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閑古錐(かんこすい)

若かりし頃の私は、若さ故怖いもの知らずで、刺々しく荒くれ者の、手に負えないチンピラ占い師でした。プロとしてデビューした頃は、まだ何も知らないという未熟さを知らず一人前ヅラし、怠け者のくせに根拠のない自信があり(師匠から才能がある、と、言われたひとことで有頂天@傲慢になってしまったのでしょう)、若いという勢いだけで占いの仕事をしていました。占い師として認められ、クライアントさんがついてくださりはじめても、無断欠勤や長期休憩なども悪びれることなくやっていたのです。

ですから先輩占い師さん達からは当然嫌われ、説教され、それでも不貞腐れては、自分の思い通りの傍若無人な振る舞いを平気でしていたものです。今思えば恥ずかしい限りで、タイムマシーンがあってその頃に戻れるのなら、若い頃の自分に厳しく説教をしたいくらいです。

子供達も今、そんな年頃に育ち、私程酷くはありませんが、矢張り、残念ながら私のDNAを受け継いでいるのか、若者の為せるワザなのか、根拠のない自信と共に何かと尖って生きています。

そんな子供達の無茶な言動を見て危なっかしいなあと思う自分をふと振り返り、自分自身がいつの間にか丸くなっていることに気付かされます。

禅語に閑古錐(かんこすい)という言葉があります。

古錐とは、古くて先が丸くなり、使えなくなった錐(きり)のことです。

閑とは、静かで穏やかな、心が平穏な状態のことです。

来る日も来る日も穴を開け続け、何十年も使われ古くなってしまった錐は、道具としてはもう役に立ちません。ですけれど、先の丸くなった錐は、円熟した魅力といいますか、何といいますか、風格のようなものが醸し出されます。

新しい若い錐は、先が鋭く尖り、時には怪我をすることもあります。

ですが先が丸くなった古い錐はそのような心配がないので、他人を傷つけたり、喧嘩をふっかけたり怪我をしたりなどしませんから、円熟した落ち着きが見えてきます。

今、親子程離れた10代20代の若い子達に混ざり、ツイキャス配信をしていて思うことなのですが、年を重ねる、ということは、若い頃には見えなかった様々なものが見えて来る、ということで、また、若い頃、自分も同じだった、と、共感できたり、今はその頃とは違った自分がいるのだな、ならばしっかりと自分の年と向き合って行かなければ、と、思わされる日々です。

私は「美魔女」ですとか「アンチエイジング」というものが好きではありません。いつまでも美しくいようと努力することは素晴らしいこととは思いますけど、若さに執着したり、若い人と張り合っても仕方がありません。

年を重ね円熟した自分にしかできないことを探して行く事こそが、美しい事なのでは、と、お若い方とキャスで交流し始めて改めてこのところ感じる事なのです。

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