見出し画像

4.堂道、次長!②

 ショッピングモールを出て、歩いて帰る。
 昼間は新しい街並みも、夜になれば暗さが目立つ。
 オレンジ色の外灯に照らされ、おもちゃのような家がテーマパークさながらに立ち並ぶ中は、堂道にはあまりにつかわしくないかわいらしい風景だったが、そのなかを買い物袋を片手に、二人で並んで手を繋いだ。

「でも、やっぱり聞きたいです」

「なにを?」

「雷春さんと何があったか」

「だからー、ないって言ってんだろ。告白もしてないしされてない」

「されてたら問題だし、してたら大問題です!」

 女ってそういうの興味本位で聞きたがるよなー、そんで言うと怒るんだよなー、とぼやきながらも、
「再婚とか、翔太の、あー、雷春さんの息子の父親うんぬんの話はしたことあるけど、それはあくまでも同士としてであって、俺に父親になってくれとかそういう話ではなかったし」

「……はい」

 すでに不貞腐れている糸を見て、堂道はうんざりした顔で、
「糸の存在は公言してたっつたろうが。他の事務の人に『課長サン、再婚の予定はあるのォ?』とか聞かれて」

「……謎の肩書、婚約前提のイイ人宣言ですね」

「そうだ。糸みたいなゲテモノ肉食系でないかぎり、俺に手を出そうと思わんし、そしてアンタみたいなキトクな女はそうそういない」

「ゲテモノ肉食系、万歳です。あ、でも雷春さんの方が私より上手かも。だって『生態』に『略奪』の特徴が追加されるし」

「だからー、ねぇって言ってんだろ。アラフォーにそんな気力も体力もございません。二人きりで残業くらいはあったかもしれんけど、二人でメシとか飲みには行ってません。資料室も行ってません。いい雰囲気にもなってません。バスケで会うのと、たまにスーパーで偶然会うだけです」

「……偶然会うとか……妬ましい」

「そりゃ糸だって近くに住んでたら、会うこともあっただろうよ。そんだけの話じゃん。どうだ、納得できたか」

 それには肯定も否定もせず、
「私の存在がなかったら、雷春さんとどうにかなってましたか」

 めんどくさい女であることはわかっていたが、糸は尋問を続行した。
 この先もずっともやもやして、それが膨らんで、拗ねて、結局はけんかになるのが目に見えていたから。

「まだ言うか。そんなタラレバ考えるほど、頭ン中、お花畑じゃねえ」と吐き捨てて、手が離された。
 悲しい反面、仕方ないかと思う。しかし、堂道はボリボリと頭を掻いただけで、すぐまた手が繋がれる。

「もしもだ。俺に糸の存在がなかったら、俺が再婚しようがしまいが、それ自体が糸には無関係だし、俺の人生に存在しない糸は、俺の再婚云々なんてどうでもよく、そもそも俺自身にまず無関心。パラドックス」

「なんかテツガクテキすぎて……」

 堂道は馬鹿にしたように鼻で笑ってから、東京よりずっと暗い空を仰いだ。

「ただな、離婚歴もあってこの年齢、ってなるとさ、再婚がどうしても必要とか何か目的がある場合か、『この人ならまあいいか』っていう98%の妥協なの。よっぽどのきっかけがない限り、好きだの愛だのっつー感情だけで、もう一回結婚するなんていう面倒に重い腰は上がんねーのよ」

「雷春さんとは、その重い腰が上がるようなビビビ的なきっかけがなかったんですね」

「ちげーよ! そういう話じゃねえの!」

 堂道はおざなりだった手を、しっかり繋ぎなおして、「そんな四十二のオッサンが重い腰を上げて、ましてや目の前に高ぇ高ぇハードルもあるっていうのに、そんな険しい道であっても進みたいと俺に思わせた糸がスゴイって話だ」

「それくらい私のことを好きってことですか」

「そうそう!」やけくそのような頷き方で言い、
「いや、まあ冗談抜きで。糸が俺を好きでいてくれる、こんなゼータクな話はないと思ってるよ。ありがたいことだよ。前世で俺、国一つくらい救ったんだな、きっと」

 帰り道、堂道はいつになく饒舌だった。

「しかし、なんで今日に限って会うかねぇ」

 部屋に帰りついて、電気をつける。
 郵便、チラシ、脱いだ服。部屋はほどほどに散らかっている。
 まさに、『仕事に忙しい男の一人暮らし』と形容するのがふさわしい。
 散らかす暇もない、帰って寝るだけの部屋。

「来週行ったら冷やかされたりしますかね」

 キッチンで手を洗う。

「見られたのが事務のオバチャン連中ならうるさかっただろうけど、雷春さんなら大丈夫だわ。あ、皿洗うのめんどくせーし、それもうそのままでいいんじゃね?」

 買ってきた惣菜をそのままテーブルに並べる。

「雷春さんならって言い方が妬けるんですけど……」

「それなりに俺にもこっちの信頼関係ありますカラー」

 冷えたピザにカプレーゼ、ナムル、にぎり寿司、なすの煮びたし。
 食べたいものをそのまま買ってきたはいいが、あまりにとりとめのない食卓だ。

「もう不問にします。さすがにしつこいでしょ」
 
「ヤキモチもなかなかかわいいけどな。あ、確かシャンパングラスがあるはず」

 堂道が酒だけはと言って、コーナーに並んでいたボトルのなかから少しいいものを選んだ。

「えー! そんなオシャレな食器、なんでこっちにわざわざ持ってきてるんですか!」

「さあ、なんでだろうな。荷物開けたら入ってた。お任せパックだったからじゃねーの」

 棚の奥を漁って引っ張り出されたシャンパングラスに、糸は水を通してから、バーテンダーのごとく拭き上げる。

「でも、私もこっちに来てる時に一緒に買い物行ったりしてましたけど、今まで一度も会わなかったですね」

「まあ、実際糸と出歩くのはこの辺りは避けてたし、時間も夜遅くとかしか行かないようにはしてた、実は」

「私もそれは気付いてました。私と一緒にいるところ、見られたくないのかなって」

 堂道は話をしながらもダイニングテーブルの上を片付け、それからソファや床に落ちているものも拾い集めている。

「見られたくないっつーか、恥ずかしいのが一番だな。冷やかされるのもそれは普通に鬱陶しいし。パパ活とか言われんのもムカつくし。親子に間違われたらヘコむし」

 取り皿と割り箸をセッティングする。

「……支社を離れるの、寂しいですか」

 堂道も席に着いた。

「まあ、わりとこっちに根を下ろすのもアリかなとは考えてたかもな。ここは俺みたいなのがまだまだ生き残ってて、そりゃ生きやすいわな。つっても、ただのぬるま湯なんだけど。長くいると、二度と東京には戻れねぇ人種になってんだろうな」

 まだまだパワハラやセクハラが横行し、しかし、それを許してしまうような昔ながらの関係性が建設もされている旧社会。オヤジギャクと義理と人情。男尊女卑で封建的。
 いい悪いは別として、ここの男女はそれらと好意的に共存し、時代には取り残されているが、一方で心が広く、小さなことに目くじらをたてない、他人に優しい環境でもあると堂道は言う。

「ああ、つーか、バスケが寂しいかな。東京にだってチームはいくらでもあるだろうけど、ツテでもねえと教える側になんのは難しいだろうから」

「寄せ書きとか、みんなからもらえますかね」

「俺ァ、教育実習生か」

 堂道はシャンパンが吹きこぼれないようにボトルの口をふきんで覆った。ナフキンではない。
 糸は黙って、その手元をじっと見る。
 コルクが持ち上がってくる気配を感じて、指で耳に栓をする。
 抜けた瞬間、かすかに炭酸の破裂音がしただけだった。

「え、飛ばないの!?」

 コルクは飛んでいかなかった。

「飛ばすかよ。パーティーでもあるまいし」

 太いボトルを傾ける。
 とくとくと音と立て、トパーズ色の液体が泡を弾けさせながら細いフルートグラスに注がれる。その絵だけなら、東京の高級レストランの香りがする。

「けど、やっぱ東京勤めがいいだろ」

「そうでもないですよ。課長が気に入ってるなら、私、真剣にこっちの転職探したりもしてたんですけど」

「苦労して一部上場に就職したんだろうが。そんなに簡単に捨てなさんな」

「でも、これ以上遠距離続けるのもなぁとか思ってるんです」

「糸は、いつか地元帰るのか」

「帰るつもりありませんけど。そりゃ、この先仕事もなくなって、彼氏もいなかったら、帰る選択肢がないことはないです。どうかなあ。堂道課長に振られたら考えます」

「一生帰れないと思っとけ」

「え、それどういう意味ですか」

「さ、乾杯するぞ」

 少しお高いシャンパン。
 カオスなテーブルの三十センチの上空で、ささやかにグラスを鳴らそうとして、「その前に」糸は乾杯に待ったをかけた。

「なんだよ」

「堂道課長の本社復帰が決まりましたので、とりあえず交際復活ということでよろしいですか」
 
 堂道は少し考えてから、
「……糸、お前さ。質とスピード、どっち重要派?」

「はい?」

「重要視する方、質? スピード? どっちだよ」

「な、何の話ですか、一体」

「っていうかさ、なんで今日来るんだよ! 」

「え、いきなりどうしたんですか。だって羽切室長が……」

「質!? 速さ!? どっちだ!?」

「え、え!? じゃ、じゃあ! 速さ!」

「よし。その代わり、質には目をつぶれよ」

「な、なんの質……」

「わかった」

 堂道はグラスを置いた。
 展開が読めずに、糸は不思議な顔でそれを見た。
 本気で予想もしていなかった。

「俺と一緒になろうか、糸」

「……え」

「待たせたな。悪かった」

「え、なに、そんな、急に……嘘でしょ? 不意打ちすぎますよ……」

「わかってるよ! ホテルのディナーどころか、スーパーの惣菜じゃ、そりゃ締らねえよ! 指輪だってねえし! 速さ重視の選択の結果だよ! そりゃ、おま、内示のその日にいきなり来るとか反則だよ! なんも用意できてねえよ!」

 明らかに照れを隠して、堂道がまくしたてる。

「本気で、俺でいいんだな!?」

「いいです! なります! 一緒になります! 一緒にならせてください! ……やだ、信じられない」

「……まあ、糸の親御さんにもさ、本社勤務って方がナンボかマシだろ。なぜか昇進までしたしな。ビックリ人事だ」

「夢みたい」

 糸は目を潤ませた。

「でもな、結婚なんてな、夢見てるようなイイもんじゃねえぞ」

「わかってます! 結婚した友達からもそういう話をよく聞きますし。でも、結婚しないと課長とずっと一緒にいられないし、私だけのものにしたいから、結婚がいいものじゃなくても、やっぱり結婚したいです」

「そうか、ありがとな」

「私こそ! 私こそ、ありがとうございます……。だってまだ三年経ってないし……やっと今日から恋人には戻れるかなって思ってドキドキして来たんですけど……嬉しすぎる誤算です……ありがとうございます」

「三年なんて待たねえでももう十分だ。負けだ! 俺の負け!」

 堂道は乾杯もしないままに、お高いシャンパンを一気に飲み干した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?