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『山月記』の李徴を思わせる主人公~『かめれおん日記』(中島敦)

また中島敦作品を読んでみました。

↑kindle版


kindleユーザーではない方は、青空文庫のサイトでどうぞ。


生徒から預かったカメレオンを数日の間飼った、というだけの話ですが、その間の主人公の身辺で起きたこと、考えたことが盛り込まれており、なかなか面白かったです。


主人公の身辺をある意味で彩るのが、同僚の吉田です。

正に、この男こそ、私の、以て模範とすべき人物だと其の時、私はしみじみ思つた。此の男は何時も、人間は――或ひは、生物は――斯く生くべし、と、私に教へて呉れるのだ。高等小學生的人物と彼を評した者がゐる。小學校の高等科の生徒といふものは中學生のやうな小生意氣さが無く、實に良く働いて、中學生などよりどれ程役に立つか判らないといふのである。影の薄い大學生よりも、溌剌たる高等小學生の方が遙かに立派だと、私も思ふ。

言うまでもなく主人公は、本心から彼を「模範とすべき人物」と思っているわけではありません。何というか、身近にいたら結構うっとうしいタイプの人なので。でも体も弱く気力にも乏しい主人公としては、吉田のパワフルさをうらやましく思っていることも、やはりある意味では事実です。


床に就いてから眼が冴えてくるのに、私はそれでも無理に眠らなければいけないと考へて、恐らく私の一日中で一番頭のはつきりしてゐるに違ひない數時間を、眠らうとする消極的な下らぬ努力のために費して了ふ。本當はさういふ時こそ、色々な思想の萌芽といつてもいゝやうなものが、どんどん湧いて來るやうな氣がするのだ。しかし、そんなものに就いて思考を集注し出したら一晩中興奮のために眠れないぞ、さうすると又、明日は發作だぞ、と、私は躍氣になつて、さうした斷片的な思惟の芽を揉み消して行く。全く私はどれ程の多くの思索の種子を寢床の闇の中でむざむざと躪り潰して了つたことか。勿論、私は思想家でも科學者でもないから、私のひよいひよいと浮かんで來る思ひつきや斷片的な考へが皆優れたものだつたらうなどといふのではない。けれども初めは極く詰まらないものであつても、後の發展によつては、案外面白いものとなり得ることがあるのは、物質界でも精神界でも屡ゝ見られるのだ。闇の中で私に慘殺された無數の思ひつき(それらは、高く風に飛ぶ無數の蒲公英の種子のやうに、闇の中に舞ひ散つて、再び歸つて來ない)の中には、さうした類のものだつて多少は交じつてゐたらうと考へるのは、自惚に過ぎるだらうか?

だいぶ長い引用になってしまいましたが、これ、よく分かります。かえって起きだしてしまったほうが良いのかもしれませんが、翌日のことを考えるとできません。


結果はというと……。

本當の睡眠も本當の覺醒も私からは失はれた。私の精神はもはや再び働く力を失ひ、完全に眠り・淀み・腐つた。精神の罐詰、腐つた罐詰、木乃伊、化石。
 之以上完全な輝かしい成功があらうか。

さすがにこうは、ならないようにしなければ……。


友人の一人が「遠交近攻の策」と評した一つの傾向。一生懸命になつて巴里の地圖をこしらへたりして頭の中では未知の巴里の地理に一かど精通してゐるくせに、もう二年も住んでゐる此の港町の著名な競馬場へも、ひとりでは行けない。

この主人公、すごく自尊心が強いのです。『山月記』の李徴を思わせる部分もあります。


しかしカメレオンを入れていた籠の前の住人たち、哀れです。主人公は動物を飼うに向かないタイプなのに、そしておそらく自分でもそれを分かっているのに、つい飼いたくなるんでしょうね。そういう意味ではカメレオンについて下した決断は、賢明と言えるでしょう。


あと、我ながらおかしかったのは、途中まで主人公が勤めているのは男子校だと思っていたこと。中島敦が勤めたのは女子校であることは知っていたのに、なぜか出てくる生徒はすべて男子だと思っていたんですよね。最後の方になって、誤解に気づきました。


ちなみに作中に増徳院というお寺が出てきて、知らないなぁと思って調べたら、現在の元町プラザの位置にあったものの、関東大震災で倒壊し、南区に移ったそうです。元町には薬師堂だけ残っていたものの、それも現在は増徳院薬師堂ビルに建て替えられたということ。お参りが出来るのかは、ちょっと不明です。


見出し画像は、港の見える丘公園から見下ろした横浜港です。主人公というか、中島敦が見た光景とは、だいぶ違いますが。




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