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いろいろな学び方を受け入れる

みなさんは、文章を読むとき、音読派ですか?黙読派ですか?
たぶん多くの人は黙読派で、つまづいたら音読してみたり、それについてリアクションを声に出してみたりしているのではと思います。そして、それは教室での学習活動でも同じなのですが、読むスタイルの違いが思わぬ価値観の対立を浮き彫りにすることがあります。

話しながら読むのは真面目じゃない学習者?

 日本語の読みの流暢さが足りないと音読が混じったり、他者の力を借りないと文章を読み通せないようなこともあります。特に異なる日本語能力に学習者がともに学ぶ場では顕著です。教師としては、それらの反応から、文章理解の困難点や読み方の特徴を探れたり、思わぬ疑問にや発見が生まれたりして、個人的にはとても興味深く思い、ついつい脱線してしまうこともあります。しかし、価値観の対立を生むこともあります。

 それは、そういった教師や学習者同士のやりとりをノイズと思う学生もいるということです。このとき、学習者からは「●●さんはずっとしゃべっていてうるさいですから注意してください!」みたいなことも要望があります。この問題にどう向き合えばいいのでしょうか。

価値観の対立にどう向き合うか―教師の役割から考える

 確かに、「ほかの人の迷惑だから」、「うるさいから静かにしなさい」と言ってしまうのは簡単です。でも、注意された側はどうでしょう。自分の最善の学び方を否定された上に、教室の中で疎外感を覚えるかもしれません。

やはり考えるべきは、教室内の教師の役割は何と考えるかではと思います。私が最近取り組んでみた(みようとした)こととしては、

  1. 学習活動の目的に沿った学び方を提案すること

  2. 教室内での学び方にバリエーションを持たせることです。

①教室活動の目的に沿った学び方を提案すること
 読解の授業では、論文や学術書のように長く複雑な文章を読みこなすことを見据えて、最初から順番に読むのではなく、文章の概要や構成をつかむためのジグザグした読みの練習をすることもあります。この際に、文章の頭から音読していては、学習活動の目標を達成することはできません。その際には、「その方法がいつも通りだからやりやすいよね。でも今日の目標はこれだからこっちでやってみてね。」と促すことができます。

②教室内での学び方にバリエーションを持たせる
 自分の意見を持つことが目的でそのきっかけが読む活動だった場合には、学習者同士で相互交流しながら読むほうが自分の視点が明確になりやすいという利点があります。一方で、まず文章を正確に理解しなければ妥当な論は立てられないので、その際には一人でじっくり読むほうが良いという学習者の考えももちろん尊重したいです。その時に、もし広い教室ならワイワイスペースともくもくスペースを作ってしまうのがいいかもしれません。前後隣がざわついているよりは落ち着いて読むことができるようです。制限時間を設けておいて、その間は教室で学習者自身で学び方を選択できるようにします。何も教室で決められた席に座っていい姿勢で静かに読むことだけが読むことではなく、どう読むか、どこで読むか、誰と読むかは、【学習目標に照らして】選択可能であるのが良いと思います。

安心して学べる環境づくりの大切さ

 今回は読解の授業について書きましたが、学び方の違いによる価値観の相違というのは、おそらく年齢が高く、上級学校に行けば行くほどその傾向が強まる気がします。このことはひとえに学習者の学習観や学習スタイルが確立されつつあるわけですから、それ自体が悪いわけではありません。
 しかし、この対立が、時として学びの場から特定の個人を排除するような動きにつながることもあります。この際、教科担任や非常勤講師など関わりが浅い立場で、信頼関係を構築し授業を行う場合に行わざるを得ない場合は、その動きに加担する危険性が高くなります。また、その後のフォローも取りづらく、望まない結果を生むこともあります。
 また、多様な背景を持つ人々がともに学ぶことは決して珍しくなくなっています。このような状況下では、互いに価値観の相違を理解し、妥協点を探りながらともに学ぶことが避けられません。
 教室の中でもそれぞれの学習者が安心して学べる環境づくりが重要になってくると認識を新たにしました。