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先祖代々伝わる「呪い」と「女」

何日か前に、母に呪われる夢を見た。「あなたの次世代の子供を呪うっていっているのよ」と、嘲笑うのだ。見てから数日間、怖い気持ちを抱えていたら、「呪い」の話は確か、祖母からも聞かされたことを思い出した。ひどい目に遭わされた人は、遭わせた相手を呪う、というのは母方に先祖代々伝わるものかもしれない。
でもこの「呪い」とは、弱者の感情で、呪う側にも依存心があったのだろう。一方的に報復する言い方ってどうなんだろう、それこそエゴイスティックな感情だなあと思う。

お金がない、だから働かずにはいられない、というのも、先祖代々伝わる業なのかな、と思う。今は収入より支出の方が多いので、考えて使わないといけない。だけど、何かとストレス発散に使ってしまいがちだ。

浪費が原因が何かって、やはり今まで支えだったものが無くなったからだろう。頼りにしていた母や信頼していた弟の本性を知ってしまったこと。実家に帰りたいと思わなくなってしまったこと。母とは電話で話しても、昔ほど楽しいと思えなくなったこと。もう電話したくないこと。それは今まで私が依存していたために過大評価していた母の現実が現れたからであって、人間って、こんなものだ、という結論にたどり着いたのだ。悲しくも揺るがぬ結論に。ではこれからどこへ行こうか。
そこなのである。


確かに、母や祖母からは呪い、という言葉をよく聞いたが、「呪い」と「女」はよく結びつく。全身で愛し裏切られた時、女は愛したその対象を呪う。でもこれって、愛の延長ではないか。本当に愛をなくしたら、無関心になるから。結局まだ、愛しているのだ。

先日墓参りに行ったら、不意にこけて膝小僧と掌を怪我した。大きな蜂が飛んできて驚いた。母の呪いが来たのかな、と思った。

愛しているから「愛している」と素直に表現できる人は少ない。全く反対の言葉を突きつけて、自分も人も傷つける人もいる。心を表すのが怖い弱者なのだ。気持ちを表現できるとは、強さがいるのだ。

そういえば、一年前に諍いを起こして別れた南米のKくんのSNSには、顔色の悪いセルフフォトが時々アップされている。毎回同じような投稿ばかりしているし、誰かの書き込みに「人生の曲がり角なんてこれからたくさんあるよ」とあったから、あまり良い状態ではないのだろう。でも仕事は発展しているようで、外国でワークショップをするらしい。
もしかしたら私が連絡すれば、元気になるかも、と思う時もあるが、それは危険な考えなので打ち消した。彼は中毒だ。誰かに注目されることで自分を承認されたい。私が連絡したとて、また盛り上がって逃げるだろう。そう思うってことはすでに、私は彼に信頼をもっていないのだ。

母も優しいところはあった。献身的な時もあった。大変だったら助けてあげたいという気持ちはあるのだけど、父の介護の時にも「なんでこんな時にこうするの?」という場面がいくつもあって、本当に真心を捧げていいのかと疑ってしまう。母も利己的だ。家族、まして夫がどうにかした場合も、結局自分のことしか考えていないことがあの時証明されてしまった。この時の悲しみを忘れられない。
母だって人間なんだから、こんなこともあるさ、という結論にたどり着いたが、私の人間不信をどうしてくれるのだろう。

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