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20数年一緒にいた夫と、再び向き合う。

セックス について考えるとき、私の小我を思う。自分勝手な欲望。セックス をするとき、本当に愛を持って相手と触れ合っていたのかな。心から相手を受け入れようとしていたのかな。自分が気持ちよくなりたいだけだったのかな。

子供が生まれてから、めっきりセックス の回数が減った。子供が生まれてからの私は自分の幸せにしか目がいってなかったかな。出産は私にとって大きな出来事で、私の体から生まれてきた子供が全て、のようになって、私の愛が全て、のように思っていた。
それは夫にとっては、不快だっただろうし、じゃあ、俺は俺の道を行くよ、というふうになられても仕方がない。だから夫は、私を顧みずに仕事に邁進して行ったのかなあと思う。

子育ての過程で紆余曲折あり、私たちはもう一度お互いを、人生を向き合い始めたけど、正直、前のようにはなれないな。
離れていた十数年間にそれぞれが経験してきたことが大きすぎて、伝えることは難しい。ただ、お互い、苦難を乗り越えてきたことへの敬意を持って接するようにはしている。

パソコンに向き合い、絵を描く、文章を書く。結局、私の心がダイブする場所は、此処になってしまった。出産前は夫だったのに。
結婚当初の夫はどんな私でも受け入れてくれたけど、当時は不安だった。広がりが感じられず、このまま二人だけの世界で生きていけるか不安だった。

絵や文章を書き、SNSでいろいろな人とつながりを持つと、私の世界は広がってきた。おそらく夫の方も私とはまた違う世界で自分を広げてきたのかもしれない。
だから人生も折り返し地点に来た今、もう一度出会っているという感じだ。

20年前に比べて私は、いろいろなものを持っている。若さや体力は失ったけど、知識や経験、知恵、心の豊かさ、思いやりは増したと思う。それらを総動員して、もう一度自分のエネルギーを何かに投入したい。その向かう先として、恋愛やセックス を思うこともあるけど、それはあまりにも儚く、事足りない気がする。
人間だから、動物だから、幾つになっても、小我はあるのね。
体ごとダイブしたい。そういうものに出会いたい。人間にはもう可能性を感じていないけど、でも希望を失いたくない、みたいな。

それは私自身に、希望を見失いたくない、という気持ちの裏返しなのかもしれない。愛する力の限界を決めたくない、という、私自身への希望なのだ。

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