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この本での「子ども」には若者も含まれる~『子ども白書2022』(日本子どもを守る会編)~

表紙の絵の可愛らしさに加え、カバーの見返しと冒頭に「児童憲章」があるので、この本が指す「子ども」は乳幼児から小学生までかと思い、読み始めました。学校教育法的には、児童は小学生のことなので。
しかし読み進めるうちに、中高生・大学生に加え、どうも20代の一部も含めているらしいと判明しました。そういう意味で、『子ども・若者白書』と呼んだ方が、内容を反映していると思います。ただそれでは、内閣府が発表している『子供・若者白書』と被ってしまいますね。


ちょっと気になったのは、時々カタカナの専門用語を、きちんとした説明なく使っていること。言うまでもなくそれぞれの著者は専門家なわけで、自明の理として使ってしまうのでしょうけど、知識のない人が読んでも分かる文章になっているか、編集の段階でチェックが必要ではないでしょうか。例を挙げるとすれば、アドボケイト(アドボカシー)が意味するものが、最初どうもうまくつかめませんでした。多分その言葉が出てくるのが3記事目にあたる、坪井節子さんの「一時保護の司法審査・意見表明等支援制度」を読んで、ようやく分かりました。つまり、子供の意見表明を支える人、ないしは支えること自体を指すのですね。

以下、心に残った部分を備忘録代わりに書いておきます。


かつての「子ども社会」に似た雰囲気が今、オンライン空間にあるとはいえないでしょうか。無料もしくは安価で発想や道具を調達でき、子どもたちだけの企ての世界を作りうるオンライン(特にSNSやゲーム)空間は、彼らの群れ集う欲求を強く刺激しています。彼らはそこで自由やスリルを満喫し、問題を引き起こしては解決し、何かを創り出そうともしています。

「『子ども社会』を大切にしながら変化を乗り越える」(森本扶)


成田弘子さんが東京大学大学院の酒井邦嘉教授の言葉を引用した、「液晶画面で読むものは紙の教科書と違い、『空間的な手掛かりがつかみにくい』ため記憶に残りにくく、『ネット検索で情報過多になり、考える前にすぐ検索してしまい頭を使わなくなる』というのです」という言葉には頷かされました。


インタビューのなかでの山崎ナオコーラさんの言葉も印象的でした。

親が子どもの社会を全部面倒をみようとするのはおごりです。いつかは、「社会を信用して託す」ということになると思います。ですから、その社会の整備に対しての努力も必要ですね。

山崎ナオコーラ


学校では「ルールを守る」ことは教えられても「ルールを変える」方法について教わることは稀です。

「ネットを通して『自分の声』を取りもどす」(遠藤まめた)

遠藤さんが引用していた、神奈川県の黒岩祐治知事が署名活動を行っている高校生に語った言葉も印象的でした。

社会で起きていることに、お客さんのようにコメントする人はいても、変化を起こすためにプレイヤーとして何かしようとする人は少ない。このようなアクションを起こしたことがすばらしい。

黒岩祐治


山下美紀さんの記事で引用された、「小学生でも1割以上が、高校生では3割近くがネット依存度において『病的利用』の状態」、「中程度以上の『うつ状態』である小学生が9%、中学生が13%」というデータは衝撃的でした。


コロナ禍の(中略)時代の自己肯定感は下がるしかありません。自己肯定感が下がった時の兆候は、自分に対する不満にとらわれることのみでなく、他人に対する不満であり、その具体的な態度は不寛容です。
(中略)
このような時代を能動的に乗り切るためには、自らの発想がどこかで不寛容に陥っていないかに目を光らせながら、歴史の当事者として能動的に生きる、つまり歴史的な出来事への関わり方が、それを目撃している子どもたちの中に刻まれ、残されていくことを意識しながら生きていくことが求められます。

「オンライン環境での子どもたちのメンタルヘルス」(田中哲)

重い宿題です。寛容については、以下の記事もご覧ください。


『スマホ脳』や『最強脳』の翻訳者として有名な久山葉子さんが、インターネットのメリットについて語った以下の言葉には、ちょっと考えさせられました。

子どもが「知りたい!」と思ったそのときに情報を得られるのがインターネットの魅力です。また、親の知識や蔵書の数、習い事にかけられる経済力にも左右されないので、子どもに平等に学びの機会が与えられるのも素晴らしいと思います。

「デジタルデバイスとの共存を子どもと一緒に考える スウェーデンからみるオンライン時代の子育て」(久山葉子)

なお『スマホ脳』と『最強脳』の感想は、以下の記事をご覧ください。


デジタル資本主義について語った藤田実さんの言葉には、大いに頷かされました。

私は、教育の焦点を狭い職務能力の育成に向けるのは正しくないと思います。いくら職務能力を身につけても、時代が変化するとその職務能力は陳腐化してしまいます。変化に対応して学び続けることの重要性を理解し、そのための方法を身につけることが重要だと思います。

「デジタル資本主義が求める人材像を越えて 自己情報のコントロールは基本的権利」(藤田実)

暗澹たる気分になったのは、同じ藤田さんの以下の言葉。

今の大学生は新聞を読まない人が多いですが、なぜかと聞くと100%中立ではないからだというのです。メディアの役割は、基本は権力監視であり、純然な100%中立などあり得ません。

藤田実

新聞を読まない大学生は、ネットの情報は100%中立だとでも思っているのでしょうか。

また、以下の言葉は心に留めねばと思いました。

個人データは自分のものであるという情報主権が確立されなくてはなりません。情報リテラシー教育では、自己情報のコントロールは国民の基本的権利、すなわち情報主権の問題であると明確にすることが重要だと思います。

藤田実


グレタ・トゥーンベリの活動のキーワードの1つである気候正義(Climate Justice)」について、高橋英恵さんの記事でまとめられていました。

気候正義とは、温室効果ガスを多く出しているのは豊かな人々である一方、深刻な被害を受けるのは貧しい人々であり、その不公平を正そうという考え方です。実際、先に紹介したユニセフの報告書でも、(中略)「子どもたちは気候変動の影響となる温室効果ガスをわずかしか排出していない世代であるにもかかわらず、最も影響を受ける世代である」と、気候変動が世代間の不
公平の問題でもあることを指摘しています。
そして、気候正義には、この不公平を正していく上で、男女差別、人種差別、経済的格差などの不公平も乗り越えようという意味も込められています。

「気候危機は子どもの権利の危機 ユニセフの報告書から考える」(高橋英恵)

また同じ記事にあった、「公害が差別を生むのではなく、差別が公害を生んだ」という言葉も印象的でした。


福嶋尚子さんの記事で語られた、公立の学校における教員の現状の過酷さは、想像以上でした。福嶋さんの以下の指摘には、心底同意します。この指摘は、私立の学校にも当然当てはまります。

不足を埋めようとその場しのぎに非正規で働いてくれる教員を探している限り、非正規教員の労働問題は改善せず、それは正規で働いている教員の労働問題の慢性化も促すでしょう。不足を見越して正規で多くの教員を採用し、安定的な環境で働けるようにする、という以外にこの負のスパイラルを抜け出すことは難しいのではないでしょうか。

「教師が働く場としての学校の過酷さ 対応策の是非を考える」(福嶋尚子)


須藤遙子さんの「子どもが再び『少國民』になる日 コロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻のなかで」で述べられた、ゆるキャラをはじめとするあの手この手で、子どもたちにとって自衛隊を身近なものにしようとする手法には、涙ぐましさと同時に恐ろしいものを感じました。たとえそれが今のところ、慢性的な自衛官不足を補うことにはつながっていないにせよ。

なお同記事の中で触れられている『はじめての防衛白書』ですが、なんといいますか、いろいろ考えさせられます。


中山祥嗣さんの「環境が子どもの健康に影響する」も衝撃的でした。データに基づく日本やアメリカでの発達障害の急増ぶり、そして化学物質が子どものIQや出生体重に確実に影響すること、そしてそれが国としての経済損失につながること。「一人ひとりの影響は目に見えなくても、国のレベルになると大きな影響として現れる」という言葉は、心に留めるべきです。


田中智子さんの「障害のある子どもの母親の就労とケア」に出てきた「マミートラック」という言葉は初めて知りました。「子育てに支障のない働き方、すなわちパートタイムや非正規、あるいは責任が大きくない仕事を引き受けるなどの選択」のことだそうです。


平澤慎一さんの「成年年齢引き下げ 若年者の消費者トラブル増加の懸念」の内容も深刻でした。

高校卒業時には必ず成年なので、進学、就職、転居など人生の大きな節目に未成年者取消権を持たず、事業者のターゲットになるのです。
従って成年年齢を引き下げるのであれば、未成年者取消権に代わるような新たな取消権の創設など、充分な消費者保護制度の手当が必要不可欠なのです。

「成年年齢引き下げ 若年者の消費者トラブル増加の懸念」(平澤慎一)

今回の成年年齢引き下げは、2007年5月成立の国民投票法が憲法改正の国民投票権年齢を18歳以上としたことがきっかけです。これに合わせて選挙権年齢と民法の成年年齢についても見直すことになりました。

「成年年齢引き下げ 若年者の消費者トラブル増加の懸念」(平澤慎一)

この一連の動き、意外と根が深い気がします。国民投票は実際にはまだ行われていないので、その時にどうなるかは分かりませんが、18歳・19歳の人を始め、若者の国政選挙における投票率は現に低いですよね。でも投票権自体は与えられているのだから、投票に行かなかったところで、その結果は受け入れざるを得ないわけです。たとえその結果、憲法が改悪されようが、徴兵が決まろうが……。
加えて金融教育という名の、投資の勧めとしか思えない教育も始まっています。「成人なんだから、自己責任で資産を増やすよう、投資信託とかもやってみましょう」とか言われて、言われるがままに変な商品を買い、元本割れしようが、自己責任、と。
平澤さんがおっしゃる通り、「つけこみ型不当勧誘取消権」(知識・経験・判断力の不足など消費者が合理的な判断をすることができない事情を不当に利用した場合の取消権)」は、必要だと思います。


嵯峨山聖さんの「学校で希望と連帯を紡ぐ 文化祭での『蟹工船』の映画製作を通じて」で紹介された「学校は、私たちが希望を見つけ、生きることを励ます場所であってほしい」という言葉には、教員の一人として背筋が伸びる思いでした。そういう場所を作るよう、及ばずながらがんばらねばと思います。


見出し画像には、「みんなのフォトギャラリー」から可愛らしいイラストをお借りいたしました。




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