読書記録④神さまたちの遊ぶ庭/宮下奈都


友人が貸してくれた。ゆうパックで。
「宮下さんのエッセイが好き」と彼女が言うので、私は小説しか読んだことがないからエッセイも読んでみたいな、と言ったら、「じゃあ送るわ」って。
2.3ヶ月に1回は会っているのだし今度会ったときでいいよって言ったのに、数日後にポストを覗いたら入っていた。
品名の欄にある「書籍」という字。私にとっては見慣れた友人の筆跡。夫がそれを眺めながら「本を送ってくれる友だちがいるって、ええなぁ」と言った。私もそう思う。

ということで読みかけの本が積まれているのは一旦無視してこちらを読み始めた。
そしたら、とっても良くって 2日で読んでしまった。最近推理小説以外は一気読みできなくなってきて少し残念に思っていたのでうれしかった。

最初から最後まで良かったけど、とくに好きだった箇所。
・息子たちの登山。
「親の心配なんて知らなくていいんだよ。知ったら何もできなくなっちゃうからね」
・いきものがかりの目標
「笑顔で泳いでくれるような水槽にする」
・お茶目な校長先生
カツ丼の白ご飯だけをくれたり、くす玉を用意してくれたり…。

私は今のまちに住んで10年ほどになる。大学の近くに住んで、同じ大学の病院に勤めているから。結婚して引っ越ししたけれど前に住んでいたマンションも徒歩圏内。
気に入っているけれど、大学(病院)に近いという理由でなんとなく住み続けているところでもある。
筆者にとっての「トムラウシ」のように、その土地の自然が、人が大好きで、その場所を愛して暮らすという経験ができたら、それは素晴らしいことだろうなと思う。

大学生のころ1ヶ月沖縄の民宿でお世話になっていたことがある。民宿の掃除をしたり布団を干したり、簡単な仕事をする代わりに、宿代はなしで住まわせてもらえるところ。民宿のオーナーさんと奥さんはあたたかくていい人たちだった。
オーナーさんは無口で大らかで、ときどき三線を弾いて歌っていた。なんとなく、さりげなく、見守ってくれている人だった。一度お手製のカレーをいただいたけれど、辛くて辛くてとても食べられなくて、自分のお皿にだけこっそり蜂蜜を足してみたらそれはそれでおかしな味になって食べきれなくて、大変申し訳ないことをした。
奥さんは朗らかでお話し好きで、笑顔がとってもかわいい方だった。
「今日はなにしようね〜」から1日が始まって、市場やキャンプやご近所の集まりや、いろんなところへ連れて行ってくださった。
昔からの友人のように、親のように、私の名前を呼んでくれた。

同時期に同じアルバイトとして来ていた方は、当時22の私より一つ年上で、料理人だった。名前を出してもいいか分からないから、ミオさん。初日、バスに揺られてやっと着いた民宿にかなり緊張しながら入っていくと、「ちょうどよかった、いまゴーヤ切ってるから手伝って」と奥さんに言われて、言われるがままに恐る恐る切っている私の前で、トトトトトトと包丁をならすミオさんをみて、クビになるかと不安になった。
ミオさんは神奈川県で料理人として働いていたけれど、思い立って退職して、車で全国一周していた。その最終地点がここ、沖縄だった。
とにかくパワフルで、船舶免許をとりにいったりダイビングライセンスをとりに行ったり、仕事以外の時間は不在なことが多かった。私は車もなく移動手段は徒歩かバスで、とくになんの目的もなく来ていたので、ミオさんのパワフルさが眩しかった。
親切で気さくで、なんの予定もない私を車でいろんなところへ連れて行ってくださった。初めての道でもまるで毎日通っているかのような自然な運転。ダイビングをしたりパラセーリングをしたり、自分だけじゃ絶対にできなかったこと。国際通りで真っ青の魚を買ってお刺身にしたり、紫芋でコロッケを作ったり、オオタニワタリの芽を天ぷらにしてたり。いつも自然に台所に立っていた。流れるような包丁さばき。となりですごいすごいと言っているだけの私にもたくさんご馳走してくれた。「卵料理って難しいから、作るのも人が作ったのを食べるのもあんまり好きじゃないんだよね」と話していた。火加減が難しいんだそうだ。
医学部休学中の私に「かっこいいよね、もし勉強ができたら医者になりたいって思ったことあった」と言ってくれた。当時働くということを知らず、とにかく学ぶことで精一杯だった私は「勉強ができる」ということが前提のように思っていたから、曖昧な返事をしたと思う。でも働き出して、体力があってひとのために動くことを全く厭わなくて、ミオさんはきっとすごくいいお医者さんだろうな、とときどき想像する。

民宿にはいろんな人が泊まりにきていて、なかには民宿に来たことをきっかけに、沖縄に移住してきた、という人もいた。移住してからも民宿によく遊びに来られていて、私も集まりにときどき参加させてもらった。
ほんとうにいろんなひとがいた。なかには本州でうまくいかなくて、という人もいた。
さらにそのなかには、大変失礼な感想だとは分かっているけれど、うまくいかなかったのは場所が原因ではないんじゃないだろうか、というような人もいた。沖縄を逃げ場のように、理想郷のように考えて、ここへ来たのかな、という人もいた。

沖縄で生まれ育ったひとは、そうでない人のことを「ないちゃー」という。
それを差別的だというひともいるかもしれないが、私はそうは思わなかった。
だって明らかに違う。私が出会った沖縄で生まれ育ったひとは、沖縄を特別なものとは思っていないようだった。たまたまそこで生まれて、そこで育っているだけ。
余談だけど、そしてこれは人によるだろうけど、海でも泳がないんだって。オーナーも奥さんも幼馴染だというひとも、もう10年以上入ってないって言ってた。シュノーケリングもしたことないって。驚いて、なんでですか、ときいたら「海は入るものじゃないよ、見るものよ」と当然のように言われた。

民宿での生活はとても楽しかったけれど、11月になっても紅葉が見られないことが少し寂しかった。何を着てても化粧をしていなくても誰にもなにも言われないのは気が楽だったけれど、澄んだ川をながめながらふと、オシャレしたいなーなんて思った。
1ヶ月というのは私にとってちょうどいい長さだったと思う。

ミオさんは、最初は移住も視野に入れて沖縄に辿り着いたそうだ。
「でも自分が住む場所じゃないかなって思った」と話していて、それをきいたとき、ミオさんも届いた場所へ帰るということが、なぜか少し嬉しかった。
「冬はやっぱりスノボしたいし」どこまでもパワフルな人だな、と思った。
帰ってからも 2度ほど、一緒に沖縄へ遊びに行った。最後に連絡をしたときはイタリアで修行中だった。かっこいい。私はミオさんがだいすきだ。


ぜんっぜん関係のない話を長々と書いてしまったけれど、「来てくれる人を選べない、沖縄のひとは大変だ」と思った、ということが書きたかった。沖縄に(勝手に)夢を見て憧れを抱いて避難してくるないちゃー。私もその一人だ。受け入れてくださるオーナーと奥さんはすごい方達だな、と思う。台風のような怪獣のような、人間関係をめちゃくちゃにする人がやってきたら、沖縄の人は、トムラウシの人は、どうするんだろう。

筆者のあとがきで、本に出てきた先生方はもうトムラウシにはおられないと書いてあった。すてきな人たちとのすてきな関係。でも一生続くわけじゃない。同級生のお父さんが言ったように、それがみんなの人生だから、なんの問題もないんだろうけれど、寂しいな。

今のなんとなく住み続けている町にも、なんとなくだけれど愛着がある。引っ越すときは寂しいだろう。でも、なんとなくではなく、選んだ場所で暮らすということもしてみたい気がする。「そこに住んでいることが喜び」というような場所で暮らせたら、それってとっても幸せだろうな、と憧れる。ただ、憧れだけを持っていかないようにしたい。まとまらない文章だけれど終わり。読めて良かった。送ってくれたことに感謝!続編は自分で買おう。


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