【読書】和子さんの忍耐力に脱帽~『まぼろしの邪馬台国』(宮崎康平)~
邪馬台国関係の本では、恐らく古典中の古典とも言えるものかと思います。古すぎて、今となってはとんちんかんな部分もあるはずですが、逆にkindle版で現役で売っていることに驚きました。
↑kindle版
なお私が読んだのは1980年発行の新版よりさらに古い、1967年発行のものですので、記述はそれに従っています。
正直、面白いのは前半部です(しかも邪馬台国そのものの話とは別の部分で、興味深かった)。後半の、肝心の邪馬台国の位置を推測していく部分は、邪馬台国九州説を証明しようとするあまり、正直推測とこじつけが強いように思え、ダレてしまいました。もっとも、著者にしてみれば古語の音を元に現代にまで残る地名や自然条件に当てはめて、理論的に推理しているつもりだと思うので、私の感想は不本意かと思いますが。
でも、著者の主張の根底にあるものは、とても興味深かったです。
・『魏志倭人伝』の地名については、字面に囚われるべきではなく、あくまで音でのみ解釈すべき。
・記紀は天智天皇の革命を正当化するために書かれている(結果、天智天皇に都合の悪いことは隠されている)。
・天孫降臨は本当に天から下ってきたわけではなく、地上における他部族の平定の話。つまり神話的部分は、実際の人物の歴史として読みかえるべき。
以下、印象に残った部分を備忘録代わりに書いておきます。
筆者が島原でバナナの栽培に成功したことを信じない人たちを指しての言葉ですが、心に留めておかねばならない言葉だと思います。
古墳の周囲に堀がある意味についての洞察には、瞠目させられました。
また、古墳の築造の技術や工法、特に基礎について、土木学的に調べてみるべきとの指摘も、もっともです。
古墳は人海戦術ではなく、効率的な技術のもと作られたのではないかという指摘にも、うなりました。
なお有名な話ですが、著者は目が見えず、この本を書くための調査と執筆にあたっては、後妻となった和子さんの多大な貢献がありました。「記紀を合わせると五百回以上にもなるだろう」とあるように、まず文献調査にあたっては和子さんの読み聞かせが必須です。それ以外にも手で触って分かる地図を作ってあげたり、著者が「命じ」るままに地図から地名を拾ったり、涙ぐましいほどの努力と忍耐力です。
なのに著者は和子さんの話を「まわりくどい話だ。これだから女の話はやりきれない」と切り捨てるなど、和子さんの貢献に充分感謝しているようには思えず、ちょっとうんざりしました。まぁ時代性と言えば、それまでですが。そもそもその部分を原稿に起こしたのだって、間違いなく和子さんご自身でしょうしね。
見出し画像は、2017年12月撮影の、吉野ヶ里歴史公園(2001年開園)のものです。1986年からの発掘により吉野ヶ里遺跡が見つかった時は、すわ邪馬台国の都か、と騒がれたものですよね。
↑文庫版(古本の値段です)
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