amazarashi Acoustic Live Tour「騒々しい無人」2024@東京エレクトロンホール宮城(10/13)・名古屋国際会議場(10/22) ライブレポート
amazarashi Acoustic Live Tour 「騒々しい無人」2024
昨年デビュー13周年を間近に控えた6/8に有明で開催されたAcoustic Live「騒々しい無人」が、永遠市を経てツアーとして帰ってきた。前回から地続きの部分はあるものの、仙台と名古屋を見て思ったのは、より”amazarashi感のあるツアー”ということだ。長く音楽活動をやっていれば、リリースを引っ提げてのツアーは新曲が中心になるのは当然、タイアップもあるし新規ファンへのアプローチも勿論大切、となればある程度演奏されない曲も増える。レコ発でなく本数も絞られた今回のAcoustic Live Tourは、そんな普段なかなか聴けない懐かしい楽曲も数多く登場し、サプライズプレゼントのような時間だった。
前回は新曲や弾き語りにふさわしいバラード、ミディアンプテンポの楽曲で構成され、秋田ひろむ→あまざらし→amazarashiへの変遷を感じさせてくれた。一方今回は古い曲も多く懐かしさや遊び心あふれる構成になっており、ステージに秋田ひろむ一人でも豊川と二人でも五人でも、終始“amazarashiのライブだった”ように思う。ステージも前回は理論武装解除と同じ秋田を囲むように円柱状の幕が表に張られ、バンドメンバーと秋田の間には幕を一枚隔てていた。今回は通常ツアーと同じ紗幕が表と奥に張られ、その間に横並びでamazarashiが並んでいたせいもあるだろう。前回と同じ曲は16曲中6曲。中には5年振り、10年振りの楽曲も登場する。ライブに行ける人は東京を、行けない人はきっと東京公演が映像化されるはずなので楽しみに待とう。
前回の騒々しい無人を振り返りたい方はこちらからどうぞ。ナタリーのレポートリンクもあるよ。
今回は、10/13東京エレクトロンホール宮城と10/22名古屋国際会議場センチュリーホールの感想をまとめてレポートする。楽曲への感想を中心に、仙台は前方端っこから、名古屋は最前付近から見えた演出やメンバーの動きについて話したい。
目次だけで長い・・セットリストのプレイリストでも用意して聴きながら楽しんでもらえばきっと苦じゃない。多分。WORDで17ページ、ほんの18600字。大丈夫大丈夫。気合でいける💛笑
仙台ライブ前の小話
仙台は東北YOSAKOIと日程がかぶっており、会場の目の前は参加者と観客で大賑わい。カラフルで華やかなよさこいと、黒ずくめが多いamazarashi物販待機列のコントラストがなかなかシュールでよかった。
物販は収益率高いだろうに売る気あるのか?と言いたくなるネット通販の在庫のなさ、開始時間に並んでも人気のものは売り切れ(開始1時間以上前に並べば買えるかも)という状況は安定である。ポンチョが長く売れ残った呪いか知らないが、十分売れると思うので運営さんにはもうちょっと頑張ってもらいたい。
5年振りの仙台公演と全体の印象
2019年以降しばらく東北は青森単独公演が続き、途絶えていた仙台。単純に青森があるゆえの興行的な理由なのかもしれないが、最後の仙台はSENDAI GIGSにて青森との2DAYSで行われた。私にとって、「魔の仙台公演」である。ツアー途中でベースの中村武文が抜け、あいみょんとの対バンやNHKホールのライブで復活。別のベースの方を迎えての青森は非常によいライブだったが、続く仙台は何とも言えず切れてしまいそうな不安と緊張感が秋田をまとい、次のライブについても「また来れたら」というニュアンスで力ない雰囲気。それを支えるように橋谷田真のドラムは鬼気迫るものがあった。そしてその後仙台でやらなくなってしまったのだ。
何かがあってそれが消化できたのか、いつも青森だからたまには仙台で位の理由なのかは分からないが、何はともあれ5年の時を経て仙台の地にamazarashiが降り立った。
青森と同じ東北でありつつも人が多く都会らしさもある。かといって名阪程のギラギラした派手さはなく、地方都市という温度がぴったりの街、仙台。私はこの街で聴くamazarashiが大好きだ。青森からよく遊びに行っていたであろう秋田も久しぶりの熱と一緒にどことなくリラックスした雰囲気が漂う。MC部分ではよく水を飲んでいるが、ボトルをもって飲みながら話すゆるさにほっこりが止まらなかった。福岡でもやったようなので東京でもぜひやってもらいたいがどうだろう。
全体の感想としては、久しぶりで前のめりに力が入り楽しそうではあるものの少し風邪気味なのかハスキーで歌詞飛びが多かった仙台。ほぼパーフェクトの出来で会場の音響もあり声の美しさが際立っていた名古屋。ただ東北特有の温かいホーム感はほかの地域では味わえないよさがあり、やはり各地に足を運んで聴きたいと思わせてくれるアーティストだ。
仙台は少し遅れて開始し、名古屋はほぼ定刻ピッタリ(結構珍しい)でのスタート。
真っ暗な中、秋田が一人で登場。
大きな拍手が会場を包む。
アンチノミー
2023年の騒々しい無人ではラストを飾ったアンチノミーがスタートを飾る。「永遠市」という作品とアジアも含めたツアーを経て、どんなストーリーを描くのか。正面の紗幕は透過され、ステージ奥にはシンプルな線画を中心に色を失った廃墟が描かれる。一部漢字だけを大きく映し出しているシーンもあり、amazarashiらしい映像世界が広がる。終盤色が戻り実写になっていく様は機械とその心を描くニーアの世界と似ている。傷つき自分を守るために心を殺した屍のような人間の中に芽生えた葛藤、疑問、脆さ。それが永遠市のツアーでLEDスクリーンに閉じ込められ狂気じみた表情で画面を叩いていたてるてるやロボットであり、私たちの姿なのかもしれない。
否定の言葉を繰り返し傷つかないように自分を守ろうとしながら、抑えきれない人の内面から溢れる感情、衝動。揺れ動きながらも力強い意志が秋田の声に宿り、静まり返った会場に響き渡る。ギターをかき鳴らす音と歌声だけが体を包む幸せな時間が始まる。 “意味を捨て、意志を取れ”、このフレーズからも分かるように、この歌を聴いていると自分がどうしたいか、感情が動く方向に生きたいと思わせてくれる。叫びに似た感情を、秋田は言葉一つひとつ強さの中に確かな温もりをまとわせ、全身で歌い上げる。縦ノリに大きく揺れる姿が印象的だ。ラストは、「ありがとうございます。amazarashiの秋田です」と挨拶。名古屋はとても優しく柔らかく歌っていたイメージがあるが、最後の自己紹介部分で、amazarashiの秋田ひ(ろむ)と言いかけてやめたため、カミカミになっていてかわいかった。笑
エンディングテーマ
世界分岐以来8年振り?というかコンセプチュアルな楽曲過ぎてツアーではほとんどやることがなかったエンディングテーマ。終わりを感じさせる曲だけに終盤でなく冒頭に持ってこられると、何をする気なのかとワクワクが止まらない。仙台は久しぶりのせいかやはり熱がこもり、名古屋は音響がよく音が広がることで寂しさが際立ち、それぞれよかった。ステージは、優しく寂しげな青に照らされ、ワンフレーズごと文字が表示されては上っていくようなシンプルな映像だったと思う。イントロの秋田のギターと言葉を大切にした丁寧な歌声の切なさに涙がにじむ。ここから死生観をまとい、懐かしい楽曲と今のamazarashiらしい楽曲とを行き来しながら未来へ繋がる光を描く。
空の青さが眩しくてどこかひっそり隠れられるような曇天を願う湿度と死をまとった言葉。けれど内側からの渇きゆえの強い希望は、満たされないからこそ放つ光。今のamazarashiは現状に満足している訳ではないかもしれないが、人に受け入れられ一定の評価を得ていることも事実。そんな彼から放たれるエンディングテーマは、共に歩んだ人達への感謝と愛に溢れていた。同時に満たされずもがいた時期の感情や切なさも言葉の奥から確かに伝わる。渇きや怒りを発動力とした時代を経て、弱さも報われなさも過去として肯定しながら、これからも新たな1ページを刻んでいってくれることだろう。
仙台では僕は(悲)しい人間でしたと歌詞を飛ばし、永遠市でついに機械の体を手に入れたか・・と若干クスッとしてしまったり、名古屋は「ごめんな」の歌い方があまりに優し過ぎて泣けてきたり、、序盤から感情が忙しい。人生の終わり、私のエンドロールには脇役どころか主役として!大感謝!として流れると思うのでこれからも沢山ライブをやってください。
かつては映画を見ているような感覚で始まったamazarashiのライブ。口から音源と昔はよく思った記憶がある。最近あまりそう思わなくなったのは、躍動的で感情がこもり、楽曲に新たな息が吹き込まれるからだ。音源とライブは別物なのがamazarashiというアーティストだと思う。だからライブ行ってみようかなと迷っている人がいたら強く背中を押したい。想像以上に暗さはなく、目と耳や全身が満たされてきっと多幸感に包まれるはずだ。
MC1
あの、、わいはロック少年だったからストレートな歌詞とかに影響を受けてきた人間なんですけど・・・でも綺麗事が自分を縛ってしまうこともあって、特に心がねじれた時は、好きな音楽も聴けなくなった時期がありました。だから自分が作る歌位は自由に息ができるようにと思って次の曲を作りました。
曲間に挟まれるMCは概ね内容は決めていて、言い回しが各地若干違うようだ。仙台は、冒頭に「ありがとうございます。仙台、お久しぶりです」があり、名古屋は音楽が聴けなくなったくだりはなかった気がする。後半のMCはツアーが進むごとに秋田の心情について解像度があがっていたり、情報を小出しにして次を期待させてくれたりと楽しみの一つだ。
リビングデッド
ロック少年というからロストボーイズや少年少女辺りが来るかと思ったらリビングデッドが登場。ベース代わりの低いアコギの音が響く。昨年の騒々しい無人でやった時、「自分が生きている屍みたいだなという言葉は必然だった」と口にした秋田ひろむ。この曲は、明るすぎも暗すぎもせず個人的にどんな時も聴きやすくかっこいい曲調なのでとても好きなのだが、「自由に息ができるように」という言葉を聞くと納得である。この曲は、監視し合い生きづらい現代で生きる人々を鼓舞し、居場所はここじゃないぜとは言うが、結論へのアプローチがない。肩の荷を下ろし、不平も不満も不信も報われない思いもすべて火にぶん投げて炎を煌々と燃やし、明日への原動力とする。そこから踏み出すとか前向きにとかではなく、閉塞感からの解放が前に出ていて元気でも元気がなくても聴きやすい。逃避だって自分を守るための立派な一歩たりえるからこそ、どんな選択も否定しない。
昨年のライブではko-shiさんの鎖に言葉が縛られる作りこまれた映像が印象的だったが、今年は赤や緑、紫などビビッドなカラーや白のスポットライト等光量が絶妙に計算された照明が中心。サビは何ともいえない色気が漂い、秋田の力強い声が会場に響き渡り跳ね返る。バンドverだと華やかなリズム隊の音にエレキの音が唸る所であるが、弾き語りのよさは休符やブレス等の息遣いも含めて余韻が広がり、反響することだろう。秋田の歌声はまるで一つの楽器のように会場へ降り注いだ。
ロストボーイズ
リビングデッドから一転、ステージはオレンジの柔らかく温かなライトに包まれる。体調を壊し苦しかった時期に学生時代の友人に会い高校生時代を思い出して作ったらしいこの曲。同世代の私は懐かしい思い出が蘇り泣きたくなってしまう。何かを成し遂げた訳でなくても今の自分を肯定してくれるこの曲は、amazarashiの中でも屈指の名曲といえるだろう。ただただ秋田の声が美しく、素晴らしい歌唱力と豊かな表現力に全身を包まれ胸がいっぱいになる。苦しみも悲しみも棘として一生残るものもあれば、時の流れの中で淘汰されるものもある。夜の帳の中で、また歩き出す力が出るまでじっとしていられたらいいけれど、人生は続く。時に向き合い、時に折り合いをつけながら進む。諦めることが大人になることだとは思わないが、諦め手放したからこそ得られるものもある。そんな過去一つひとつが今に繋がり自分を支えていることだけは確かだ。MV置いておく。
表の紗幕はゆらゆらと秋田の影が浮かび、秋田を囲むように向かい合っている。それはまるで秋田が過去に置いてきた自分自身と一緒に歌っているようなとても優しい空間に思えた。決して強くない、ろうそくのような柔らかな光。いつ消えてしまうかわからない揺らぎのある優しい光。秋田がamazarashiとして活躍する中で体調を崩し迷子になってしまったように、一瞬先は闇であることを示唆しているようにも見える。温もりと寂しさ、喜び、喪失、願い、悲しみ。様々な感情と共に続く人生をそっと支えてくれる一曲だ。
後ろの幕が上がる。
MC2(仙台・名古屋)
仙台
amazarashiデビューしてからもまだ生活はできなくて・・初ライブをやったのはデビューして1年後位で渋谷で、やったんですよ。そのときわいはまだバイトとかもしながら夜は部屋で曲作って暮らしてて・・時々東京行ってレコーディングだのライブだのって面食らって。人も多いし。本当に引きこもりだったから・・(しばしの間)でも渋谷でライブした時に、渋谷の駅前の喫煙所でamazarashiのTシャツを着てる人いて、ああこんな田舎の山奥で真夜中に作ってる歌が、渋谷の人にも届くんだなって思ったら、もっと頑張ろうって思いました。その頃作っていた歌です。
名古屋
amazarashiがデビューした時にすんごく嬉しかったんですけど、でも1年位ライブとかやってなくて・・ずっと家で曲作ってたんですけど、その頃は本当引きこもりだったんで・・初めてのライブで東京行った時に結構ハードで本当にやっていけるのかなあと思ったんですけど、初めてライブやったのが渋谷で。渋谷の駅の喫煙所でタバコ吸ってたんですけど、そこにamazarashiのTシャツ着てる人がいて、ああこんなこんな所にまで届くんだなって思って。青森で曲作ってこれでいいのかなって思ってたのに渋谷のこんな所まで届くんだなって、このままじゃいけないと思ったのを覚えています。そのときに作ってた歌です。
1回目のMCはほとんど同じだったけど2回目から言葉のチョイスが結構違っていて、仙台は~ですよ。の言葉が話し言葉ぽくて好きだったのと、人も多いし!が本当東京嫌いだったんだろうなと伝わってきた。笑。名古屋は「デビューが嬉しかった」の言葉が入ってたのがよかった。あとTシャツのくだりが結構本当に嬉しそうな話し方でほっこりした。初ライブ見たかった(私は千年幸福論が初ライブ)
ワンルーム叙事詩
音源は、音が低いのもあり、どこか淡々としながら世間への恨みや怒りが垣間見えるこの曲。今、そこにあるのは力強く切実ではあるものの、過去の自分を抱きしめるような温もりの色が強い。全部壊して前に進むというより、箱庭の中で必死にもがく自分を俯瞰し抱えながら歌っている感覚と言ったらいいだろうか。ふうう~の優しさからサビの世間を睨みつけるような感情爆発の緩急がヒリヒリと内なる炎を燃やす。表の幕は透過され、奥の紗幕にはカーテンの絵がゆらゆらと揺れる。従来の、最後にやったのはメッセージボトル辺りだったと思うが(末法独唱は除く)、ワンルームの枠組に部屋の線画が燃え上がる印象的な映像演出はない。
今回は文字自体が燃えあがったり、雨にも負けて~の宮沢賢治を引用したシーンでは雨ニモ負ケズの字体が引用されていたりと、とても遊び心ある文字演出で心がくすぐられた。そしてそんな映像を背に立つ秋田には過去の不安や涙を表現したような青いライトが当たる。今回は燃えるシーンですら炎の赤は使われず、どこか温かみや希望がただようピンクと紫の間のカラーが採用されていた気がした。
過去を燃やすことは自暴自棄からではなく、無からの新たな一歩であると思わせる。秋田自身が、amazarashiが積み重ねてきた時の分だけ、懐かしい楽曲に新たな息を吹き込み、初期衝動とはまた違った景色を魅せてくれる。最後の焼け野原のリフレインの噛みつくような熱さがとても好きなのだが、同時によぎるのは一抹の寂しさだ。
以前、焼け野原は何度もリフレインされず2回位で、奇跡に繋がった。ワンルーム叙事詩は数は多くないものの原点回帰のタイミングで歌われてきたが、奇跡は本当にやらなくなってしまった。ワンルーム叙事詩の中では“奇跡にすがる浅ましさ”と表現されるように、他力本願な一発逆転の奇跡を言っているが、実際の「奇跡」は何でもないような日常こそが奇跡であると歌う。特にコロナを経て、見逃していた当然あるものやいつもの日常が奪われ、どれ程尊いものだったか気づかされた今、とても聴きたい一曲だ。あと純粋にドラムがかっこいい。いつかまたやって欲しい。
ロストボーイズからのワンルーム叙事詩は仙台の熱さが際立っていた。久しぶりなことと地元東北での沢山の記憶がそうさせたのかもしれない。
MC3(仙台・名古屋)
仙台
それで音楽で飯が食える位になって、青森の隅っこの方から青森市ってところに引っ越したんですよ。新幹線の駅もあるし飛行機も止まるし(かわいい)新しい家で・・でもまだスタジオとかもなくてクーラーもなくて窓開けっぱなしで。次の曲はその部屋で一番に作った曲です。なんか多分そのときの決意とかが混じってるんじゃないかなと思います。
名古屋
ようやく音楽だけで生活できるようになって、青森市っていう中心の街に引っ越したんですよ。でもエアコンもないし防音室なんて当然なくて・・山の中で窓開けっぱなしで曲作ったりしてて。今でもその頃のデモ曲とか聴くと、車が走ってる音とか入ってて、その頃に作った歌なんですけど、amazarashiの曲の中で応援歌みたいに思うことが多いんですけど、自分のために書いた曲で・・これからやっていくぞって思って作った曲です。
車の音が入った過去音源・・・聴きたい。
ジュブナイル
歌詞を投影しつつ、文字と秋田だけのシンプルな演出。まっすぐな思いがダイレクトに伝わる。ひたむきにいつか誰かに言って欲しかった言葉を自分のために歌い、そして外に向かって世界が繋がり始める。特に名古屋は声の調子がかなりよく迫力がすごかった。秋田は肩をすぼめ感情表現いっぱいにギターをかき鳴らし、サビでは宇宙空間のような景色が広がる。星のようにうようよとと浮かぶ白い球は無数の願いや希望だろうか。キラキラまたたくような星じゃなく星が爆発して出来た塵とか元気玉のようなイメージ。
前回のライブでは頭に持ってきていたこの曲が中盤に差し掛かる所で登場し、秋田の歌唱にも力が入る。裏声が多用されキーの高い楽曲であるがゆえか両公演共声が裏返っていたが、仙台は"綺麗事だ理想論だって理想も(語れなきゃ)終わりだー!"と肝心な部分をまたすっ飛ばしてちょっと笑ってしまった。アクセル全開で飛ばし過ぎて終盤苦しそうだったが、ラストの“物語は始まったばかりだ”ではしっかり取り戻しよく声が伸びていた。
そういう人になりたいぜ
幕があがり、台に乗った豊川が下手から登場。豊川にスポットライトが射し低音の優しいピアノの音が会場を包む。やがてその光は中央に向かって秋田とステージを照らしていく。それはなんだかまるでamazarashiとしての軌跡をみているようなワンシーンだった。とても美しく愛が溢れながら別れを感じさせる寂しさに胸を締め付けられる珠玉の一曲。波打ち際で二人並び、座りながら少し俯き時折見上げて自分の気持ちを話す僕と、立ってそれを見守りながら優しく微笑んでいる君の姿が思い浮かぶ。切なく優しいラブソングだ。あまざらしとなったことで秋田はどこかほっとしたようなゆったりとのびのびした歌声を響かせる。"信じてきたけど"とか"そういう人になりたいぜ"がスタッカートで弾む感じに歌ってたのがとても好きだった。
サビは弾き語り映像よりもずっと荒ぶった歌い方だが数音違いの豊川のコーラスが力強く支える。安心してやりたい放題やっている感とそれを見守っている豊川の姿は楽曲の世界そのものだ。終盤は後ろを向きピアノに合わせて重ねるようにギターを奏で優しい空間を作る。感情が昂ぶり背伸びするようにギターをかき鳴らして歌う姿はまるでどこかに飛んで行ってしまいそうな熱を放つ。ラストは再び豊川と向き合い、深めにお辞儀をしながら優しく締めた。
余談だが、そういう人になりたいぜを聴いた時、地方都市のメメント・モリに収録された「リタ」が思い出された。両方大好きな曲なのだが、リタはもっと自虐が強く面倒くさく利己的な自分(言い方←)と尽くして涙ながらに去っていく利他主義の君が出てくる。君みたいに人のために生きたいと言いながら、そういう人になりたい(=現時点ではなってない)と言っているので男の根底は変わってないし多分変わらないだろう。楽曲の方向性は違うが、必然的に別れが訪れているから相手は同じ人な気がする。それでもこんないい声で、僕の神様は君の笑顔なんだ、君のために世界を終わらせたっていい、このまま死んだっていいとか歌われたら、例え幸せになれないと分かっていても戻ってしまいそう・・もう仕方ないな本当バカなんだからとか言って。ここでちゃんと別れを選べる相手がすごい(何の話w)
幕が下りる。
名古屋ではこの辺りで水を飲み切って床に1本置いていたのが記憶に残っている。多分トータルで3-4本飲んでいた気がする。暑かったんだろうか。すごい勢いで飲むから、横浜アリーナで本番中に我慢できずトイレ休憩に行ったいつかの星野源を思い出した。笑
MC4(仙台・名古屋)
仙台
今日はせっかくのアコースティックライブだから普段そんなにやってなかった曲をやろうと思うんですけど、次の曲はアマチュア時代に二人でやってて、路上とかライブハウス、スナック、野外イベントとかね。毎回歌ってた曲です。代表曲で大事↑な曲なんですけど、さすがに↑歌い過ぎて最近やってなかったんですけど、それ歌って帰ります。
名古屋
今日はせっかくなんで、最近やりたくてもやってない曲を色々やろうと思うんですけど、次の曲はアマチュア時代の代表曲で青森↑で活動してた時に、毎回やってたので飽き飽きしてたんですけど、歌いたくなったので歌います。
この辺からイントネーションとか~ね。とか萌えポイントが増え始めたのと、仙台はまだ帰るなと突っ込んでた。笑。仙台は同じ東北のせいか当時のライブ場所を色々言ってたのがよかった。覚えてるのはこれくらいだけどもっと言ってたと思う。
光、再考
二人見つめ合って音を重ねる。背後には白い玉から煙のようなもやもやが放出されているような雰囲気。光と影を行ったり来たりしながらそれでも希望や光を求める姿を模したものだろう。歌詞はワンフレーズずつ浮かんだりしていたが、文字演出が面白く、自殺願望のところで文字が飛び降り自殺していたりして今のamazarashiらしい映像演出に、懐かしい歌い方が重なる。今回はamazarashiというよりあまざらしのアレンジに寄せている感覚があり、荒々しく叫ぶような秋田の声とそれを力強く支える豊川のピアノとコーラスが胸に突き刺さる。
エンディングテーマでは“青空より少し曇ってる位がちょうどいい”と歌っていたが、光、再考では“陰鬱とした気持ちでも青い空が好き”と歌う。これはより深く底にあるほうが光を追い求めるせいだろう。影が濃いほどに光を求め渇望し、自問自答を繰り返す。”未来は明るいよ、明るいよ。どこへ行けばいいんですか”と叫ぶ姿は光なんて見えず必死で自分を奮い立たせようとするギリギリの感じが伝わり、胸が痛い。“日が沈みまた昇るように”からは夜の隅っこで泣いているあなたへ語り掛けるような優しさに涙がにじむ。
ラスト、ギターとピアノが強くなり余韻を残して途切れる様は、道半ばで光が見えない絶望感にもまだ見ぬ未来との距離にも感じて寂しさがとてもよかった。ここ最近、季節は次々死んでいくの前座と化していたが、やっとフルで聴けて嬉しい。
令和二年 MV(息抜き)
長いライブレポ、半分過ぎた所です。
お疲れ様でした。
動画見て小休憩、後半戦も頑張ろう!笑
令和二年
幕が上がり、ここでバンドメンバーが台ごと登場。豊川のキラキラとしたピアノの音に橋谷田真のカホンの音が心地よく響く。秋田はメンバーが揃ったことで明らかに肩の力が抜け、背中を任せながらも時折振り返り満足げにアイコンタクトを交わす。歌声も伸びやかだ。5人での「令和二年」に鬱屈さはなく過去の閉塞感を吹き飛ばすような明るさで、乗り越えた先の未来に心躍るアレンジだ。紗幕には白黒で様々な街の風景が映し出される。水天宮前駅が映ってたような、東京が多かったと思う。後半サビではまた色が戻り、今に繋がる空気が漂う。2番に入る前の間奏で、いつもはエレキを狂ったように(褒めてる)激しく弾いている井手上誠だがガットギターの艶やかな音で演奏を華やかに彩る。橋谷田はツリーチャイムを鳴らし高音のきらめきを与えたかと思えば、太鼓バチで重い音を出して深みをだし、ベースの中村武文は手元に置いたミキサーを操り、その様子を秋田が見つめてうなずき合っていたりと音を彩るバンドメンバー達も楽しそうだ。
“旅立つことない旅立ちの日”のフレーズを聞いてふと記憶が蘇る。ボイコットツアー決定、ついに東京のホールでは頭一つ上に出た感のある東京国際フォーラム!と思ったらコロナで中止・・そして自粛自粛で外出や外食もままならない。旅行や音楽、観劇なんてもってのほか、苦しかった日々。私自身も転職話が頓挫したり忙しくなったりで大変だったが、人によっては仕事がなくなったり本当に先が見えず苦しんだ人たちも多かっただろう。amazarashiをはじめ音楽関係の人達にとっては特に死活問題だったはずだ。
それぞれの人生が交差する中で複雑な感情と共に歩んできたこの4年の月日。末法独唱で先が見えない当事者である秋田ひろむが手をかじかませながらも頭大仏を背景にギターをかき鳴らし、歌を届けてくれた日を忘れられない。ツアーでやるにはなかなかセトリに組みづらい曲のため今回やってくれてとても嬉しかった。ラストは豊川と橋谷田へ交互に目をやりフィニッシュ。幕があがる。
ここからはかなり懐かしい曲が続く。
パーフェクトライフ
冒頭のピアノの音に??!?!となった人が多かったことだろう。ねえママ以来、11年振りは初めて聴く人も沢山いるのではないか。令和二年、コロナ禍でなんとか共に乗り切ろうと手を取り合い歩んできた日々。延期を重ねながら走り切ったボイコット、ロストボーイズとツアーは続いたが今度は秋田が体調を崩し延期、2020年~2022年にかけて本当に・・本当に大変な時間だったはずだ。それすらも受け止め、出会いと別れを繰り返しながら悪くなかったと、不完全でも完璧な人生と歌うのか。
令和二年から続くことで、自分や大切な人を守るため締め切ったドアを開け放し、喪失感を抱えながらも外に踏み出していく景色が生き生きと広がる。懐かしさも相まって心をかき乱され、涙が止まらない。秋田の声は優しく美しい一方で、豊川のピアノと橋谷田のドラムはどっしりとした力強さが際立った。これまでamazarashiを支えてきた柱のように頼もしい音だ。
照明は水色を基調として星がきらめくような演出で、背後の紗幕には文字がどこか欠け“不完全”な状態で浮かんでいた。パーフェクトライフは完全無欠な歌ではない。何かを失うことも離れていく人もいる。それに泣き追いすがるのではなく、それでも残った今自分が手にしているものだけで幸せじゃないかと歌うのだ。ここでも井手上のギターは華やかで心ときめく音を奏でる。中盤で橋谷田と中村のリズム隊は気持ちと音を重ねるように視線を交わしていた。ここで特筆すべきは橋谷田真さんの忙しさというか芸達者ぶりだ。シンバルを手で叩きカホンを片手で叩きながらバチ持ってドラムも叩いて手が4本位ありそうに見えた。とてもかっこよかったです。
この街で生きている
映像は地方都市のメメント・モリの時と同じものと思われる。青森の風景映像に帽子をかぶった線画の秋田少年がたたずみ、時折歌詞が出るスタイル。映像を背景に冒頭は豊川のピアノに秋田のギターが重なり、他のメンバーはシルエットになって浮き上がる。二人で始まったことをうかがわせるノスタルジックな雰囲気だ。メメモリはライブ回数が多かったが、豊川さんがお休みで鮎京さんがサポートに入っていた。ツアー以外で弾き語りでは聴いたことがあるものの、フルメンバーでは久々だろう。TKとの対バンとかねえママはセトリに入っていたが、共に2013年。それ以来かもしれない。この頃はまだamazarashiとしてのライブ本数も少なく調子がいい時もあればよくない時もあり、この街は音が取りづらいのかピッチが合わず苦しんでいたこともあった。今では100本以上のライブを経て海外にも進出し、大きな輝きを放つロックバンドになった。11年・・月日なんてあっという間だ。
メメモリの時は冒頭打ち込みが使われていたが、今回はアコースティックスタイルで生演奏のみ。秋田の声は過去を慈しむように優しく、青森で暮らしながら音を届けるamazarashiの風景が胸に沁みるように響く。2番のJR部分は弾き語りだとギターで踏切のような音を表現しているが、バンド演奏ではピアノなのが印象的だ。amazarashiの中でも生活に根差した色の強い楽曲。それぞれの街で生きる無数の人の人生が重なり、自分と向き合い進む背を支え、日々の中に小さくても確かな希望の明かりが灯る。
穴を掘っている
いや・・え?笑
アンチノミーで前回からの続きだと思ったらエンディングテーマで頭から世界を収束させるし、リビングデッドでゾンビが火をくべるし、ワンルーム叙事詩は部屋燃やすし、火好きだな火種って歌を作る位だもんねとか思ってたら正統派路線に戻る。ジュブナイルから光、再考にamazarashiらしい初期衝動からの、令和二年でコロナ禍を乗り越えそれでも完璧な人生だと、たとえ何があってもこの街で生きていくんだと胸が温かくなった所だった。そこを穴に突き落とすか普通。しかもこの穴掘り、ただの穴掘りではない。虚無病でもまさかのコンテンポラリーを組み合わせてスコップダンスを披露したのが忘れられないが(あのインパクトが強すぎてライブ中も映像が頭にちらつく。笑)ここでも一筋縄ではいかないアレンジを加える。本ツアーでMVPをどの曲に与えるかと聞かれたら、私は間違いなくこの曲を選ぶだろう。
この街が終わった直後間髪置かずに、何かを落としたような大きな音がし、橋谷田はコンガやジャンベ当たりの楽器を叩いたり低い音を出したりと打楽器の色んな音がする。井手上のギターがそこに細くおどろおどろしく乗って不安を掻き立てる。紗幕はシルエットでメンバーの姿は前にいてもよく見えない。どこから何の音が飛び出してくるか分からない位沢山の音が雑多に蠢き、森の奥でひっそりゾンビの集会でも行われそうな雰囲気だ。その割に照明はピンクや紫の色っぽさを出してくるものだから余計に怖い。不協和音に思えた音はやがて収まり一定のリズムを刻むジャンベとたゆむようなギターの音。やがて特徴的な低音のピアノが響く。穴を掘っている~。
「嘘やろ」
内心皆突っ込んでいただろう。笑
この曲は自分や友人のための穴=墓を掘っている訳で死にとても近い曲だとは思うし、世間への恨みつらみが出ていると思うが、私は意外と負のイメージで捉えていない。暗いのは確かでも、クソみたいな世の中、他人に期待なんてしないでさっさと次行こうぜと言いながらそれでも捨てきれず諦めきれない人間くささがすごく出ていて、好んでは聴かないけど(聴かないんかい)嫌いではない。でもこんなアレンジならまた聴きたいと思う。
中村はウッドベース(というにはサイズが小さかったのでアップライトかも)を持ち音を刻み、床から体に振動が響く。ゾンビ達の穴掘り集会に巻き込まれたような世界に飲み込まれるような感覚だ。後ろの紗幕には文字がゆらゆらと揺れ、秋田の声はエモーショナルで淡々とした冷たさと熱さ、悲しみや怒りをまとい絶好調、感情のまま自由に叫ぶ。ラスト“どうせ僕だって悪人”の前は長く無音状態が続き不安を掻き立てた所で、一斉に音を合わせて盛り上がりを見せる部分はこの日一番の見せ場といってもいいだろう。文字での表現は限界があるためぜひ体感してもらいたいが、最後まで不穏な音を引っ張りエンディングを迎えた。あと、名古屋はラスト“僕は僕をあきらめたぜ”のところで首を振りながら歌い帽子をくいっとしてたのがとてもかっこよかった。
(閑話休題)穴掘りにピッタリな景色
吐きそうだ
感想:エロい
一言で言ってしまうとこれに尽きるのだがそれだとレポにならないのでもう少し話そう。笑。虚無病と武道館でしかやったことのない吐きそうだが穴を掘っているに続く。照明が赤から青に切り替わり、表の紗幕には白い粒が広がる。それは気だるげな内面に秘めた小さな涙のように映った。アンチノミーで“意味でなく意志を取れ”と言いながら、“生きる意味ってなんだ”と言う。寝起きのコーヒー位なので意味はないと言っているようなものだが。二日酔いの回らない頭で管を巻いているようなこの曲が続くのがいい。秋田は高音も美しいが低音も魅力的で思う存分低音を味わえる一曲だ。ライブではなかなか聴く機会がなかったのでとても嬉しい。
紗幕に白鳥が飛んできて自由を求めてるような表現がされていたり、鉛筆でぐるぐると落書きしたような映像が出たりはああでもないこうでもないとと迷うイメージが伝わる。その一方で照明はかなり色んな色を使っていて混沌とした雰囲気がよく出ている。amazarashiには珍しくずっと低音が続く曲。秋田の低い声に、井手上のギターアレンジがとても繊細で色彩豊かに重なり、時折そこへツリーチャイムの天使が舞い降りるような音作り。閉塞感に射しこむ一筋の光、回らない頭がゆっくりと醒めていくようで心ときめく。1オクターブ上の豊川のコーラスは終始美しく、最後のあーあー部分は以前は豊川のみだったが、二人一緒に合唱のように歌っていたのがとてもよかった。
まっさら
秋田がギターボディをコツコツと叩きスタート。アルバム永遠市ではラストに置かれながらなんとセトリ落ちしてしまった、まっさら。初雪がうっすら積もった朝のような寒いけど凛として冷えた空気のような清涼感が漂う。私はこの歌を聴くと、宮沢賢治が最愛の妹を見送った「永訣の朝」が思い浮かんで仕方ない。(知らない人は検索してみてね)紗幕は永遠市のイメージが入っているような映像作り。後ろには山々の稜線が広がり、その上には宇宙が広がる。照明は白や青など寒色系のものが使われ、まっさらの世界に色を添える。真っ白な太陽コロナの中に歌詞が出てきたり、この日の中でもかなり凝った作りで永遠市のセトリに入ってても違和感がない。なぜやらなかったのか小一時間問い詰めたい。笑。
井手上はガットギターを下ろし違うエレキに変え(たように見えた)冒頭からたゆむような音を鳴らし、しっとりとした世界を描く。長く続いた死や負の空気・・すべてを包みこみまた始まる新しい朝のような、秋田の優しい声が前へ出る。豊川の透明感のあるコーラスもまた美しい。どこか泣きじゃくるような寂しさや喪失感が漂い、声と演奏に引き込まれ、新しい朝が幕を明ける。
謎過ぎた穴掘りからの吐きそうだの流れだったが、後ろにまっさらが続くことで何かすとんと理解できた感覚があった。令和二年のしんどさを越え、過去を受け止め不完全さすらも肯定しながらパーフェクトライフを歌い、原点に戻りこの街で生き続け、生きていれば耐え難いこと苦しいことが起きることも、諦めること諦めきれないことが出てくるのは必然だ。自分の、友の心を救うための穴を掘り、終わらせる覚悟でそれでも諦めきれずもう少しやってみるかと飲み交わし、泣いて愚痴った翌日は二日酔い。回らない頭で人生を考え堂々巡り。それでも朝は来て、水を飲み少し冷えた頭でいいことばかりじゃないけれどシンプルに今日からもう一度。始まりの歌、まっさら。
ああこの景色を描きたかったのか。だから永遠市ではやらなかったのか。この取り戻せない喪失感、それでもやってくる明日と未来へ進む光と覚悟を伝えるため、あの真夜中と混沌の影があったのだと私は受け取った。あなたはどう思うだろうか。
幕が上がり、秋田の背後に大きな照明が下りてくる。
MC5(仙台・名古屋)
仙台
後2曲になりました。今日はありがとうございました。次の曲は最近わいが好きな曲で、新曲でもないんですけど、なんでこんな歌いたくなるのかなって考えてたら、なんかamazarashiの未来が見える気がして。きっとこのままやっていくんだろうなと思いました。また10年先20年先、年経ってもライブが出来たらいいなと思っています。今日はありがとうございました。夕立旅立ち。
名古屋
名古屋ありがとうございました。あと2曲です。次の曲は、最近↑好きでよくやってるんですけど、なんでこの曲やりたいのか考えたら、amazarashiの未来が見える気がして、amazarashiデビューしてもう14年とかで・・わいはできれば同じメンバーと長くやりたいし、でもやっぱり事情があって出来ない人もいるし。勿論自分がやりたいことが見つかったとかなら全然いいけど・・でもやっぱ寂しいなと思って。また10年後20年後こういう風なバンドでやっていければなあって思ってます。今日はありがとうございました。夕立旅立ち。
ここにきて名古屋はこれまでなかなか口にしてこなかったバンドメンバーについて触れた。メッセージボトルツアーはamazarashiにとって試練が続いた。札幌でギターの出羽さんが抜け、ドラムの真さんが事故に合い追加の中野では首コルセットを巻いて演奏するも、ライブ中断を余儀なくされた。再演を約束し、秋田はギター1本の弾き語りで『命にふさわしい』を披露したが、その声は仲間を想い涙がにじむように震えていたのを覚えている。真さんは完治後復帰したが、出羽さんは戻らず。
amazarashiの楽曲を編曲・プロデュースし、かつてはステージに共に立っていた「出羽良彰」という存在はとても大きかっただろう。全体をリードしていたバンマスが抜けたからこそ秋田がフロントマンとして強くなったのは確かだ。まこっちゃん(井手上誠)が天才的なエモーショナルギターだとすると、出羽さんは強く前には出ないが正確なストイックギター。かなり印象が違い、amazarashiのライブも激しくなり大きく変わった。バンドとして成熟し飛躍したと思うが、今の楽曲やライブを出羽さんならどう表現するか、それはずっと気になっているし見てみたい。たらればを言っても仕方ないのだが、いつかまた1曲でもいいから同じステージに立つ姿が見られたらいいなと願ってやまない。そして現メンバーに向けても、これからもよろしく!と肩を組んでいるような言葉に聞こえた。名前を出した訳ではないけれど、ああやっぱり寂しかったんだなと思ったし、そんな気持ちを吐露してくれたことがとても嬉しかった。その願いが叶いますように。
夕立旅立ち
井手上のバンジョーのキラキラとした高音が降り注ぐ。ステージの巨大照明(壁画位のサイズ)は夕日のようにオレンジに明滅し‥といいたいところだが、前方の席はサングラスが必要な光量である。ついでに客席にも斜めに白く強い照明が当たる。メッセージボトルか何かでヨクトで使ったけど光量がやば過ぎて違うものに変えた時のことを思い出した(変更前の方)ギラギラ過ぎて完全に目つぶし攻撃のため、東京に行く人はご注意を。ちなみに仙台は前方でも端っこで直撃せず、確かに光ってるけど西日が射してるみたいで綺麗だな位にしか思わず、名古屋で目つぶしに合うとは思わなかった。遠目で見るのはよさそうなので、映像化されたら綺麗に映るだろう。目を伏せればステージが見えないし、見たら見たで目が眩むし大変だったので、もう少し光量を抑えて欲しかった。笑。
秋田が繰り返し好きな曲だというのは、初めてこの曲を理論武装解除でやってからセトリ入りの頻度を見ればよく分かる。カントリー調でフォークっぽさもあり疾走感があり、演奏しても盛り上がる。秋田の好きな要素しかない。後悔も涙も過去も色んな風景を通り過ぎ、別れと出会いを繰り返し、それでも夢の続きを歩き、走り続けていく。amazarashiの未来を秋田ひろむが10年先、20年先と口にしてくれるようになったことはこの上ない喜びだ。これから先、共に年を重ねていきたい。
秋田はありがとうございます!と声を上げた後、後ろを向いてかき回しバンドメンバーと最後の一音まで丁寧に音を重ね、ありがとう!と声をあげた。ここで豊川も含めバンドメンバーはステージから下がり、再び秋田だけが残る。
MC6(仙台・名古屋)
仙台
去年、永遠市ていうアルバムを出してツアーしてアジアツアー回って思ったことなんですけど、ライブも後半になってだいぶ削れて次のサビ歌ったら喉枯れちゃいそうだなって思って、でも気持ちは高揚してて。来週までに声戻るかなーでもまあいいやーこのままいっちゃえ!て思う瞬間があるんですよ。そういう瞬間のためにわいは音楽やってて・・そういう気持ちを歌にしたんで、新曲を作りましたんで聴いてください。
名古屋
去年、ええと永遠市のアルバムを出してツアー回ってそれからアジアツアー回って、沢山のものもらって思ったことがあったんですけど。ライブも後半になって息切れて喉もちょっと枯れてて・・この次歌ったら声枯れちゃうなとか来週またライブあるけどそれまでに戻るかなあとか、チカチカしてフラフラしてでもすげえ気持ちいいからこのままいっちゃおう!と思う瞬間があって。次の曲も新曲で、そういう気持ちをこめて作ったんですけど、今アルバム作ってるんでそんな近くではないけど気長に待ってくれると嬉しいです!今日はありがとうございました。
新曲作りました→アルバム作ってますときて、福岡では15周年何かやると言っていたらしいので、情報を小出しにして東京で発表パターンと推測される。アルバム作ってもう少し大型のツアーをまたやってくれると嬉しい。新潟とか四国とかご飯やお酒がおいしい所に連れて行ってください。笑
新曲
東京を控えているため、曲の内容については割愛する。前回の騒々しい無人と同じように秋田の背後が明るく点灯し、バンドメンバーが去ったステージは寂しげで騒々しい無人という言葉そのままだ。表の紗幕も透過し、ステージから客席へ照明が射しながらギター1本の弾き語り。どこか懐かしくとても好きな曲調だったので今後の発表が楽しみだ。白く強めの照明は客席からステージに戻る際にちょうど秋田の顔部分を照らすものだから顔ががっつり見えていたのが気になった。こっちは嬉しいいけど。笑。
終演
2時間弱のAcoustic Liveは、秋田のありがとうございました仙台!(名古屋はついてなかった)amazarashiでした。の言葉で幕を閉じた。懐かしい曲も多く、セットリストも面白く、本数が少ないのが本当に惜しい、いいライブだった。大阪も福岡も行きたかった。曲間があいているのにMCでそんで~と喋りだしたり、水を飲みながら話したり、デビュー当時のことやバンドのこれからのことを色々と話してくれたのもよかった。
歌の変化とこれから
秋田は歌い方を変えたことでライブを通して歌唱が安定するようになったが、今回はがなるシーンも多く初期の荒々しさを感じさせながら、美しい歌声を届けてくれた。そして懐かしい楽曲と新曲の間を行き来することで、最近の歌はライブで感情をのせやすくなっているような気がした。古い曲は言葉が詰まり直情的で感情はぶつける感覚に近い。歌の感情表現が豊かになったなと思っていたが、楽曲そのものも変化していて受け入れる余白があり、ライブで化けるのかもしれない。これからのamazarashiの楽曲がどう変わっていくのかも楽しみにしたい。
いつも東京では他と違った緊張感が漂うが、12日はどうだろう。そして15周年となる来年に向けてどんな計画があるのかも気になる所だ。できれば青森でも聴きたかったが、久しぶりに仙台で聴けたのはとても嬉しかった。
セットリスト
1.アンチノミー
2.エンディングテーマ
3.リビングデッド
4.ロストボーイズ
5.ワンルーム叙事詩
6.ジュブナイル
7.そういう人になりたいぜ
8.光、再考
9.令和二年
10.パーフェクトライフ
11.この街で生きている
12.穴を掘っている
13.吐きそうだ
14.まっさら
15.夕立旅立ち
16.新曲
11月12日は1年振りの有明でどんな景色を描くのか楽しみだ。東京編に続く。
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