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【読書】咲くはわが身のつとめなり~『続 窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子)~

昨年の発売時に話題になった『続 窓ぎわのトットちゃん』です。図書館の予約を待っていたら、発売から1年経っていました。

↑kindle版


『窓ぎわのトットちゃん』より前のエピソードや、『窓ぎわのトットちゃん』からこぼれ落ちたのであろうエピソードを拾いつつ、メインはもちろん『窓ぎわのトットちゃん』より後の、戦時中の出来事です。トットちゃんの家は一般家庭より裕福であったであろうに、それでも食糧不足に悩まされます。

いつものように「寒いし、眠いし、おなかがすいた」とつぶやきながら歩いていたが、この言葉を口ずさみさえすれば、遠足かなにかをしている気分になれた。

p.41

そんなトットちゃんが風の寒さに涙を流していたら、おまわりさんに「戦地の兵隊さんのことを考えてみろ」と怒られるエピソードは、理不尽です。

「そうか、戦争のときは泣いてもいけないんだ」と思った。
「叱られるのは、やだ。泣くことも許されないのが戦争なんだ。寒くて、眠くて、おなかがすいても、泣かないでいましょう。だって、兵隊さんはもっともっとつらいんだから」
それが、トットにできる精いっぱいのことだった。

pp.41-42

泣くのをがまんするようになったトットちゃんが泣いたのは、後年、香蘭女学校の担任の先生が辞める時です。


町のあちこちで長い行列を見かけるようになった。品物が店に入荷したとわかると、あっという間に行列ができる。なにを売っているのかは二の次で、とにかく並んでおかなくてはと考えて、みんな行列をつくるのだった。

p.42

ソ連の末期と同じですね。どちらも理不尽な状態でしたが。


出征式で日の丸の小旗を振るともらえるスルメの足欲しさに、出征式を心待ちにしたトットちゃんの姿もせつないです。

大人になってから気づいたことだけど、この日の丸の小旗を振ったことをひどく後悔した。どんな理由があっても、戦いにいく人たちを「バンザーイ!」なんて言って見送るべきではなかった。スルメが欲しかったにしても、トットは無責任だった。そして、無責任だったことがトットが背負わなくてはならない「戦争責任」なのだと知った。

p.45

あの時代に無責任だった人すべてに、戦争責任があります。トットちゃんよりはるかに強く戦争責任を感じねばならない人ほど、無自覚でしょうけど。


パパは、当時としてはスラッと背が高かったが、高すぎると軍服の支給に支障をきたすことがあるので、身長がある人は甲種ではなく乙種、丙種にされることが多かったらしい。
パパはたぶんそのせいで兵役を免れていた。というか、丙種の人は兵隊には行かなくていいはずだった。なのに、そんなパパにも「赤紙」と呼ばれる召集令状が届いたぐらいだから、戦況はよっぽど悪化していたに違いない。

p,50

そもそも軍服の支給の都合を考えての乙種・丙種合格があった時点で、日本に戦争を戦い抜く力はありませんよね。


トットちゃんの野生の勘で、青森大空襲から逃げのびたのは、神様のお導きでしょうか。


香蘭女学校初日の、讃美歌とお経が入り混じるシーンは、シュールでおかしいです。校舎が焼けてしまったため、お寺の建物を借りていたからですが。


香蘭の校歌の、「咲くはわが身のつとめなり」という一節は、とても良いですね。トットちゃんだけでなく、卒業生すべての心に染み込み、生涯を支える言葉となったことでしょう。


トットちゃんがもらった、「ふかしたてのサツマイモのようなあなたへ」というラブレターも、シュールながらせつないです。トットちゃんが後から考えたように、食糧難の時代ならではだったのでしょう。


ケストナーとその翻訳者の高橋健二、そしてリンドグレーンから手紙をもらったことがあるトットちゃん、すごいです。


すごいと言えば、16歳のトットちゃんの手相を観た手相見の人。「結婚は、遅いです。とても遅いです」、「お金には困りません」、「あなたの名前は、津々浦々に広まります」って、大当たりですよね。


NHK劇団員の養成時代も、正式に劇団員になってからも、トットちゃんをさり気なく気にかけてくれた大岡龍男先生、教員としてかくありたい姿です。

「担任の先生なんて、そんなんじゃございません。小間使いとでも思っていただければよろしいんで」

p.184

それが廊下だろうか、エレベーターの中だろうと、トイレの前だろうと、大岡先生の言葉は決まっていた。正式にNHK劇団員になってからも、どこからともなく現れて、「トットさま、どちらへ?」と聞いてくれた。大岡先生に会うだけで、「ちゃんと見て、気にかけてくれる人がいるんだ」という気がした。とても心強い、おなじないのような先生だった。そんな大岡先生のおかげで、トットはどんなに叱られても、役を降ろされても、「もうダメだ」と自分の能力のなさに絶望したりはしなかった。「新人だし、そもそも絵本が上手に読めるお母さんになりたいだけなんだから」と考えて、状況を受け入れていた。

p.198-199

個性を引っ込める、と言ったトットちゃんに、「そのままでいていい」と言った飯沢匡(ただす)先生も。

「直しちゃ、いけません。あなたの、そのしゃべり方がいいんです。ちっともヘンじゃありませんよ。いいですか、直すんじゃありませんよ。そのままでいてください。それがあなたの個性で、それが僕たちに必要なんです。だいじょうぶ! 心配しないで」
(中略)
その言葉を聞いたとき、それまでモヤモヤした雲におおわれていた心の中の空が、パーッと晴れていくような感じがした。

p.206


死ぬまで病気をしない方法を聞いたトットちゃんへのお医者さんの答えも良いです。

自分の好きなことだけをやってくださいと言ったのは、自分から進んでやりたいと思う仕事だけをやってくださいという意味です。そうしていれば、人は病気になりません。いやだな、いやだなと思っていると、いやだながたまって病気になるのです」

p.227

自分から進んでやりたいと思う仕事だけをやるというのは現実には難しいですが、せめて嫌々やらないようにしたいものです。


それにしてもトットちゃん、ものすごく文章が達者です。もちろんこれだけの分量を、すでにご高齢のトットちゃんがすべて一人で書いたかは、疑う人もいると思います。恐らく事実関係などは、秘書か編集者の方が調べたのではないでしょうか。でも前作の『窓ぎわのトットちゃん』と語り口は同じなので、ほとんどご自分で書いたと私は思います。例え口述筆記だったとしても、書きおこしをした人は、前作の文体と同じにできたということで、それはそれですごいですよね。


見出し画像は、弘前市のご当地ポストの上に乗っていた巨大リンゴです。トットちゃんたちが疎開していたのは弘前市ではありませんが、真っ赤なリンゴに目を奪われる戦時中のエピソードにちなみました。


↑単行本


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margrete@高校世界史教員
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