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アニメを真面目に学問する~『アニメ研究入門[応用編]――アニメを究める11のコツ』(小山昌宏、須川亜紀子編)~

*この記事は、2018年12月のブログの記事を再構成したものです。


題名に驚かれるかもしれませんが、いたって真面目な、れっきとした学術書です。何せ帯には、「学術対象としてのアニメから、アニメの研究メソッドへ。」とありますので。

↑kindle版


とはいえ、学術書特有の読みにくさとは無縁です。1章あたり20~30ページなので、むしろ読みやすいです。以下、簡単に各章の感想を記します。


第1章 映像心理論(アニメサイコロジー)――アニメーション研究による「アニメ」の相対化(横田正夫)

アニメーションにおける衣食住の表現について考察しているのですが、特に衣服に着目した部分が面白かったです。衣服は主人公の置かれた状況や心理状態を表している、という指摘にはなるほどと思いました。


第2章 映像演出論――アニメーション業界の製作現場における演出の技術と方法(渡辺英雄)

監督と演出の違いは、長年疑問に思っていたので、これを読んでようやく納得がいきました。基本同じ(英語だとdirector)だけど、その現場で使い分けるということのようです。アニメの場合、劇映画やテレビシリーズの総括的立場が監督で、テレビシリーズの各話を担当するのが演出、ということのようですね。

あと、カメラワークについての説明は、これからアニメ・実写を問わず、映像を観る時に参考にします。


第3章 アニメソング論――アニメと歌の関係(石田美紀)

同じテーマソングでも、オープニングとエンディングでは役割が違う、という指摘に改めて納得しました。華々しく幕を開ける役目がオープニングで、エンディングでは余韻に浸らせる、と。

だからおおむねオープニングはアップテンポで、エンディングはバラードなのですね。「そういうもの」と漠然と思ってきましたが、ちゃんと理論で解釈できるわけです。


第4章 声優論――通史的、実証的一考察(藤津亮太)

声優という職業について、歴史や仕事の実際などについて考察しています。個人的に女性の声優さんの「アニメ声」が苦手なのですが、彼女たちの努力や苦労についても思いをはせることが出来ました。


第5章 オーディエンス、ファン論(ファンダム)――2.5次元化するファンの文化実践(須川亜紀子)

ファンダムとは、ファンの大規模なコミュニティのことです(←すぐに分からなくなるので、自分自身へのメモ)。

2.5次元舞台に通うファンについての考察なのですが、もはや2.5次元舞台は立派な文化であり、結構な経済効果も生み出しているのだなぁと思いました。まぁ私とは無縁の世界なのですか(^_^;)


第6章 ライツビジネス構想論――アニメ産業分析の検討と転換への試論(玉川博章)

アニメは映像単独ではなく、玩具やグッズ、ライブ、観光なども含めて消費される、ライツビジネス・ブランドビジネスである、という著者の主張に、新たな視点を与えられました。

あと本筋とは関係ないのですが、「制作」と「製作」の違いを初めて知りました(「制作」はアニメの場合、実際に映像作品を作る部門。「製作」は作品を作る資金の調達、管理、回収を行う部門で、作品を利用したビジネスを展開)。


第7章 文化政策論――『ガールズ&パンツァー』にみる非政治的な政治性(須藤遙子)

「歴史的には下位文化(サブ・カルチャー)そして対抗文化(カウンター・カルチャー)の要素も含んでいたアニメが、いまや国家文化(ナショナル・カルチャー)となって国家の包摂対象となっている」という著者の指摘に、ぞくっとさせられました。アニメは子どもと若者のもの、オトナとは関係ない、なんて思っていると、ちゃっかり国に利用されてしまうのかもしれません。

あと、ガルパンが大洗町にもたらした(もたらしている)経済効果の大きさに、びっくりしました。


第8章 アニメ史研究原論――その学術的方法論とアプローチの構築に向けて(木村智哉)

筆者が提唱しているのは、既存の歴史学の手法以外にも、アニメ史に適した手法を模索するべきではないかということなのですが、逆説的に「歴史研究原論」として読んでも興味深かったです。



第9章 物語構造論(ナラトロジー)――アニメ作品の物語構造とその特徴について(小池隆太)

これまで私は、物語の構造分析とか、誰の視点で語られているか、といったことにあまり頓着せずにアニメを含めた物語に触れてきたので、これからはそういう視点も持って観てみようと思いました。まぁあんまりやると、純粋に物語を楽しめなくなりそうですが。


第10章 マルチモーダル情報論――アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』にみる視聴覚・音楽情報の読解(小山昌宏)

アニメ映像における音声と音楽の役割の意味づけを図っているのですが、同じことが実写映像においてもほぼいえるわけで、これから映像全般を観る時に参考になりそうだと思いました。


補説 海外アニメーションと日本アニメ――表現技法の多様性と異文化受容(中垣恒太郎)

「ドラえもん」がアメリカで放映されるようになったのは、ようやく2014年から、というのにびっくりしました。かつ、のび太はノビーとするなど登場人物の名前の変更をはじめ、受け入れやすいよう改変を加えられた末のことだそうです。昔の日本のアニメが、海外では改変の末に放映されたため、日本製だということを当時は知らない人も多かったということは知っていましたが、21世紀になってもまだ、同じことが行われているとは……。


全体的に、アニメを入口に他のメディアなどにも応用して考えることが出来、大いに知的刺激を受けました。


見出し画像は、本書の第10章の題材となっている、「魔法少女まどか☆マギカ」のラッピングバスの写真を使わせていただきました。著作権の問題に引っかからないよう、念のため、お顔が分からない切り取り方をしています。


↑単行本



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