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人類は果たして進歩しているのか~『プリニウス 10巻』(ヤマザキマリ、とり・みき)~

買ってから1ヶ月して、ようやく『プリニウス 10巻』を読み終わりました。


↑kindle版


購入後、一度は読み始めたものの、9巻を復習しないと、よく分からないなと思い中断しているうちに、時間が経ってしまったのです。マンガ、しかも電子書籍で買ったマンガを、あやうく「積ん読」してしまうところでした。


ようやく思い立って、9巻10巻を立て続けに読みましたが、いろいろ衝撃でした。ずっと怪しい動きをしていたティゲリヌスの思惑が、ついに明らかになります。そして9巻を復習していたからこそ分かるのですが、ネロはあてずっぽうながら、ちゃんとティゲリヌスの思惑を察していたわけです。


今巻ではメソポタミアの神の一人であるフワワも印象深かったです。古代の人はちゃんと、度を超えた自然破壊をすると、しっぺ返しが待っていることを知っており、神話という形でその教訓を、後に続く者に伝えようとしたのですね。でも21世紀の今になっても、その教訓は充分活かされているとは言えません。果たして人類はちゃんと進歩しているのか、疑問に感じてしまいます。


あと、プリニウス一行が訪れたパルミュラの描写も心に残りました。話す言葉も信じる神も違う人々が、商売のために一堂に会する町。そこでは必然的に、寛容さが求められます。寛容さもまた、21世紀になっても人類が真に身につけていないものの1つです。


信仰についてのプリニウスの(というか、作者のヤマザキマリさんやとり・みきさんのでしょうね)洞察にも、唸らされました。

この世には数限りなく神々が存在するが、要は全てそれを必要とする人間の想像力が創り出したもの。神とは人間にとって、この世を生きる辛さに耐え抜くための手段に過ぎない。(中略)我々は信仰の前にそういった神の生まれた背景を知るべきなのだ。持つべきは信仰よりも理解なのだ。


なお作中でパルミュラ(パルミラ)に中国商人がいるシーンが描かれますが、ちょっと疑問。

プリニウス一行が訪れているのがネロの死んだ68年ですが、史実としてはその後の97年に、後漢の甘英がローマ訪問のためにシリアあたりまで行っています。でも現地の人にそこからローマまで海路で3ヶ月から2年かかると聞き、引き返してしまいました。

68年の段階で中国商人がパルミュラにいるとしたら、それからほどなくしてローマまで行ってそうな気が……。でも時代考証は結構厳密にやっているようなので、68年のパルミュラに中国人商人がいた可能性は、ゼロではないのでしょうね。


ともあれ今後の展開が、楽しみです。


見出し画像は、バチカン美術館の「ラオコーン」です。ヘレニズム時代の作品ですが、ネロはギリシャ芸術に傾倒していたし、バチカンはローマ市内にあるので、苦しいつながりですが、使った次第です。
<追記>
12巻の11・12ページに、プリニウスが絶賛した作品として「ラオコーン」が出てきます。見出し画像を設定した段階では、もちろんそんなエピソードが描かれるとは知らないわけで、偶然とはいえ驚きました。


なお9巻の感想は、下に貼りつけた記事をご覧ください。9巻も今巻も、まったく同じ事情でなかなか読めなかったと気づき、苦笑してしまいました。


↑書籍版



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