夜が更けるまでBAR
サラマンカは学生の街で、あちこちの国から留学生がやってきていた。
空港がないから、首都マドリッドから長時間列車に揺られないと着かないし、マドリッドとかバルセロナみたいな観光地ではないから多くの日本人が知らないから来ない。
つまり、日本人に会う確率が低くて、外国を感じられる穴場的な街がサラマンカだった。
それに、お隣のポルトガルにも意外と交通のアクセスがよくて、列車に飛び乗れば簡単にリスボンへ遊びに行けた。
留学生気分を満喫したいわたしにとっては、学生の街サラマンカは、必要条件を満たしてくれる最高の街だった。
少しくたびれた赤いバックパックを背負い、サラマンカの街に一歩を下ろしたわたしは、街の中心地にある広場を目指した。
スペインの大抵の街は作りが似ていて、街の真ん中に広場があって、そこから放射線状に街が広がっていた。
とりあえず広場へ行く。そこから、南へ行くのか北へ行くのか、はたまた、西か東か、 どっちに行こうか決めようと思っていた。
石畳の道を歩いた。あれ? 段々と場末の街っぽくなってきたと思ったら、街が終わった。
方向を間違えていた。覚えてきたスペイン語といえば、"Si" (はい)と"No"(いいえ)。あとは世界共通の友だちの輪を広げる最高の言葉、 "Gracias"(ありがとう)だ。
無謀にもこの3語で押しきろうとしていた。でも、この3つの言葉ととびきりの笑顔さえあれば、大抵のことは乗りきれる。
広場のなかにあったホテルにチェックイン。
「大丈夫かな? バックパックを取られたり しないかな?」
まあ、バックパックを盗まれても、お金さえ持っていたらどうにかなる。最悪、総領事館でも大使館でも、泣きつけばどうにかなる。
めちゃめちゃ、楽観的な27歳の日本女子だ。
たくさんのBARが立ち並ぶ街路を、テクテク一人で歩く日本女子。ナンパらしき出会いもあったが、スペイン語が分からない。
"No , gracias"
丁重にお断りして、一軒のBARへ入った。
そこで出会ったのがエンリケとマリア夫妻 、 その店の主だった。
凄い引き寄せ? 凄い偶然?
日本に帰ってからも付き合いが続いた夫妻、そんな素敵な彼らと初っぱなで出会うとは、わたしは本当に幸運だった。
ただ、わたしが帰国した時には既に離婚していたけれど、わたしたちの友情を壊すほどの ものではなかった。
スペインのBARは、日本の居酒屋に似ている気がする。もちろん暖簾もないし、日本酒もおでんもない。刺身もないし、〆でいただくお茶漬けもない。もう少し"こじゃれた"一品料理が綺麗に陳列されていた。
そして、貧乏留学生にとって何より嬉しかったのは、"ピンチョス"と呼ばれる一品料理を一品とビール一杯で過ごせたことだ。
大きなジョッキーではない。小さめのグラス一杯のビール。当時100円かそこらだった。
ワンコインあれば、気持ちよく夜を過ごせるなんて日本の居酒屋では到底無理で、大学の先輩たちのお世話になることが日常だった。
それが、スペインではお手頃価格で、楽しく夜が過ごせる。スペイン万歳!と何度、心の中で叫んだことか。
ひとりで過ごすBARもいいが、気心の知れた仲間と過ごすBARも最高に楽しかった。
「次は、タケの奢りね!」
素敵なBARを見つけては、順番に奢りながらBARをはしごしていった。5人組なら5軒のBARをはしご酒だ。
「チンチン!」
スペイン語で乾杯しては、訳の分からない 東洋の言葉で盛り上がっている我ら日本人。
本来、日本人同士でつるまないわたしだが、タケ、タツ、シン、そしてコウちゃん。
彼ら日本人男子は、スペインだから出会えたと言っても過言ではない、面白い背景を持つメンバーだった。
偶然が必然の出会いになるのが、海外留学や海外旅行の醍醐味だろう。
留学先の学校も下宿先もバラバラ。それが、わたしがサラマンカに到着して最初に訪れたBARで、偶然にも最初の一人と出会い、その出会いから芋づる式に他の男子と繋がった。
一番年長だったお姉さんのわたしを中心に、五角関係が出来上がった。もちろん、健全な 正五角関係を貫き通すなんて無理。
そこは、健全なお年頃の男女5人組。なんやかんやとあったっけ。最後には、全員揃ってポルトガル旅行の帰りに交通事故を起こし、新聞にまで載る始末。
一番に帰国することになったわたしと彼氏。(誰が彼氏になったかは、門外不出の重要案件なんて程でもないけどね)
サラマンカの最後の夜。
わたしたち5人組は、あの最初の出会いの場となったBARにいた。マリアもエンリケも、それに彼らを通じて出会ったチキチータスも来ていた。
あの晩だけは、どこにもはしご酒せず、夜が更けるまで飲み明かした。
" ¡Chinchín! "