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【後編】トビンの手相

<前編のあらすじ>
アイルランドから渡米予定の彼女、ケイティ・マホーナーが行方知れずとなってしまい落ち込むトビンを親友ジョウンは遊園地に連れ出す。そこでトビンが手相を占ってもらったところ、占いどおりに不運が続く。占いによれば「鼻が歪んだ男」が幸運をもたらすそう。遊園地からの帰り道、そんなトビンとジョウンの前に、占いどおり鼻が歪んでいる男が現れて……


「こんばんは」とトビンは男に言った。
 男は口からシガーを外し、挨拶を返した。社交的だ。
「お名前を訊いてもよろしいでしょうか」とトビンは訊いた。
「お名前の長さを知りたくて。あなたとお知り合いになれたら嬉しいです」
「私の名前は、フリーデンハウスマン」と男は礼儀正しく答えた。
「マキシマス・G・フリーデンハウスマンです」
「十分な長さだな」とトビンはつぶやいた。
「お名前のどこかにОの字が入っていたりしませんか?」
「入っていないです」と男は答えた。
「Оを入れたスペルもあったりしませんか?」とトビンは不安げに訊ねた。
「外国の言葉がおいやなら、ハウスはОの入ったスペルで書くことも可能でしょうな」と鼻の男は答えた。
「なるほど」とトビンは言った。
「俺たちはジョウン・マローンとダニエル・トビンです」

「よろしくお願いします」と男は言ってお辞儀をした。
「街角であなたがたがスペルクイズを開くとは思えないので、わざわざ私の名前のスペルをお聞きになった理由を教えていただけますか?」
「あなたが二つの特徴を持ちあわせているか確認したかったんです」とトビンは説明を試みた。
「エジプトの占い師が俺の手相から読み取った内容によれば、あなたが幸運をもたらしてくれるかもしれないんです。すでに、黒人の男と、ボートで足を組んでいたブロンドの女が原因でトラブル続きで、一ドル六十五セントの経済的損失もあったし、すべて占いどおりだったんです」
 男はシガーを吸うのをやめ、俺を見た。
「彼の話に補足事項はありますか?」と男は訊ねた。
「それともあなたも同意見なのでしょうか。あなたが彼の面倒を見ているように思えたのですが」
「いえ、特に補足はありません」と俺は答えた。
「ただ、幸運のお守りというものはどれも似たり寄ったりで、こいつの手相占いにある幸運の印にあなたが似ているというだけです。ダニーの手相がまちがっているということもあるのかもしれませんが、俺にはわかりません」
「あなたがたと」と鼻の男は言いながら、警察官が居合わせていないかとあたりを見回した。「お近づきになれて光栄でした。おやすみなさい」
 そして男はシガーを再び口にくわえ、通りを足早に歩きだした。

 だけどトビンが男の片側にくっつき、俺が反対側についた。
「何だね!」と男は反対側の歩道で立ち止まり、帽子をかぶりなおして言った。「わからないか?私は」と彼は大声で言った。
「お会いできて光栄ですと言った。でも、本心ではもうあんたたちからは離れたいんだ。私は家に帰る」
「どうぞ」とトビンは彼の袖に寄りかかりながら言った。
「どうぞお帰りになってください。そして俺は、朝あなたが出てくるまで玄関の前にすわっていますよ。なにせ、黒人の男とブロンドの女と一ドル六十五セントの経済的損失の呪いが解けるかどうかは、あんたにかかってるんだ」
「なんとも不可解な妄想だ」と男は言うと、まだましな方の気ちがいと思われている俺の方を見た。「あんたたち家に帰った方がいいんじゃないか?」

「まあ、聞いてくださいよ」と俺は男に言った。
「ダニエル・トビンは、いつもどおりまともです。もしかしたらお酒が入ってちょっとばかり箍が外れて、言っていることが変かもしれないが、しっちゃかめっちゃかというわけでもない。ただ、迷信深いのと数々の苦難に見舞われた結果、一番良いと思った道を進んでいるだけなんです、ご説明します」
 そう言って、俺は手相占いが現実に起こっているように見えること、そして男が幸運の象徴のように思えた理由を話した。
「これで、本件に関する俺の立場はおわかりいただけたでしょうか」と俺は最後にまとめた。
「俺はトビンの友達です、少なくとも俺はそう思っている。
 金持ちの友達になるのは簡単です、おこぼれにあずかれるから。
 貧乏人の友達になるのも難しくはありません、周りに感謝され、片手にバケツ一杯の石炭、もう片手には孤児を抱えて家の前に立っている写真が撮れれば、いい気になるでしょうから。
 だけど、生まれつきのバカと真の友でいることこそ、友情を試すものはありません。俺がしようとしているのは、そういうことなんです」と俺は言った。
「俺が思うに、俺の手相から読める運なんてないし、そんなもん爪楊枝で描けるんじゃないかとも思う。
 ニューヨーク市内であんたの鼻が一番歪んでいるんじゃないかとは思うが、占い師が言うようにあんたから幸運が得られるとは思えない。
 だけどダニーの手相があんたを指していると信じてしまうのも仕方のないことだと思うから、あんたは関係ないとダニーが納得するまで、つきあってやるんです」

 そうしたら男は突然笑い出した。男は角にもたれかかり、かなり笑っていた。そして男は俺とトビンの背中をたたいて、俺たちの腕をとった。
「どうも私がまちがっていたようです」と男は言った。
「これほど素晴らしいものに街角で出会えるとは思わないじゃないですか?
もうちょっとで落ちぶれるところだった」と男は言った。
「近くにカフェバーがあります。稀有なエンターテインメントを楽しむのに最適で快適なところです。そこに行って何か飲んで、断定できない物事について語り合おうじゃないですか」
 そう言って男は、俺とトビンを店に連れて入り、飲み物をオーダーして代金をテーブルの上に置いた。男は、自分の兄弟であるかのように俺とトビンを見つめ、一緒にシガーを吸った。

「私の歩む人生は、文学的なんです、覚えておいてくださいよ」と運命の男は言った。
「夜をさまよい、有象無象の中から稀有を、天上から真実を探し求めている。あなたたちがやってきたとき、私は高架と夜を照らす明かりの交差に想いをはせていました。天体の通過は詩であり芸術でもある。月は、単調なローテーションで動く乾いた天体でしかないのに――そんな風に個人的には思うのですが、文学業界では逆の見方が多いかな。私がこの人生の中で出会った、奇妙な事象を本にまとめることが、私の夢なんです」

「俺のことも本に載せるのか」とトビンはうんざりしながら言った。
「俺のことも書くのか?」
「いや」と男は言った。
「本にするには早い。まだ、ね。
 いまのところは、私が一人で楽しみましょう、活字の限界を打開するには、時がまだ熟していない。
 活字のあなた方は、きっと素晴らしいでしょう。いまは私一人でこの歓喜に浸るしかない。しかし、あなた方には感謝してますよ、本当に」
「あんたの話しぶり」とトビンは言った。ひげに吹きつけるように鼻息を荒くし、テーブルを拳で叩いた。
「堪忍袋の緒が切れそうだ。あんたの歪んだ鼻で、幸運は約束されたようなものだと思ったのに、これっぽっちも実がないじゃないか。本のことばかりで耳につく、すきま風のようにしか思えない。俺の手相は、黒人の男とブロンドの女については真実を示してくれたが、それだけだったようだ――」
「こらこら、示された人相から離れるのですか?」と男は言った。
「私の鼻は、可能な範囲内で役目を果たしてくれるでしょう。空のグラスを満たしてもらいましょう、稀有な出来事は乾いた倫理的な空気の中では悪くなるだけです、潤いを与えてあげねば」

 そうして文学男は、もう予言のネタがつきた俺とトビンにとって、優良な――お代を支払ってくれてるから、少なくとも俺はそう思った――いずれにしても、陽気なお財布になってくれた。だけれどトビンは落ち込んで、目を赤くしながら、ただ静かに飲み続けた。

 そんなこんなしているうちに十一時になったので俺たちは店を出て、道端で少し立ち止まった。男は、もう家に帰らねばと言って、俺とトビンに一緒に来ないかと誘った。俺たちはそこから二ブロックほど先、長い階段と鉄のフェンスがついたレンガ造りの家々が並ぶ横道にたどり着いた。そのうちの一つの前で男は立ち止まり、灯りのついていない最上階の窓を見上げた。

「ここが拙宅になります」と男は言った。
「見たところ、妻はもう寝てしまっているらしい。そんなわけで、少々おもてなしを工夫しなければならないようです。地下室に入っていただいて、そこで軽食をお召し上がりいただきたい。冷めてるけれどうまい鶏肉と、チーズ、それからエールが一、二本あったと思います。どうぞ中に入ってお食事していってください、ネタを提供してくれたあなた方に少しでもお返しせねば」
 俺とトビンの食欲と意識は、男の提案に傾いた。といっても、ダニーは手相が約束した幸運とは酒と軽食のことだったのだと頑に信じ込んでいた。

「この階段を下りて行ってください」と歪んだ鼻の男は言った。
「私は上の玄関から入って、下のドアを開けますから。台所で働いてもらっている新しいに、あなた方がお帰りになる前にコーヒーをお持ちするように言いつけておきますよ。このケイティ・マホーナーが淹れるコーヒーがうまいんですよ、こっちに来てまだ三か月の若い女の子にしては。さあ、どうぞお入りください」と男は言った。
「彼女をそちらに伺わせますから。」


※原文は著作権フリーですが、訳文は翻訳者に著作権が発生しますのでご注意ください。
※本訳文には、noteの表示画面に合わせて原文にはない改行・段落分けを入れています。


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