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ツインターボ、あの夏の暴走賛歌|残暑/01 #5|栗下直也

栗下直也(Naoya KURISHITA)
1980年東京都生まれ。横浜国立大学大学院博士課程前期課程修了後、無職、専門紙記者を経て独立。著述家、書評家。経済記者出身でありながら、なぜか酒がらみの文章が多い。連載に「サボる偉人」、「あの人の引き際」、「名経営者のB面」、「こんなとこにもガバナンス!」。著書に『政治家の酒癖』、『人生で大切なことは泥酔に学んだ』他。
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「競馬は人生の縮図だ。これほど内容の詰まったミステリー小説は、ほかにない」といったのは小説家のアーネスト・ヘミングウェイだった。

競馬の予想は仮説を立てて、検証する作業だ。ミステリーを読み進めるのに確かに似ている。天候や騎手、展開などの情報を整理し、勝ち馬という名の「犯人」をみつける。だが、その推理が当たったとしても、残念ながら結果論に過ぎない。根拠たる根拠はない、ただただ非合理的な世界であり、その非合理性が僕を惹きつけた。

「環境が人を育てる」とはよくいうが、政治家の子供が政治家に、研究者の子供が研究者になるように、競馬好きの子供は競馬好きになる。

小学生から大学生になるくらいまで僕の実家にはよくわからない大人が週末になると出入りしていた。彼らは麻雀卓を囲みながら、日曜日のメインレースの予想をする。自然とそこらにスポーツ紙や予想紙が転がっていた(よくわからないおじさんも酔っ払って転がっていたのだが)ので、中学に入るころには、目を通すようになり、いつのまにか僕の生活は土日の競馬中心になっていた。月曜日に小遣いを握りしめて、競馬週刊誌を買い、週末の復習をして、その週の出走予定馬を確認する。水、木曜日の調教の追い切り状況を翌朝のスポーツ紙でチェックする。空いている時間は競馬四季報を読んだり、種牡馬事典で血統を調べたり、別冊宝島で昔の競馬事情を学んだりしていた。アダルトビデオよりも名馬列伝のビデオを見ていた。今考えると、かなり気持ち悪い中学生である。絶対に友達になりたくない。

中学生は可能性の塊だ。160キロの球を投げられるようにはなれないかもしれないが、本気でやろうと思えばほとんどのことが将来できただろうなと大人になるとわかる。ただ、狭い世界を生きざるを得ない当人にしてみれば、そんなことを知るわけもない。ランドセルを下ろし、電車に子供料金で乗れなくなると突如として「常識」が目の間に立ちふさがる。「そんなことうまくいくわけがない」「現実をみろ」「大学くらいいかないと就職できない」。そのたびに自分の無力さを痛感し、自分で自分の可能性をひとつずつ潰していく。

救ってくれたのが競馬だった。「こんな馬、絶対にこない」。誰が考えても勝てそうもない馬が先頭でゴール板を通過する。「常識」は短ければ1分もたたずに粉々になる。現実には理屈は要らない、全てがあとづけだ。

1993年の夏は暑かった。僕は13歳で彼は6歳(現在の表記だと5歳)だった。彼といっても馬だが。

馬の6歳は人間でいえば20代半ばだ。思慮分別がつき、無茶はしなくなる年頃だが、彼は6歳になっても、相変わらず、無茶なレースを続けていた。ゲートが開くとともに勢いよく飛び出し、ペース配分も何も考えずに先頭を走り、ぶっつぶれるレースを繰り返していた。

無謀な逃げに人は自分を重ねた。「もしかしたら、俺の人生もどうにかなるのではないか」と感じさせるロマンが彼にはあった。人間はロマンでは生きていけない。だから、競馬くらいはロマンを持ちたい。そして、実現しないからこそロマンはロマンであり続ける。

93年の夏、彼は馬が変わったかのように激走した。7月に福島競馬場の「七夕賞」で大逃げをうち、2年ぶりの勝利をあげた。地方競馬の平たんコースとはいえ、快勝だった。暴走と紙一重の大逃げは変わらなかったが、先頭でゴールを駆け抜けた。「無茶と思われてもスタイルを崩さなければ、あっと言わせることがいつかはできるのでは」と中学2年の僕はえらく感動したのを覚えている。

だが、夏競馬には一線級は出てこない。「一線級が本格始動する秋競馬では通用しないだろう」と誰もが思っていたが、9月に中山競馬場で開かれた「オールカマー」でも彼は激走した。G1馬であるライスシャワーやシスタートウショウ、GI戦線でおなじみのホワイトストーンなどに影も踏ませぬ逃亡劇をツインターボは演じた。潰れないツインターターボはもはやツインターボではないではないか、いったいどうしたんだ、こんなのツインターボじゃないーー暑さが人を狂わすというが、残暑は馬をも狂わすのか。眼前の現実に

8月にこのサイトの編集者から依頼を受け、僕は上記のような記事をその日のうちにざっと書いた。送る前に加筆、修正すればいいかと、そのままにしていたのだが、9月に入り、相変わらずの灼熱地獄の中、逃げ込んだ喫茶店でふと思ったのだ。

「あの夏は本当に暑かったのだろうか」

人間の記憶はどこまでも曖昧で勝手に物語を紡ぐ。
実際、気象庁のデーターによると、1993年の中山競馬場がある千葉県船橋市の9月の平均気温は21.3度だった。94年は23.4度、95年は22.0度、歴史的冷夏といわれた92年も21.6度だ。全然、暑くない。

そもそも、ツインターボの逃走劇はそれほど多くの人を驚かせたのかと思い、こちらも調べてみたら、ツインターボはオールカマーに3番人気(全13頭)で出走している。むっちゃ人気ある。
 
ここまでくると、僕は本当にツインターボが好きなのかという気にさえなってくる。確かに僕はツインターボが好きだった。そして、今でも好きだ。いや、今の方が好きだろう。それは僕が年を重ね、40代も半ばにさしかかっているからだろう。

何も持たない若者は追い込み馬に自分を重ね、現状維持をはかりたい老人は逃げ馬に自分を重ねる。

今、幸いにして僕は好きに働き、暮らしている。贅沢をしなければ、お金に窮することもない。ただ、「このままいけるのだろうか」という不安が全くないといったらウソになる。ふと夜中に何かに飲み込まれそうな感覚を覚えることはあるし、それを一時は酒でまぎらわしていたこともある。飲み込まれずに逃げ切りたい。でも、どう考えても戦わずに逃げ切るのは厳しい。何をすべきか、わからないが少し無茶して戦わなければいけないことだけはわかる。そうした複雑な気持ちがツインターボの暴走賛歌につながっているのかもしれない。

自分を書いてくれと編集者から依頼を受けた。僕を形づくったものとして競馬は外せないが、今となっては、競馬をほとんど見ないし、馬券を買うことは全くない。たぶん、現実があまりにもスリリングで予測不能なことが起きることを大人になり、知ったからだろう。万馬券も痛快だが、株式市場がジェットコースターのように乱高下するのを見ている方がワクワクするし、若駒の成長より自分の子供の成長の方が興味深い。そして、馬券に賭けるよりも、人生に賭ける方が面白いことに気がついた。人生の後半戦、僕はどんな「馬券」を買うべきだろうか。

冒頭のヘミングウェイの言葉を受けて、寺山修司はこう語っている。

「競馬が人生の縮図なのではない。逆だ。人生が競馬の縮図なのだ」。

文:栗下直也


>> 次回「学校/02 #1」公開は10月1日(火)。執筆者は鰐部祥平さん

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