酒場が学校だった時代に|学校/02 #5|栗下直也
《酒場をめぐる風景が変わりつつあるのは、時代のせいか、個人の人生のせいか》
英国の詩人のバイロンは「酒場が学校だった」と書いたが、僕にとっては会社の飲み会が学びの場だった。
人よりも長い学生活を終えて、業界紙を発行する会社に入ったのは2005年だった。25歳だった。当時、日本の会社は飲み会文化がまだ健在だった。旧態依然とした業界だったからか、新年会に忘年会、花見に社員旅行と理由をつくっては飲んでいた。社内イベントがあれば打ち上げと称してとりあえず飲んだ。考えてみれば、何もなくても飲んでいた。そんな毎日だった。
飲んでいれば、上司という名の「先生」が評価してくれるので、ひたすら飲んでいたら、社内の景色が少しずつ変わった。昼間はさえない人が場を盛り上げたり、凡庸とした人が想像以上に気配りができたり、おとなしい人がトラに豹変したり。良し悪しはともかく、「学校」は人の多面性を教えてくれた。そして、盃を重ねるうちに人間は多面に見えても、根っこの部分は変わらないことに気づいた。
偉くても偉くなくても、しょーもない。酔っぱらえば、みんな同じだ。
酒を飲めばわだかまりは解消されるし、わだかまりを解消する場だから、殴り合い寸前になっても翌日以降は誰も気にしない。日本の飲み会の恐るべき調整機能を知った。酒にすべてを流す。それが僕にとっての社会の「常識」になった。
「世の中、飲めばどうにかなる」とうそぶき、飲むことを正当化して、それから十数年、飲み続けたが、さすがに鈍感な僕でも「学校」の変化は感じた。
「生徒」は減り、出席率は悪くなり、「教科書」は改訂された。飲んでもどうにもならない時代が到来した。
運が良いのか悪いのか、僕は「先生」の役回りをほとんどすることはなかった。出席率は良かったが、「素行」が褒められたものではなかったからだ。新人のころから気に入った「先生」の肩を酔っ払ってバンバンたたいていたし、モラハラする「先生」にはバカ野郎と放言した。「授業中」の理不尽な物言いに腹が立ち勝手にどこかに行ってしまうことも少なくなかった。とはいえ、本人は全く覚えていないので改善する見込みもなかった。
「学校」は嫌いではなかったが、1年半ほど前に自主退学した。会社を辞め、自営業に転身したのだ。社員は僕ひとりなので「学校」は開けない。ひたすら「ひとり飲み」という「自習」をするしかなくなった。
僕がかつて在籍した「学校」は生徒が減り、以前の賑わいはないものの存続し、昔の仲間は「先生」になった。たまに会って杯を交わすと、今の雰囲気を楽しそうに教えてくれる。
ちょっと寂しさを感じることもあるが、きっとそれは気のせいだ。
「酒場が学校だった」と書いたバイロンも「全ての時代は古くなると良くなる」と記している。過去は常に美化される。実際、「学校」にもう一度登校しろと言われても、間違いなく無断欠席するだろう。そもそも、僕は学んだことの半分も翌日になったら覚えていない劣等生だったことを忘れていた。学びはあったが、戻りたくはない。それは「学校」にとっても本望だろう。
文:栗下直也
>>次回「運/03 #1」公開は11月1日(水)。執筆者は鰐部祥平さん
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