「聴く」ということに気づいた瞬間(カウンセリングルームを開業した個人的な話6)
※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。
目次に沿って書いています。
今回から、「第2章 意識していないけれども『聴いて』いた時代」に入ります。
社会人になってから、交友関係が広くなりました。
若い時って、ちょっとしたきっかけで友達になれるのでしょうかね。
今(50代)は、友達というよりも、たとえば買い物をしていて、たまたま隣にいた知らないオバサン同士、突然知り合いのように会話をして(食品の品定めなど)、ふいに会話が終わるとそれきり、なんていうことが起こるようになりましたが、20代の頃は、友達なって、何度も遊ぶのですね。まだ携帯電話というものがなかったのに、仕事終わりも、休みの日も、暇さえあればお互いに連絡を取り合って、ドライブをしたり、カラオケに行ったり、飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり、部屋でビデオを見たり……。
いろんな世界の人を知りたいと思っていたので、職業や接点がバラバラの友達が結構いました。
その中で、一人、大好きな年上の女性がいました。
当時私は20歳そこそこ、彼女は27歳だったと思います。
切れ長の目をした色白の美しい方でした。
そんな女性が、年下の私なんかによく付き合ってくれていたなあ、と思います。
彼女には、当時つきあっている人がいました。
何度も遊んでいたので、そのような話は聞いていました。
ある日、その年上の彼女とちょっとおしゃれなカフェに行きました。
ジャズの生演奏をすることもある、シンプルだけれど現代アート的な内装で、コーヒーにも拘りがある、落ち着いたお店でした。
そこで、話題は彼女の恋愛のことになりました。
私は、結婚はしないの? と素朴な疑問を投げかけたのだと思います。
そこで、彼女は、自分が一人っ子であること、彼は長男であること、それで双方の家のことを考えると話が進まないということを話してくれました。
このことは、少し考えれば、いえ、考えなくとも、所謂よくある話として理解できることだと思います。
でも、当時の私には、結婚自体が遠い話でしたし、いろんな経験談もまだあまり耳に入ってこない年頃でした。
なので、そういった事情で、結婚に支障がある、というのは初めて聞く話だったのです。
静かなカフェで、コーヒーを飲みながら、集中して彼女の話を聴くうちに、(そっか。彼女の親のこと、彼の親のことを考えると、確かに簡単には解決できないのだな)と理解しました。この時に、多分、彼女が当たっている壁と同じところまで、限りなく近づいたような感覚というのか、「それは悩むよね」と、彼女の気持ちがとても理解できる感覚がしたのです。
「そっか……」と私が言うと、彼女は「そう」、と答えました。
私が彼女の気持ちを理解したことに満足していたような頷きでした。あくまでも私が受けた印象ですが。
この時の感覚は、初めてでした。
それまでも、沢山、人と話してきたはずです。
思春期には同年代の友達と、少し青くさいけれど、切ないような話もしてきました。
でも、この時、まるで彼女と一緒に、彼女の穴にストン、と落ちたような感覚、これは初めてでした。
そして思ったことは、(今、私、とてもよく彼女の話を聞けたのではないだろうか)ということでした。
これが、おそらく「共感」というものを初めて経験した時だったのではないかと思います。
繰り返しになりますが、何か他の会話とは違う、表面的にではない、理解できた感じとでもいうのでしょうか。
そして、後に、これが自分のカウンセラーとしての資質のひとつなのだと気がつくのです。
ただ、この感覚を意識して活かすようになるのは、10年以上先のことになります。
彼女はその後、当時の彼と結婚されました。
もうお会いすることもないのが少し寂しいですが、彼女にしてみても27歳は若かったはず。けれど、結婚に対してとても悩む年代だったと思います。話をすることで、どんな気持ちがわいたのかはわかりませんが、否定も肯定もされずに話ができたのは、少なくとも嫌な気持ちにはならなかったのではないかと思います。
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