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何者にもなれなかった自分へ。

私は、20年ほど前、何者かになりたくて、田舎から東京に来ました。上京してきた人というのは、野心を持っています。情熱とパワーにみなぎり、若さがキラキラしていました。私は、ファッションデザイナーを目指して東京に出てきました。大学を卒業したあと、とある専門学校へ入学したのですが、そこでの2年間は、とても濃い時間だったし、死ぬほど勉強したつもりです。

しかし、プロの集まりだという講師陣は、教えるということには素人でした。私は、毎日のように罵声を浴びせられたし、お気に入りの生徒以外はどうでもいいと言った感じでした。才能を伸ばすというよりも、潰れる才能は、才能じゃないというような考え方。きっとクリエイティブな現場では、そういう叩き上げが多いのではないかと思います。

私は、若かったので、とにかく食らいついていこうと必死でした。その結果あってか私は、大手のアパレルデザイナーとして内定をもらうことができました。きちんと試験をして、数百人の中の数人という狭き門でした。

しかし、その内定の話を聞いた講師陣は耳を疑うようなことを言いました。『裏で誰かがなんかしたんじゃないの?』『え?本当にあそこ受かったの?』『嘘でしょ』そんな言葉のオンパレードでした。おめでとうという言葉は出てきませんでした。
私は絵を描いたり、コンセプト立てたり、カラーの組み合わせ等考えるのは得意でしたが、製図が恐ろしく下手で、学校内の成績はかなり下の方でした。そのような講師たちの言葉を聞いていると、なにかがプツンとと切れてしまい、私は才能のない駄目な女だ。私はデザイナーなどなれるはずがない。そういう気持ちで心が支配されてしまいました。私は強度の鬱に陥り、消えていなくなりたいとそればかり考えるようになりました。学校もやめてしまいました。そして、内定も辞退することになりました。


自分から、掴みかけた夢を自分で手放したこと。講師から心のない言葉。全てが嫌になりアパレルの世界に近づくことができませんでした。


結婚して、子供も産まれ、先日、部屋の整理をしていたら、その時の内定の手紙が出てきました。もしかしたら働けるかもしれなかった憧れの職場。ずっとずっと後悔と恨みや妬みがありました。 何者にもなれなかった私ですが、いろんなことを経験しました。人を潰すことは簡単なこと。私は、才能を引き出してあげられるように、人に手を差し伸べられる人でありたい。そういうことも、その時の痛みがあったから分かったことだと思います。 ずっとずっとその捨てられなった手紙は、私の心が成仏できないことの証明だったのです。私は頑張ったんだよ。凄かったね。って誰かに分かって欲しかったのかもしれません。 

私は、その内定書をやっと捨てることができました。

20年経って、やっと気持ちが成仏できたなんてちょっと恥ずかしい。他の人には考えられないくらい私はメンタルが弱いのかもしれないです。でも、そこも全て受け止めて、今できることをやっていきたいなと思います。いつか、点が線になるように、興味のあること、今目の前にある問題を、ひとつひとつこなしていこうと思います。今までいっぱい頑張ったね。自分。毎日お疲れ様。これからも、よろしくね。

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