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【前編】トビンの手相

 トビンと俺の二人は、ある日コニーアイランドに行った。その日は二人で四ドル持ちあわせていたし、トビンには気晴らしが必要だった。というのも、トビンの愛しの彼女、ケイティ・マホーナーが、アイルランドはスリゴ州からアメリカに向けて三か月前に出発したのに、行方知れずなのだ。彼女自身の貯金二百ドルと、トビンが遺産として引き継いだ、シャーナー沼のほとりに建つ立派なコテージと養豚業を売ってつくった百ドルを持ったまま、彼女は消えてしまった。トビンに会いに出発した、と告げる手紙から、ケイティ・マホーナーの姿を見ることも聞くこともない。トビンは新聞に広告を出したけれども、のアイルランド女性の行方は全くわからなかった。
 
 そんなわけで、俺はトビンとコニーに行けば、ウォータースライダーの急ターンやポップコーンの匂いで、トビンの沈んだ気持ちも上がるんじゃないかと期待した。だけどトビンは融通が利かないやつだし、もう失望が肌にしみついていたようだ。ピロピロ笛に歯ぎしりするわ、射撃の的に悪態はつくわ、何か飲むかと誘えば飲むけれど、人形劇にヤジをとばすし、記念撮影のカメラマンに喧嘩を売るありさまだ。
 
 そんなだから、俺はアトラクションがそこまで派手じゃない、板張りの横道の方へとトビンを連れて行った。小さな出店の前でふと立ち止まったトビンは、だいぶましな表情をしていた。
「ここだ」とトビンは言った。
「ここなら俺も変われるだろう。ナイル川随一の手相占いとやらに俺の手を見てもらって、未来を占ってもらおう」
 
 トビンは超常現象の信奉者だった。黒猫やらラッキーナンバーやら、それから新聞の天気予報にしても、尋常じゃないぐらい信じこんでいた。
 
 怪しげな鳥小屋みたいな中に入っていくと、壁には赤い布が張られ、中央駅みたいに線が交差している両掌の絵が飾られていて、なんとも不気味だった。ドアの上に掛けられた看板には、「エジプト手相占いマダム・ゾゾ」とあった。

 ドアを開けると、S字模様と動物が刺繍された赤い上着を羽織った太った女がいた。トビンは女に十セントを渡すと、片方の手を差し出した。
 女は、馬車馬の蹄と兄弟であるかのように硬いトビンの手を取り、運試しに来たのか、不運に見舞われているのか、占い始めた。
「ああ」とマダム・ゾゾは言った。「運命うんめえ線が……」
「何がうんめえだ」とトビンは横やりを入れた。
「俺の汚れた手のどこがうんめえんだ?」
「運命線です」とマダムは続けた。
「これまでのあなたの人生に不幸が多かったことを示しています。しかも不幸はまだまだ続くでしょう。親指の付け根の金星丘きんせいきゅう――それともこれはただの血豆かしら――が、あなたが恋に落ちていることを示しています。あなたの恋人にまつわる、何かしらの困難に見舞われているのでしょう」
「ケイティ・マホーナーのことを言ってるんだ」とトビンは俺の片耳にけっこうな音量でささやいた。
 
「なるほど」と手相師は続けた。
「どうしても忘れられない人がいて、悲嘆と苦難に苛まれていますね。
手相が、彼女の名前にKとMの文字があることを示しています。」
「ほら!聞いたか?」とトビンは俺に言った。
「暗い男性と明るい女性に気をつけてください」と手相師はさらに続けた。
「どちらもあなたに災いをもたらすでしょう。あなたは近々、水の上を旅することになり、経済的損失を被ることになるでしょう。幸運をもたらす線が一本見えます。あなたに幸運をもたらす男性が一人現れるでしょう。歪んだ鼻がその男性の目印です」
「彼の名前はわかりますか?」とトビンは訊いた。
「逃げられて幸運を捨てるなんてことがないように、ちゃんと挨拶できたほうがいいと思うんで」
「彼の名前は」と手相師は考えこんだ。
「手相からスペルはわかりませんが、長い名前で、Оの字が入っているはずです。これ以上お伝えできることはありません。さようなら。ドアの前を立ちふさがないよう、お帰りください」

「なんでもお見通しなんてすごいなあ」とトビンは桟橋を歩きながら言った。
 混み合うゲートをなんとかくぐろうとしたとき、黒人が咥えていた火のついたシガーがトビンの耳にあたるもんだから、ひと悶着あった。トビンが黒人の首をなぐり、周りの女たちが叫びだしたから、俺はとっさに警察が来る前にトビンをその場から引きずり出した。トビンは気分が高揚すると、いつも喧嘩っぱやくなっていけない。

 帰りの船で、「この美形のウェイター欲しい人いませんかぁ?」と男が声をあげると、あふれたビールの泡を吹き飛ばしたい気分だったトビンは名乗りをあげようとしたが、ポケットに手を入れてそれはできないと気づいた。ひと悶着あった間に、誰かにあまった釣銭を掏られてしまったのだ。そんなわけで俺たちは、スツールに座り、飲み物なしで、南蛮人がデッキで演奏しているのを聴いていた。けっきょく、トビンは来たときよりも気分が落ち込み、自分の不運に悲観的になっていた。

 手すりの側の席に、若い女性が座っていた。赤い車の似合いそうな装いで、髪は新品のメシャムパイプのような色だった。横を通ろうとして、トビンはうっかり彼女の足を蹴ってしまったものだから、お酒が入っているときにいつもするように、お詫びを言いながら帽子をくるっと回そうとした。
 でも手が滑って、風が帽子を持ち去ってしまった。

 トビンが戻ってきて席にすわったので、不運が続くトビンのために俺は周りを警戒した。これほどの不運に見舞われたら、トビンなら視界に入った見目の良い男を蹴り、船をのっとろうとしかねない。
 突如としてトビンは俺の腕をつかみ、「すげえなジョウン、俺たちいま何してると思う?水の上を旅しているじゃないか」とまくしたてた。
俺は言った。「まあまあ、落ち着けって。あと十分ぐらいで岸に着くから」
「だけどあのベンチの明るい色の女を見ろよ」とトビンは言った。
「それから俺の耳をやけどさせたネグロもいたじゃないか?それに金も失くした――一ドル六十五セントだったかな?」

 男がよくやるように、トビンは暴れる言い訳に自分の不幸を並べ立てているだけだと思って、大げさなことを言うんじゃないと俺は説得しようとした。

「いや。おまえは天からの啓示やら霊験あらたかな奇跡とかに、耳を貸さないタチだろう」とトビンは言った。
「手相師は俺の手相を見て、なんて言ってた?すべて実現してるじゃないか。『暗い男性と明るい女性に気をつけてください。どちらも災いをもたらすでしょう』って言ってたじゃないか。
 あのネグロのこと忘れちゃいないだろうな?少しは俺もやり返したけど。
俺の帽子が水に落ちる原因になった、あのブロンドの女性よりも明るい女性なんているか?
 それから、射撃場を出るときに俺がベストに突っこんだ一ドル六十五セントはどこに行ったんだ?」

 トビンの言い方だと、たしかに占いが当たっているように聞こえなくもないけれど、俺には手相師の予言がなくてもコニーアイランドで起こりうるアクシデントの連続にしか思えなかった。

 トビンは立ち上がってデッキを歩き回り、充血した小さな目で乗客を観察した。その動きの意味するところは何なのか、俺は訊ねた。実際に行動の結果が出るまで、トビンが何を考えてるかなんてわかりっこない。
「ほら、俺の手相が指し示す救いがあるだろう」とトビンは言った。
「幸運をもたらす歪んだ鼻の男を探してるのさ。我らの唯一の救いだ。
しっかし、鼻の歪んでいない悪人なんて見たことあるか、ジョウン?」

 俺たちは九時三十分着の船を降り、二十二番通りを市の中心部の方へと向かって歩き出した。トビンは帽子なしだ。

 通りの角、街灯の下に、高架の上の月を眺めている一人の男がいた。男は背が高く、きちんとした格好で、前歯でシガーを噛んでいた。そして男の鼻っ柱が先っぽにかけて二度も、くねった蛇のように折れ曲がっているのが見えた。トビンも同時に気づいたようで、鞍を外したときの馬みたいに大きく息をしているのが聞こえた。トビンがまっすぐ男のもとへと歩いていくから、俺はついていった。

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