとっての幸せがわたしの幸せなんですよ」という冒頭に書いたことを主張したいのですが、昔よく言ってたという「幸せ(:前者の意味)がこわい」というのは今のわたしとしては矛盾をしていて気持ち悪い表現で、「幸せ(:前者の意味)はわたしにとっては幸せ(:後者の意味)ではなく、『幸せ(:前者の意味)がこわい』もなにもわたしは幸せ(:後者の意味)がこわくなんてない」のです。

後者の意味での、つまり、わたしにとっての「幸せ」がエスカレートして、倫理的に問題があったり法に触れたりしたら、それは改めなければいけないし、幸せの矯正なるものを受けないといけないと思います。
でも、まあ思想の自由はあるので、なにに幸せを抱いたっていいじゃないか...とか、思う時があります。常に思うわけではないのですが、思う時がたまに。

幸せという言葉を流行らせたのっていつのだれなんですかね、おかげでわたしはすごい苦しめられたしすごい時間を「幸せとは」という問いに向き合うことに費やしているように思います。

四葉のクローバーがいっぱいで、晴れた青空が広がっていて、ニコニコした笑顔があって、開放感のある感じ、世に言う”幸せ”の典型みたいな、
あれが、気持ち悪くなるときだってわたしはあるんですよね。



わたしは普通に生まれて普通に育てられて普通に生きてきたつもりなんですけど、なぜか世間とのズレだったり世の中への疑問だったり、そういうものを日頃多く感じて、どうしようもないくらい苦しめられたりします。
つい先日も、体調なんかこれっぽっちも悪くないのに、おふとんの中で苦しくなってしまって永遠に泣いていたこともありました。
精神的な苦しいものに対して、メンヘラとかいう人もいると思うのですが、わたしはメンタルの強さにはバイト仲間やサークル仲間から定評はあるし、立ち直るのがとても早いのでメンヘラの自覚はありません。

なんなんですかね、わからないけど、いろんなモヤモヤがあったあとは、「幸せってなんだろう」「わたしの幸せって間違っているのかな、幸せに間違いとかあるのかな」「多数派の幸せを味わえたらどんななんだろう」とか思ってしまうんですよね

イタいなあ、そうも思われると思います。かわいそうだなあ、そうも思ってくれて大丈夫です。

こんなところに突っかかっても人生20年目迎えられているのでこの先もあと何年かは難なく過ごすんだろうなって思います。

あとどうでもいいんですけど、わたしは世に言う幸せに適応できていないのかなと思いきや、アイドルの曲は、ザ・幸せみたいな曲が好きなんですよね
なんか割り切っているんだかわからないけど、一般的な判断力を持ってはいるみたいなのでわたしがこの世の中、生きやすいと思えるようになるのも無理はないのかなとか信じています。