【読書】テーマは重いが、読みやすい~『JR上野駅公園口』(柳美里)~
この作品は一昨年全米図書賞を受賞して話題になった時、「読まなきゃ」と思ったものです。でも重いことは分かりきっていたため、何となく手が伸びませんでした。でも今回偶然手に取る機会があったため、「これを逃したら、もう読まないだろう」と思い、読んでみました。
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読みだして驚いたのは、ぐんぐん読めること。もちろん予想通り重いことは重いのですが、ページをめくる手が止まらないのです。これは久しぶりの感覚でした。
主人公は、「天皇」と同じ年に生まれた上野公園の路上生活者です。なお裏表紙の粗筋には「一九三三年、私は『天皇』と同じ日に生まれた――」とあるのですが、私の読みおとしでなければ、「同じ年」とは書かれているけれど、「同じ日」とは書かれていないはずです。主人公の息子は、この作品が書かれた当時の皇太子、つまり今の天皇と同じ日に生まれていますが。
なお主人公の妻や子どもたちの名は出てくるにもかかわらず、主人公の名は明かされません(名字は森ですが)。「カズさん」という呼び名は出てきますが、本名からとったとは必ずしも限らないわけで、高度経済成長期に東北から東京に出稼ぎに来た人たちの代表として描かれているわけです。
福島から東京に出稼ぎに来て、働きづめに働いた結果、主人公を襲った運命はあまりに過酷でした。主人公の母親が「おめえはつくづく運がねぇどなあ」と言うのですが、運という言葉で片付けるのは、軽すぎます。でも母親としては、運としか言いようがなかったのでしょう。
ちなみに私、「時忘れじの塔」も擂鉢山古墳も正岡子規記念球場も知りませんでした。普段公園口改札から出ると、国立西洋美術館か東博か都美術館に、まっすぐ行ってしまうもので、ちょっと動線からずれたこれらの施設の存在に気づいていなかったのです。また東京大空襲についての以下の指摘には、考えさせられました。
<追記>
後日、「時忘れじの塔」などを訪れてみました。
あと本筋とは関係がないところで衝撃だったのが、以下の一節。
朝顔の話なのですが、私は早くに出来た種の方が9月頃のものより大きいので、むしろ7月・8月に出来る種の方を大事にしていたんですね。逆だったとは!
ある意味笑ってしまったのは、浄土真宗におけるお盆についての認識。
確かに、と思ってしまいました。
相馬に今の富山から移住した人たちがいて、相馬の人たち(土着様)から「加賀者」と呼ばれて差別されていたということも、知りませんでした。ただ上記のお盆に対する解釈に見られるとおり、差別される加賀者は差別する土着様のことを、ある意味馬鹿にしているわけです。
そして何よりも衝撃だったのは、「特別清掃」ないしは「山狩り」のこと。上野公園内や周囲の美術館・博物館に天皇家の方々が訪問される時は、御料車の経路にあたる場所にある(実際にはそうではない場所も含め)路上生活者のコヤは、撤去を強制されるのです。もちろんそれが天皇家の方々の意思であるはずはなく、宮内庁や警視庁の忖度なのでしょう。もっといえば、行幸啓を口実にしたホームレス排除というか。
ちなみに私、一度だけ奈良で奈良博の正倉院展を訪問された天皇・皇后両陛下(今の上皇・上皇后両陛下)の行幸啓に偶然行きあったことがあります。天皇陛下の柔和な笑顔に、何だか幸せな気分になったことを覚えています。主人公のカズさんも、何かを訴えたいと思いつつも、ある意味で幸せな気分になってしまったのかもしれません。気づいたら御料車に手を振っていたのですから……。
「単行本版 あとがき」に書かれた、「この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました」という言葉にも、やるせなさを感じました。ありがたい働き場所と思った原発に、彼らは裏切られたわけですから。
福島が、そして沖縄が犠牲にされる構造の一環を解き明かしたのが、『犠牲のシステム 福島・沖縄』です。
また、路上生活者の方々の生活再建の一助となるのが、「ビッグイシュー日本版」です。
見出し画像は、上野公園のマンホール蓋です。
↑文庫版