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22年前の今頃

22年前の丁度今頃、30歳だった私は、大きなお腹を抱えて、陣痛を待ち望んでいました。
出産後にしなければならない事が山程ありましたので、兎に角、早く生まれて来て欲しいと願うばかりでした。

第二子を妊娠し、お腹が随分大きくなった頃、元夫のアメリカ、シカゴ赴任が決まりました。取り敢えずお腹の子を産んで、その子のパスポートを取って、ビザを取って、荷物纏めてとっととシカゴへ向かわなければ、と、先にシカゴに行ってしまった夫に頼る事も出来ず、一人、あれこれ計画を立てていました。

しかし、お産は計画通りに進みません。臨月になっても全く産まれる気配がないのです。22年前、2月8日でとうとう39週に入り、もういつ生まれてもおかしくないのに、胎動もあまりなく、とても心配になりました。
(第一子は結構激しい胎動があり、安心しておりましたが)
2月10日の検診で、赤ちゃんはまだ全然出てくる気配なし、上の方に居る、とのこと、思い切って「じゃあ、明後日産みます!これ以上待てないので。」と、お医者様と相談し、12日に入院する事に。

2月12日、入院して陣痛を促す為、1時間置きに3回薬を飲むのですが、全然陣痛はなく、子宮口も開きません。それでも赤ちゃんは少しずつゆっくりゆっくり下がっては来て居るとの事、その日は諦めて、翌日に賭けました。

2月13日も、朝から全然陣痛が来なくて、それでもいつ、陣痛が来ても良いようにと、分娩室で待機し、14時くらいに助産師さんと、少し遅めのお昼ご飯をのんびり頂いておりました。
お医者様も、「子宮口はまだ開いてないし、これから帝王切開の手術に行って来るから、それが終わった頃、子宮口も少しずつ開いてきて陣痛も来ると思いますよ。」との事、帝王切開の手術に行ってしまいました。

お医者様がいなくなり、助産師さんと談笑しつつお昼ご飯を頂いてました時、突然お腹が痛くなりました。「ちょっとお手洗いに・・・」と、お手洗いに入りましたら破水!トイレから動けなくなり、助産師さんを呼ぶと、「まあ、大変!子宮口全開だわ!どうしましょう、ここでいきまないでね!」と、助産師さんは慌てて私を担いで分娩台へ。

私はどうしても我慢できず、いきみたくなり、助産師さんは、「ああ、どうしましょう、大変、先生を呼んで来ますからちょっと待っていてね!まだいきまないでね!」と、大慌て。
私は一人にされるのが心細く、「あの、もうダメです、我慢できないので今産みますから、側にいてください!」と、伝えた後、思いっきりいきんで娘が誕生したのでした(~_~;) 助産師さんは私に駆け寄って下さり、慌てて娘を取り上げて下さいました。それが22年前の丁度今頃、午後14時35分の事でした。
あの時助産師さんが先生を呼びに行っていたら、私一人で産んでいたところでした💦
後から帝王切開を終えた先生が慌ててやって来て、「え?もう産んじゃったの?!」と、吃驚されていました。早かったですね〜!と。。。

超スピード出産で超安産でしたが、お手洗いでいきまなくて良かったです😥

私は子供達の妊娠、出産について、事細かく記録しておりました。
出産なんてそうそうできる経験じゃないですから、当時は何となく記録として残して置きたい、という軽い気持ちで書きましたが、22年後、こうして楽しくその当時の事を思い出せるので、22年前の私に感謝しつつ、当時を思いながら記録を読み返しています💓

22歳、大きく立派になったね。
私の娘に生まれて来てくれてありがとう✨
My little girl yesterday,
my friend today,
my daughter forever💓
Happy birthday🎂
I am SO proud to be your mom.


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