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旅も人生も、両手ぶらり戦法とバランスが大事~『郷土LOVE』(みうらじゅん)~

みうらじゅんによる、日本の47都道府県の語り旅です(北海道のみ、南北に分けています)。つまり語るだけで、本書の制作のためには旅をしていません。唯一出かけたのは、最終回記念に和歌山の郷土料理のお店に行ったことです。そういう意味で、旅に出たくても出られない今の状態で読むのにふさわしい本かもしれません。

↑kindle版


もともとは「ほぼ日」の連載で、収録のたびにみうらさんが都道府県の形をしたくじを引き、出た都道府県について行き当たりばったりで語るというスタイルですが、よくまぁすべての都道府県について語ることがあると感心します。それだけみうらさんが、日本全国をくまなく巡ってきたということでしょう。


心に残った言葉。


うれしそうに、努めてうれしそうにしてるのが肝心なんだ。だったら旅はいつだって迎え入れてくれるはず。

「まえがき」のこの言葉から、引きつけられました。そうですよね、閉じた心では、何に出会っても何も得られず、ただ通り過ぎてしまいます。旅だけではなく、常に「在日観光外国人」の視点を持っているべきだと思います。「目の前で起こっているおかしなことが自然の風景に溶け込んでいるような気になって、たいしたことないんじゃないかと思うようにな」っては、いけません。


実は、何回も食べたいというものは、うまくないんですよ。また食べたくなるのは、思い出したときに不十分なところがあって、もういちど試したくなるからなんですよ。1回食ったら「もういい! もう食いたくない‼」となる、これが真のおいしいものです。

これ、真実だと思います。残念ながら「もういい! もう食いたくない‼」となるものには、出会った記憶があまりありませんが。


ゴジラの写真の横にチンパンジー人の写真を貼ったとき、どうしようもない違和感があって、それで、怪獣ブームをやめました。時を経て、即身仏を弥勒の横に貼ったとき、またすごい悩みがやってきて、仏像ブームをやめたんです。

……。どちらにしても、なぜ貼った?


日本って、のぼり文化なんですよ。(中略)お寺や神社、食堂前などが、たまに合戦場みたいになってるところがあります。

そういう目で見たことがなかったので、笑いました。確かに!


自分の育った県のシステムを持ち込んでも無理なんです。『あしたのジョー』の両手ぶらり戦法のように、相手まかせでいこうぜ! というのが、気ままな旅の隠れた法則です。気ままな旅というのは、「自分の気まま」じゃないんです、「相手の気まま」です。
県人会などで集まって酒を飲みかわすのは、とてもすばらしいことだと思いますが、そうじゃない場所で、お国の言葉を持ち込んで、それを張りつづける人というのは、「東京は冷たい、だから、あたたかい自分たちが正しいんだ」と思おうとしてる。
何をも、人や街のせいではなく、自分のせいだということに一度、人は気がつくべき。

これらの言葉を読んだ時、かつての同僚のことを思い出しました。上京してから2年間ほどのみうらさんのように、結構コテコテの関西弁を話す人でしたが、そのこと自体はまぁ良いでしょう。別に、首都圏の仕事場では標準語で話さねばならないわけでもありませんから。

ただ、「こっちでは吉本新喜劇をテレビでやっていなくて、びっくりした」という言葉に代表される、自分の常識を疑わない姿勢が周囲と軋轢を起こし、病気による休職と復帰の後、結局その人は関西に帰りました。おそらく今でもその人は、問題があったのは上司や同僚だと思っていることでしょう。

もちろん私も同じ間違いを犯さない保証はないわけで、旅でも人生でも、両手ぶらり戦法を心掛けたいと思います。


観光大使は、ぜひとも「行っている人」にしてください。ぼくはたくさん行って、ここはこうしたほうがいいとか、毎回、思っていますから。

これ、同感です。テレビで観光大使をしているタレントさんの発言を聞いていると、もちろんがんばってPRをしている人がほとんどですが、たまに「なぜこの人を任命したんだろう」と思うような人がいるので。


まだ気持ちがついていってない感じですが、体はどうやらついていってるらしいです。

これはみうらさんが50歳の誕生日を迎えての心境を尋ねられた時の言葉ですが、とてもよく分かります。分かりたくないけどね(^-^;


「自然が人間に合わせてくれる」くらいの調子で接しているから、何て言うんですか、温暖化とか、そういう危機をいま、迎えているわけです。

本当にね。


ずっと「何か見つけてやろう」と思って生きてきたふしがあります。そのうち、日本各地を巡って「ああ、発見!」と、カメラを持っていなくても、こめかみのあたりで「ピピッ!」と音がするようになりました。

この感覚も、分かりたくないけど分かります。みうらさんの足元にも及びませんが、私も結構妙なものの写真を撮ってきました。その一部は、ブログでご紹介しています。


ところで神奈川県の「主な生産物」が、写真用印画紙とは知りませんでした。しかしもはや今は、写真を印刷するという習慣自体が廃れている気が……。もし『郷土LOVE』の改訂版か続編が出たら、写真用印画紙以外のものに変わるのでしょうか?


ぼくは、こういう仕事がフェイドアウトしましたら(中略)、最終的にはベレー帽をかぶりまして、おばさんを連れて、奈良の仏像を得意げに解説しているおじいさん、あれをやろうと思ってます。

これが実現したら、ぜひ解説を聞きたいです。でもそれは、みうらさんが「仕事先の方から『いらない』と言われ」た時ですから、実現しない方が良いのかな?


「太陽の塔」に裏と表があるように、自分にも裏と表があり、待っていればまた新しい風景が出てくるということを思い出すようにするとよいでしょう。(中略)暗い日のあとには、明るい日が来るに決まってるわけです。暗い日の次に、また暗い日が来るとしたら、それは「もっと暗い日」が来ているだけのことです。しかし暗いほうも、行きつくと、出すカードがなくなってきます。そんなにずっとつづいたら、「暗い」も弱ってくるんですよ。

うーん、深いです。「陰が極まれば、陽に転ずる」ということでしょうか。


ここまで生きてきてわかったことは、ほんとうの怖さとか、身を守らなきゃならないことは、観光地には、ないということでした。人生の上り下りのほうが、たいへんです。

当たり前と言ってしまえばそれまでの言葉ですが、頷かされます。


人間、精進しなきゃならないと思っていても、ついつい焼鳥の匂いにやられる日だってあるわけですよ。でも「次こそは」と、完璧ではないけど日々そう思うことが大切なんだよ、ということが、広い仏教の心によって教えられるわけです。

何か胸に染みます(焼き鳥の匂いが、ではなく)。


バランスを保って生きていくということが、旅から学べることなんです。「おれは旅人なんだ」なんて言い切らないで、旅人でもあり、社会人でもある、そうやって、バランスを保っていきましょう。(中略)うまくいかないときって、バランスが悪いんですよ。そういうときには、「バランス悪いなぁ、オレ」と自分で言ってみると、なんだかパッとわかるものです。

はい、バランスを心掛けようと思います。


見出し画像は、浜松の竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)の「ワニの岩」です。福島県の入水(いりみず)鍾乳洞をはじめ、本書には日本の鍾乳洞がいくつか登場するので。はい、つまりは私もみうらじゅん同様、結構鍾乳洞好きです。


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