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人生設計(カウンセリングルームを開業した個人的な話19)

※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。
※この記事は目次に沿って書いています。

ここまでおつきあいありがとうございます。
目次に沿って書いてきて、今日からやっと第4章「心理カウンセリングルームを開業してみたら」に入ります。

なるべくサクサク書こうと思っているのですが、予定より遅れています。
がんばります。

第4章は以下の感じ。

・人生設計
・開業まで
・開業から1年目まで
・軌道に乗ったかも
・困難
・中小企業診断士の意見
・また転機
・東日本大震災
・「カウンセリング」と「相談」
・カウンセリング以外のカウンセラーの仕事
・講座につぐ講座の依頼が来た本当の理由

前回までに「カウンセラーになる」という決意を固めた話を書きました。

続きです。
決意を固めた時、私は公務員でした。
その時、季節は春~夏くらい。
どんな形でもルームを開こうと思っていたので、まずは場所の確保について考えました。
カウンセリングをしたくてうずうずし、一人暮らしのアパートを片付け、椅子を二つ置き、それらしくしつらえたのを覚えています。

ところで、仕事を辞めて生活ができるのか、それまでにも何度か計算をしてみたことがありました。そして、やはり無理だ、と諦めるということを繰り返していました。
それで、カウンセリングについては、最初は「週末ボランティア」と考えていたのです。

そのような流れと並行して、当時付き合っていた夫との結婚の話が具体的になっていきました。
そして、その夏に夫との同居生活が始まりました。
二人で住むために、それまでのアパートを引き払い、引っ越すことになった時、私はいずれカウンセリングルームを開けるような間取りを探しました。

不動産屋にも相談し、賃貸のマンションで、入口近くの一室が洋室になっていて、お客さまを招き入れてもプライベートスペースに影響しない物件を見つけました。家賃も、今までの所より少し高いくらいでした。

そうして、いつかはこの部屋でカウンセリングを……という夢を見ながら、夫との生活が始まりました。

公務員は、大体年末までに、次年度の異動についての調査があります。
なので、今考えると、たったの数カ月で決めたことになるのですが、私はその年度(翌年の3月末)で退職し、翌年度からカウンセリングルームを個人事業として始めることにしました。もちろん夫と相談の上です。

元々公務員という肩書の私と付き合ったのに、結婚してすぐ辞めるなんて、夫の立場だったらどうなのだろう、と考えはしました。
夫が私の独立に賛成してくれた一番の理由は、一緒に暮らしてみて私がどのような状態で仕事をしているかを目の当たりにしたからだと思います。

朝、7時6分発の新幹線に乗って、8時半までに勤務先に到着。
帰りは、駅に着くのが19時頃。
ということは、6時には起床、23時には就寝、といった感じなのですが、それが私にはものすごくきつかったのです。
(それくらい当たり前にこなしている方が沢山いらっしゃるのは重々承知しています。強いて言えば、移動距離が長かったのも体に負担がかかったかもしれません)

朝は起きられず、見かねた夫が私のお弁当を詰めてくれました。
夕食は早く帰ったほうが作る。
寝る頃には倒れそうなくらい疲れ果てていて、起きる時も辛い辛いと言いながらなんとか布団から出る。そんな状態でした。

20代の頃も似たような睡眠時間ではありましたが、まだ体力があったので、終業後は遊び歩いていたものですが、30代半ばに差し掛かった頃は、何度か体調を崩したこともあり、とても疲れやすい体になっていました。

夫はさすがに見かねた、という感じでした。
ただ、「闇雲に辞めるのではなく、やりたいことがある」ということも、夫が背中を押してくれたポイントだったと思います。

秋までには「事業計画」を作りました。
年末近くの上司との面談で、年度末での退職の意向を伝えました。
ちなみに、職場の年配の男性は、私が結婚と同時に専業主婦になると決意したと思ったらしく「潔い」と褒めてくれました。その年代の方たちにすると、結婚しながら働くことは何かの時の保険をかけているような意味にもとられたようです。

そんなわけで、一年ほどの間に、引っ越しをし、結婚し、公務員を退職し、個人事業主として起業するという目まぐるしい変化を一気にこなしたのです。

夫は遠方から来てくれたので、一緒に住んでうまくいかなかったらどうしよう、と責任を感じていましたが、結果的に案ずるより産むが安し、でした。

なんとなく印象に残っている「新婚の幸せ」は、夫が先に帰った時は、私のために玄関にスリッパを並べてくれていたことです。
その他人行儀のような距離感が、私たちにはちょうどよかったのです。

ただ、年齢的に子どもを産むか産まないか、という頃でもありました。
この後は、仕事の話を中心に書いていきますので、ここで簡単に書きますが、結婚した歳くらいから子宮の痛みが酷くなり、数年後に手術をすることになりました。筋腫だけを取ったので妊娠は可能でしたが、夫婦での相談、義母からの言葉がけもあり最終的に子どもは儲けませんでした。

夫も私も仕事には真摯に向き合うタイプだったので、それからは二人それぞれ「何かを成し遂げるため」邁進していくこととなりました。


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